「復興ミュージアム」

カテゴリー
会社のヒミツ
企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ 特別編」。
特別編では、熊本地震からの復興に関する話題もお届けしています。
明日は、熊本地震で甚大な被害を受けた阿蘇地域の被災状況を写真で伝える
民間の復興ミュージアムについて取り上げました。
 
●ご出演者のプロフィール
 
氏名;片山秀治郎
社名:有限会社木之内農園所属
(役職):管理部兼南阿蘇村憩いの家館長
プロフィール福岡市出身46歳サラリーマンを経て、10年前に(有)木之内農園に転職し、南阿蘇村立野に移住。当初は苺栽培の担当。
H27.11より憩いの家担当。震災後、木之内農園管理部で経理・総務兼務。
現在大津町のみなし仮設に避難し立野に通勤。
 
Q 仮オープンした「復興ミュージアム」の基本情報をお願いします。
 
名称:南阿蘇村憩いの家 (みなみあそむらいこいのいえ)
住所:阿蘇郡南阿蘇村立野907
営業時間:9:00~17:00
連絡先:0967-68-0552有限会社木之内農園担当:片山
 
Q 昨年の「熊本地震」の際の被害はどうでしたか?
 
木之内農園:途中の道のアスファルトがあちこちひび割れ、駐車場も地割れしていました。
事務所の中は足の踏み場が無い程ぐしゃぐしゃで、棚という棚は全部倒れ、ガラスが割れ、書類が散乱していました。
敷地の石垣が崩れ、脇の水路を埋まっている状態です。
加工場の中も棚が倒れ、ジャムや空ビンの在庫が大量に割れました。
蒸気ボイラーが動かなくなり、水道管も寸断、急きょボイラーを手配しましたが、一ヶ月程ジャムの製造が止まりました。
苺ハウス高設ベンチが全て倒壊し、ハウス自体も歪み、地盤が割れて隆起した部分もあります。
上水道はおろか、農業用水も止まったので、成っていた苺は全て駄目になりました。
種じゃが畑も割れて機械が入れなくなり、谷底に崩落し地図から消えた部分も有ります。
周囲:崩れた石垣や傾いたり壊れたりした家が道を塞ぎ、車を潰し、道路が至る所で割れ、停電で真っ暗でしたので、車のライトだけが頼りでした。
気が付けば国道57号線が土砂に埋まり、阿蘇大橋も長陽大橋に続く道も崩落し、立野地区は袋小路になっていました。
私の家の真横に水力発電所の貯水池の放水路が通っていますが、地震の後程なくして濁流が流れる轟音が響いてきて、「うわ!流される!」と一瞬死が頭を過りました。
結局私の家は流されませんでしたが、その時既に上流では土石流に飲まれてお二人の住民の方が亡くなっていました。
 
Q この度、「復興ミュージアム」が仮オープンしたということですが、設立のきっかけを教えて下さい。
どんな人たちが参加していますか?
 
元々南阿蘇村憩いの家は、地域住民の為の村営温泉福祉施設として営業しており、H27年11月から指定管理者として木之内農園が管理・運営をしておりました。
そこに大津町等の周辺地域の方々、観光客の皆様にもご利用して頂いておりました。
谷向の栃ノ木温泉から長陽大橋渡ってパイプラインで2km温泉を通していましたが、パイプラインが千切れ温泉が来なくなり、水も出ないからトイレも流せない、浄化槽も機能しない、駐車場は陥没、石垣も崩れた、露店風呂の塀も壊れた、施設内もぐしゃぐしゃ、特に事務所がひどく、足の踏み場がありませんでしたが、それでも建物だけは一部損壊で済みました。
立野地区では公民館も使えなくなり、人が集まることが出来る場所が失われてしまい、唯一残ったこの公共施設を何とか再生出来ないかと考えているところに、村内の有志が自分達の手で復旧復興を目指そうと立ち上げた「南阿蘇ふるさと復興ネットワーク」という任意団体が手を挙げてくださり、そのメンバーの中に地元写真家の長野良市さんも居て、震災直後から阿蘇地域の被災の状況を写真に記録されておりましたので、それをパネルにして展示することにより、熊本地震を風化させない為に、また復旧復興の様子を発信する場として、「復興ミュージアム」を作ろう!そして立野地区の復旧復興のシンボルにしよう!ということになりました。
そこから村の企画観光課に相談し、村の許可も得て、ボランティアさん達の手も借りながら、震災から8カ月経ってようやく昨年12月に仮オープンすることが出来ました。
いつかまた人が戻って来た時に集える場所として、維持し続けたいと思います。

南阿蘇村憩いの家(復興ミュージアム)外観.jpg
 
Q「復興ミュージアム」での展示内容を教えて下さい。
 
今現在は主に写真家長野良市さんが震災直後の様子を撮り溜めた写真、震災前の美しい阿蘇の風景写真等もパネル展示しておりますが、4ヶ月後の8月に小型飛行機から撮った空撮写真もありまして、これは中々見ることが出来ない貴重な資料だと思います。
それから「ゼロの阿蘇」という冊子も販売しておりまして、こちらは1冊500円で販売しており、その内200円が義援金として被災地域に寄付されます。
内容は震災の写真記録なのですが、展示しきれない写真が多数掲載されておりますので、一度手に取って頂ければと思います。
また、希望者には近隣の震災現場、立野の様子などを実際に歩いて見て回ることも可能です。
 
復興ミュージアム(南阿蘇村憩いの家内部).jpg
 
Q「復興ミュージアム」を見学するためには、事前の予約が必要とのこと。
連絡先や予約方法を教えて下さい。
 
まだ南阿蘇村憩いの家にはスタッフが常駐出来ておりませんので、事前にご予約頂いております。
応対の段取りがございますので、来館予定日の3日前、少なくとも2日前までには電話でご連絡頂ければと思います。
 
連絡先:有限会社木之内農園
TEL:0967-68-0552
来館可能時間:9:00~17:00
休館日:未定、今のところ曜日は関係なく受けておりますが、今後検討します
 
その際に、来館予定日・時刻・人数・被災地視察を希望するかどうか、滞在可能時間をお知らせください。
ご承知頂きたいのは、近辺には仮設トイレが1つしかございません。
大人数でお越しになられた場合、並んで順番待ちに時間が掛かるかもしれませんので、トイレは出来るだけ立野地区に入る前に途中で済ませておいて頂いた方が宜しいかと思います。
それから、付近の工事の関係で駐車スペースも限られておりますので、出来るだけ乗り合わせてお出で頂ければと思います。
また、復興ミュージアムという建物があるわけではございません。
「南阿蘇村憩いの家」という看板しか出ておりませんので、お間違えの無いようお願い申し上げます。
 
Q「復興ミュージアム」開設までいろんな苦労があったと思います。
苦労話をお願いします。
 
とにかく片付けが大変でした。
棚が倒れ、商品が散乱し、物置に収納していたシャンプーとボディーソープがロビーに漏れ出し床がベトベト、自動販売機も倒れこそしませんでしたが元の位置から何mもずれていたり、特に事務所が酷く、棚が倒れてガラスが散乱し、書類が散らばり、電話線は切れて通じない状態でした。
これを使える程度にするまで大変な労力と時間が掛かりました。
さらに6月の梅雨の大雨で大規模な土砂崩れが発生し、1カ月近く立野地区は立入禁止になりました。
当然その間作業は出来ず、折角掃除したのにその間に今度は畳がカビだらけになって、本当に踏んだり蹴ったりでした。
今もですが、立野には水がまだありません。
掃除に必要な水も隣町の湧水をタンクに汲ませてもらいに行っていました。
自分達だけの手には負えませんでしたので、ボランティアさん達にも手伝って頂き、本当に感謝しております。
 
Q 今後の展開なども考えていますか?
 
現在は仮オープンの状態ですが、今月中旬にはスタッフが常駐してフルオープンする予定です。そうなればご予約無しでいつでもお越し頂けるようになります。
また、そうすることで地域住民の方々にもいつでも「ちょっとお茶飲みに来ました」という感じでご利用して頂き、そこに復興ミュージアムを見学にいらっしゃった方々と接することがあれば、語り部もお願いしたいと考えております。
また、立野地区には工事関係者はいっぱいいるのにお店が一軒もありません。
勿論震災前にはいくつかやっていましたが、現在は営業出来る状態ではありませんので、地域のお母さん方の手作り弁当くらいは販売出来ないかと検討しているところです。
それから、ここは国道57号線が埋まり、長陽大橋も通れない、下に下るしかない袋小路状態が地震後ずっと続いていますが、途中の通行止めの案内表示に気づかずに迷い込む車が大変多いです。
う回路の案内看板も立っていますが、遠方から来た人たちには分かり辛いようなので、そういった方達に道案内ですとか観光案内もして少しでもお役に立てればと思います。
ついでと言っては何ですが、写真も見て頂いて、それをまた発信してもらえればとも考えています。
温泉は無理でも銭湯でいいからまたお風呂を再開して欲しいというご要望も多数戴いており、検討はしているのですが、こちらは今のところかなり難しいかなという状況です。
 
Q そのほか「木之内農園」、「復興ミュージアム」に関するエピソードなどあればお願いします。
 
弊社は観光苺狩り園を営業しております。
残念ながら本拠地の立野にある「阿蘇いちご畑」は休園中ですが、阿蘇市内牧にある「はな阿蘇美いちご園」は今期も営業出来ております。
これもひとえに復旧作業をお手伝い頂いた大勢のボランティアさん達のお陰です。
この場をお借りして重ねて感謝申し上げます。
 
「阿蘇いちご畑」とその周辺の様子.jpg
 
IMG_0443.JPG
 
IMG_0445.JPG
 
震災直後からずっとこの「はな阿蘇美いちご園」の復旧作業に入って頂ていたボランティアグループさんがいらっしゃいましたが、ある日の作業に銀髪のボランティアさんが混ざっていたそうです。
「何でこんなチャラそうなお兄さんがボランティアに参加しているんだろう」と作業の監督をしていた弊社の社員は(私じゃないですよ)思ったそうなのですが、実はその人が「SEKAI NO OWARI」のボーカルFukaseさんだったそうです。ピエロの方も素顔で参加していたそうですが、これは本当に善意のお忍びで参加されていたので、他のボランティアさん達は勿論知っていましたが、正体がばれた後も皆さんと同じ作業をずっと続けてくれたそうです。
その場に私は居なかったので後で話を聞いて、一緒に作業出来なかったことがとても残念でした。
 
Q そのほか、熊本県民にPRしたい案件があればお願いします。
 
先程もお話させて頂きましたが、南阿蘇村立野の「阿蘇いちご畑」は休園中ですが、阿蘇市内牧の「はな阿蘇美いちご園」は皆様の御陰で営業しておりますので、どうぞお越しくださいませ。
それから、ジャムの製造も続けております。
直後は色んな設備が壊れて製造が止まったり、土砂崩れで立入禁止になった時は久木野の加工場を間借りさせて頂いたり、大勢の方々にご迷惑をお掛けしましたが、同時にご協力と応援を頂きました。
本当に感謝申し上げます。立野地区はまだ水が来ません。
弊社のジャムは蒸気ボイラーで加熱しており、それに2t近くの水が必要なので、毎日水道水を隣町の知り合いの自動車屋さんから汲ませて頂いて運んでいます。
頑張って作り続けておりますので、機会があれば是非ご賞味頂きたいと思います。
繰り返しになりますが、立野地区にはまだ水が戻っていません。
上水道はおろか農業用水もありません。
土砂に埋まった57号線が開通すれば上から水を引けるそうですが、それにはあと2年は掛かるという話です。それから新しい阿蘇大橋の建設工事が始まっています。
完成には5年掛かると言われています。道路の補修も真っ最中です。
被災家屋の解体工事も徐々に進んでいます。
長陽大橋は今年の夏に仮復旧で通れるようになる予定ですが、地域の復旧に5年、本当の意味での復興にはそれ以上の時間が掛かるのではないかと思われます。
まだ復旧工事が始まったばかりです。
その間にも地域は疲弊し、住民は歳を取り高齢化していきます。
工事用の道路や橋の用地になったり、新しい送電線鉄塔の用地になったりと農地がかなり減りましたが、大丈夫な農地も沢山残っています。
しかし農地の地主さん達も被災して散り散りになり、農地の管理が出来ない、農業用水が戻ってきた時には荒れ果てて元に戻すのが困難になっていて、耕作放棄地になりかねないという問題も抱えています。
木之内農園も頑張ってはいますが限界がありますので、何とか今年も引き続きボランティアさんにお手伝い頂き、農地の保全を続けていければと思います。
特に草刈りの手が足りません。
リスナーの皆さんの中に「刈り払い機を持っている」「使える」という方がいらっしゃいましたら、是非ご参加ください。宜しくお願い申し上げます。
 
------

本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。

FMK Morning Glory

「熊本の朝をさわやかに!」を合言葉にお届けしています。
毎週月曜~木曜の 7:30~10:34
パーソナリティ
月曜・水曜 長木真琴
火曜・木曜 松村奈央
番組ホームページはこちら