ご機嫌いかがですか、千田浩未です。

5/27 最近観た映画で「よく分からなかったけど、分かりたいと思った」という映画、ありますか?

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最近「よく分からなかったけど、分かりたいと思った」という映画、ありますか?

高校生の時、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」という映画を、当時上通りにあった宝塚劇場で見て、階段を降りてきた時、「なんか全然分からんかった。やたら光ってたのはなんだったんだろう。。。。」と悩んだのを、今でも鮮明に覚えています。でも、その分からなさ加減が圧倒的で、30代になった時、アーサー・C・クラークの原作を本で読んだ時、「キューブリックが映像にしたかったのは、原作のこの世界だったんだ!」と感じた時の嬉しさもひとしおでした。

「腑に落ちる」って大切ですけれど、「なんか分からんけど、すごい!」というのも結構大切で、更に、それを相手に伝える言葉にする力を持ちたいなあ、と感じることが多くなりました。

「蓼食う虫も好きずき」— 趣味は説明できないというのはよく言われることですけれど、それをいいことに説明する手間を省いていると、変えるべきかもしれないものを変えることができないのかも、と感じたのが、最近の相撲の女人禁制問題でした。「伝統」という言葉は「変えなくていい」ということと同義ではないのだと思います。それを実感するのが、アフリカで行われる慣習の一つである女性器切除または女子割礼と呼ばれる儀礼です。女子割礼を行っている人々は、その風習をやめるのは、自国の文化を否定するものだと反論してきました。けれど、性的暴力、男女同権の見地から、世界的に禁止の方向に動いています。「伝統的文化」と呼べば、なんでも継続していいということにはならない時代になりました。

何か腑に落ちないものがある時、それが何か知りたい、という好奇心が、その先の感動や発見につながると思うのですけれど、知識に関しては圧倒的に先をいってるAI人工知能は、感じることがない、というかAIが「感じる」ということができるまでには、もうしばらくはかかりそうで、人間や動物に、これからもしばらくは残された、貴重な側面のように思えます。

私たちがAIを利用したロボットやアプリに、愛情を持つ、ということはあるとしても、そのロボットやアプリが自分に愛情を持っているということにはならない。「ま、人間だって、片思いがあるんだから、それでもいい。ロボットの側に愛情なんてなくても、私の相手をしてくれる存在なんだから」と思うのか「やっぱり相手にとって特別の存在でいたい」と思う気持ちの方が勝るのか、あなたはどちらの気持ちに近いですか?

 

Kumamoto Curio 今日のBGMは “Sleeping in the Stars” by Tim McGraw & Faith Hillでした。

番組内容

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