2018年12月29日放送「第22回 マラソン日本の復活」
戦中から戦後にかけて壊滅状態になった日本スポーツ界の復興は、陸上競技からスタートした。昭和21年には、各県の陸上競技協会が再出発し、四三は、4月に発足した熊本県体育協会の初代会長に就任。翌22年には、朝日新聞が四三の功績を称える第1回金栗賞朝日マラソン大会を熊本で開催。東京では、四三が創設した箱根駅伝が再開された。
昭和25年、佐賀で開かれた西部マラソン20キロには、170人が出場して力強い走りを見せた。「少し手を加えれば国際級の選手が生まれる」と確信した四三は、ボストン・マラソンとオリンピックの覇権を狙おうと、有力選手を集めた合宿練習を計画。ボストン体育協会のブラウン会長からマラソンへの参加を快諾された四三は、総監督として、3月の福岡を皮切りに、各地で合同練習を行った。
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