「FMK Morning Glory」毎週火曜日にお送りしています、「キネマのススメ」。
毎週、(わたくし)松崎ひろゆきが選んだ映画をご紹介しています。
今日ご紹介するのは、今週土曜日・11月28日から公開される
「FOUJITA(フジタ)」です。
およそ100年前、フランス・パリで絶大な人気となった日本人画家がいました。
藤田嗣治(ふじた・つぐはる)。
ピカソやモディリアーニなどとともに、ヨーロッパを代表する画家として「時代の寵児」となった画家です。
幼少時代を熊本で過ごした藤田は、熊本にもゆかりのある人物。
今回、日本映画を代表する巨匠・小栗康平監督のメガホンによって、その内面に迫った映画が完成しました。
1981年「泥の河」でデビュー以来、登場人物を見つめる静かな映像と 戦後日本を描いた厳しい眼差しで、毎回高い評価を受けている小栗監督。
妥協をしない映画作りで知られ、デビューから30年あまりのあいだに発表された長編監督作品は、わずか5作。
今回の「FOUITA」が長編6作目となります。
寡作の映画作家なのですが、すべての作品が高い評価を受け、ヨーロッパでは特にファンの多い映画監督です。
そんな小栗監督が、日本とフランスという二つの国に深く関わった藤田嗣治を描くのですから、世界中が注目している作品です。
まず、ここで、藤田嗣治の生涯を簡単に紹介しましょう。
1886年東京で生まれた藤田は、7歳から11歳の時期を熊本市で過ごします。
その後、現在の「東京芸術大学」の前身「東京美術学校」に進学。本格的に西洋画を学びます。
1913年単身でフランスに渡り、同時代の多くの画家たちと交流。
1919年には、美術展「サロン・ドートンヌ」に初入選。その後発表した「裸婦」が「乳白色の肌」と絶賛されます。
パリで最も有名な画家のひとりとなった藤田は、洋裁店のショーウィンドーに等身大のマネキンが飾られるほどだったそうです。
1930年代、日本に帰国、戦時下の日本で、フランス時代とはまったくタッチの違う「戦争画」のシリーズを発表することになります。
戦後、その「戦争画」がバッシングをうけ、藤田は、日本からフランスに再び渡ることになります。
その後、1959年にカトリックの洗礼をうけ、「レオナール・フジタ」と改名。
1968年に亡くなるまで、日本に帰国することは一度もなかったそうです。
今回の映画では、藤田の生涯を、2つの時代に絞って描いています。
映画の前半は、「エコール・ド・パリ」(パリ派)の寵児となった1920年代の藤田。
映画の後半は、「戦争画」を描いていた戦時中の藤田です。
作品のタッチも、背景も、まったく違う二つの時代の藤田を描くことで、藤田嗣治の人間性に深く切り込んだ作品となっています。
藤田嗣治を演じるのは、「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞したオダギリ・ジョー。
藤田の独特のオカッパ頭の髪型なども忠実に再現。絵を描くシーンでも見事な筆さばきを見せています。
映画は、最新の「デジタル4K」で撮影され、デジタルならではのVFXを使用した大胆な映像が数多く登場しています。
特に、光の微妙な表現にこだわったそうで、フランスと日本の「光」の違いが、見事に再現されています。
藤田が見つめていたもの、それによって藤田の作品がどう変化していったのか、映画では、台詞でなく、映像で語っていきます。
注目して欲しいのは、映画のラストに登場する藤田最後の作品であるランスの礼拝堂に描かれたフラスコ画です。
礼拝堂の壁を一周するほどの巨大さで描かれたこの作品。この絵を完成させてまもなく藤田は亡くなっています。まさに、藤田が、最後の命を絞り出すように描いた作品です。
この最後の絵を見ていると藤田嗣治という画家が、生涯をかけて何を求めていたのか、わかるような気がします。お見逃しなく!
余談ですが、この映画のタイトル「フジタ」は、アルファベットで「FOUJITA」と表記します。
これは、藤田がそういう表記をしていたからで、フランス時代の藤田のニックネーム「FOU FOU(フーフー)〜お調子者〜」に由来しているそうです。
実は、今回のコメントは、時間の都合でカットした部分もありまして
ノーカット完全版インタビューを、現在FMKオフィシャル・サイトでポッドキャストしています。
映画撮影の裏話や小栗監督が影響を受けた映画のお話などもおききしています。
小栗監督の今回の映画への思いを、是非感じて下さい。
今日ご紹介した「FOUITA」は、
■Denkikan
で、今週土曜日・11月28日から公開されます。
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本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
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