6/10 子供の頃、悩んだことを、大人になると忘れてしまってる、そんなこと感じることありませんか?
別に哲学的な話ではないんです。先日、熊本の市電COCOROに乗ったら、一番前の料金表に大人adult170円、小児 child 90円とあって「小児って何歳までなんだろう?」って悩んだのです。で、電車の中の他の表示を見たら、今度は幼児、という別のカテゴリーがあって、「おお!」と更に年齢の違いが気になった次第。で、こちらには、幼児は1歳以上6歳未満。小児が6歳以上小学6年生まで、と日本語では表示があるものの、外国語では表示がない。海外からの子供連れの旅行者の中には、市電で熊本駅から街中や水前寺公園まで利用している人を結構見かけるのですけれど、せっかく幼児は同伴者1名につき1名無料という割引があるのに、外国語表示がないばかりに利用できていない人も多いのではないか、と感じた次第です。ちなみに同伴者の定義も書いてないので、同伴者が小学6年生で、5歳の妹を連れていたら、小児運賃一人分で大丈夫ってことかなあ、と疑問は尽きません。
市電に限らず、多くの施設でも、入場料の定義で悩むことは少なくないです。私は予備校で、いわゆる浪人生を対象に授業しているのですけれど、彼らに映画や、美術館での展示会を紹介する時に、入場料のカテゴリーが、高校生の次が大学生になってたりすると、「うーん、高校生じゃないけど、残念ながらまだ大学生でもないし。浪人生は大学生みたいにバイトもあんまりできないので、安く入れたらいいけど、確かに高校生ではないし、、、」と悩むことが少なくありません。そんな時、入場料の分け方が、学校別ではなく、年齢だったらスッキリするのに、と強く思います。もちろん年齢が上でも、学生しているのなら割引というのも、アリだと思うのですけれど。
自分がいったん「大人」って呼ばれるものになってしまうと、子どもって、いつまでだったのか、忘れてしまったり、自分が日本人だと、そうでない人の思いを想像するのが難しくなったりしてしまうのかもしれません。でも、ある時、ふと、「子どもだったら」とか「自分が海外に行った時、こういうこと経験したら」って考えると見えてくる不便さ、不合理さってあって、それを、より良い方向に変えていく実行力と柔軟さが、日々の生活を、より多くの人に取って、過ごしやすいものにしていくような気がしています。子供の頃変だな、って思ってて、今、普通に思ってるけど、やっぱり間違ってることって何かありませんか?
Kumamoto Curio 今日のBGMは “My Wave” by Keith Urban featuring Shy Carterでした。