「ひと」「もの」「こと」に関わるさまざまなトピックを切り取っていくインタビュー「月曜対談」。
益城町にある「お茶の富澤」の富澤堅仁さんがゲストでした。

ご出演者のプロフィール
名前:富澤堅仁(ふりがな)とみざわけんじ
所属:株式会社お茶の富澤 代表取締役
S56.9.20富澤家の次男として誕生。妻、子3人、母他と10人家族。
H8年益城町立木山中学校卒業。
H12年熊本県立熊本工業高校卒業。
H14年国立野菜茶業試験場卒業。(静岡県金谷町)
H16年有限会社木屋芳友園退社。(福岡県星野村)
H16年4月お茶の富澤入社(就農)
H29年日本茶インストラクター資格取得
H30年1月11日株式会社お茶の富澤。代表取締役社長就任。
H30年7月14日Greentea.Lab open!
趣味・映画鑑賞、漫画、音楽鑑賞、温泉巡り、茶酒開発。
店舗Greentea.Lab
上益城郡益城町小谷47、TEL096-286-5566、
Q「お茶の富澤」さんの事業内容を教えて下さい。
日本茶の生産、製造、販売。
病院や、老健施設、飲食店への卸販売、店舗運営、飲食店様への日本茶のプロデュース。
農家仕事、畑作りが基本で、茶畑からお客様へをモットーに安心安全なお茶作りに心がけています。
Q「お茶の富澤」さんの歴史を教えて下さい。
昭和4年創業になります。
H31年4月1日で創業90年目を迎えました。
私で四代目になります。
就農してからは、16年目を迎えます。
H30年1月11日に法人成りしまして、代表取締役に就任し2年目を迎えております。
Q 老舗に生まれた富澤さん、後継や家業についてどのように思ってこられましたか?
小さいときから、お茶が当たり前のようにありましたので、なんの違和感もなくお茶に触れあってきました。
父や、母が楽しそうに働いている姿につられて、自分のも自然と手伝うようになりましたが、畑や家族団らんの時に「将来継ぐのはおまえやけんね!」って言われ続けて洗脳されてたと思います。
跡継ぎを意識しだしたのは中学3年生の時で、当時横浜に就職してた兄が熊本に帰ってきて、当時付き合っていた義理の姉と三人で食事に行き、その時に兄から「俺は後は継がんから、どうするや?」って言われたんです。
「おまえが後を継ぐなら精一杯協力するけん」と伝えられてから、意識するようになりました。
他の夢も特になかったので、高校入学から、事業継承を意識して進学しました。
Q「お茶屋さん」の息子さんならではの「お茶」に関するエピソードや思い出などありますか?
小学校の頃に、友達が家に遊びに来て、水出しの抹茶に近いような色のお茶を、マスカットジュースって言って出したんですが、甘いマスカットジュースと思って飲んだ友達は甘くないんで吹き出してましたw
当時水出しで緑茶を飲むことは珍しかったんですが、昔から夏は麦茶ではなく、冷水で出した緑茶を飲んでました。
保育園の頃はお茶がまずいって先生に文句言って困らせてたみたいです。
Q「お茶の富澤」さんの「企業理念」や「事業理念」を教えて下さい。
起業したときに、掲げた理念が、「茶を以て、和を成す。」です。
和とは争いや、嫉み、嫉妬がなく皆が笑顔で愛に満ち溢れて皆がその所を得た有様を和という。
それを茶で、目指していき、関係する、お客様、スタッフ、関係事業様、生まれ育った地域がこの和の中で笑顔で笑っている。
そんな世界を目指していきたいと思い、この理念を掲げました。
先代から引き継いだ歴史は守りつつ、時代に応じた日本茶作りに挑んでいきたいと思っています。
Q 永い歴史のある「お茶の富澤」、ご自身の代で変えたいと思っている事はありますか?
今日本茶の市場はかつて無いほど低迷していて、中々日本茶の売れない時代になっています。
でもそれは、変化をしてこなかった業界にも原因があるのではないかと考えています。
そんな中、全国の日本茶の最先端を走っているお店、そして何百年も続くお店を妻と一緒に見に行きました。
そこにはこれからの日本茶の可能性を感じるもの、変えなくては行けないものがあったと思います。
熊本地震で無くなった店舗を再建するとき、この想いを大事に若い方でも気軽にお茶を愉しんで頂けるようなお店にしたいと、TEASTAND型のお店を作りました。
先代の想いや製造方法、基本的なベースは受け継ぎ、その上で私達の代で表現したいことなどを上乗せしている感じです。
新たな生産方法、製造方法の模索、新たな甘味メニューの開発、など、時代に応じた新たな取り組みをおこなっております。
Q これまでの歴史の中でも「熊本地震」は大きな出来事かと思いますが、当時の被害の様子、それからの再起の経緯、当時の覚悟や想い、例えば人との関りなど、それまでの自分との変化など教えて下さい。
前震の時は家族でリビングに居て、寝る準備をしていた時でした。
いきなり突き上げるような縦揺れの後、激しい横揺れに立っていられなかた事を覚えています。
一番下の子が5ヶ月だったので、外には避難せずリビングに固まって一晩過ごしました。
その間も余震の揺れや、家が軋む音、食器が割れる音は今でも鮮明に覚えています。
一晩明け、被害の確認に行ったのですが、前震の時はそんなに被害はありませんでした。
日中は店舗の片付け、午後からは地元の消防団として活動し、交通誘導をしていた深夜1時25分頃本震が起き、近くにあった橋はゴムのように揺れ、道の端は音をたてて崩れ、ゴーゴーと鳴り響くサイレンに全て壊れたと思いました。
直ぐに、妻に連絡を取ると家族は全員無事だと聞き、急いで帰りたかったんですが、自宅に帰り着いたのは朝方でした。
その朝から、地域住民の方を近くの避難所に誘導して、全く寝れず、食料の仕分けや、避難場の設営と気づけば夜中の3時でした。
気絶するように寝て、気づいた時には朝8時になっていて、茶園や店舗が気になったので、友達にスクーターを借りて益城の町中に向かいました。
その時目の前に広がったのは、怪獣に踏まれたような家々が広がっていて、店舗も右に大きく傾き、玄関も破壊されてました。
涙なのか、何なのか、分からないぐらい涙が止まらず茶園に向かいました。
そこにあったのは、今までの非日常ではなく、いつも管理に行く時と何ら変わらない日常が待っていました。
元気に青々と広がる茶葉達に励まされた気がして、翌日から茶園の管理をスタートさせました。
ぐちゃぐちゃな思いは茶畑で浄化してもらい、生きる勇気、そして全てを受け入れる覚悟を頂いた気がします。
地震前は直ぐ誰かのせいや、自分以外のせいにしていました。
しかし、地震後から万物の起こりは自分自身にあって、そこから逃げることは、さらに自分を苦しめる事に繋がると、教えてもらいました。
苦難は全て受け入れ、自分を見つめ直し、次の一手を考える。
そんな考え方、気持ちの持ち方に地震後変化しました。
全国の皆様にも助けて頂きました。その時に頂いたご縁も今でも続いてますし、まだまだこれから恩返して行ければと思っております。
Q そして新たに完成した「Greentea.Lab」。どのような施設であるかご紹介下さい。
日本茶を分かりやすく、お洒落に、愉しんで頂け、癒やされる場所を目指した店舗です。
お茶に対するイメージを変えること、敷居を低く、間口を広く、今まで急須に触ったことのない方でもみんながお茶を愉しんで頂く。
日本茶を選ぶ時に分かりやすく、急須で味わう日本茶をテーマにしてます。
地域のお野菜や食材を結ぶ、「おやつ結び」や夏期限定の茶蕎麦御膳、秋冬は茶ダゴを使用した、だご汁もランチタイムに愉しんで頂けます。
喫茶には当茶園の茶葉をふんだんに使った茶蜜氷、日本茶パフェなど甘味メニューもあります。
忙しい日常を忘れいっぱいのお茶に癒やされる。そんな場所です。
Q 最後にリスナーの皆さんへ伝えたい事、PRしたい事などお願いします。
日本茶にはまだまだ可能性があると思います。これから日本茶を取り入れたい愉しみたいと、思いの皆様は是非お店まで遊びに起こしください。
新しい日本茶を必ず見つけて頂けると思います。
生産者の皆さん皆様の笑顔のため共に頑張りましょう!
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓