「ひと」「もの」「こと」に関わるさまざまなトピックを切り取っていくインタビュー「月曜対談」。
今日は江戸時代には幕府への献上品ともなった時献上品「カセイタ」というお菓子を
その原材料となる果実、「マルメロ」から育成し、銘菓を忠実に復元するプロジェクトをされている
走潟マルメロ会の木下洋介さんにお話を伺いました。

●ご出演者のプロフィール
宇土市教育委員会に40年程勤務し、歴史や文化に関する仕事を担当して来ました。
4年ほど前に仕事を辞め、現職の時の経験を活かして何かできないかと、宇土市の歴史や文化を活かしたまちづくりに貢献できるような活動を行っています。
特に宇土市を代表する歴史遺産で、日本最古の現役上水道の轟泉水道とそれを造った細川宇土藩3万石のこと、古墳時代の大王のひつぎに使用された馬門石、熊本藩の焼き物の網田焼、県内最初に植えられた網田ネーブルなどを活用したまちづくりの活動をライフワークとして楽しんでいます。
Q:今はどの様なことを楽しんでおられますか?
今特に熱が入っているのが「走潟マルメロ」です。
今から15年ほど前でまだ現役のころ私の先輩が「うと今昔100物語」という宇土の歴史を簡潔にまとめた本に「マルメロ」について書かれたのがきっかけでマルメロを知り、これは走潟地区のシンボルになると思い地域の人たちと9年4か月前に走潟公民館に、まず3本の小さな苗木を植え付けました。
翌年には「走潟マルメロ会」ができ、今では、地域内には150本ほどまでマルメロの木が増え、収穫した実で食品加工工場でマルメロ製品を製造するまでになっています。
この春にマルメロの苗木47本を新たに植え付けましたので、今はその世話で忙しい日々をおくっています。
Q:そんな木下さんに本日は「かせいた」についてのお話を伺っていきます。
まずはこの「かせいた」がどのようなものなのか教えてください。?
「かせいた」というお菓子は現在も熊本の菓子店で製造販売されているのでご存じの方もおられると思いますが、今日初めて「かせいた」という言葉を耳にされた人の方がが多いと思います。
「かせいた」とは、今から400年以上前にヨーロッパから伝来したお菓子で、マルメロという果実を材料にして作られています。
今日は最近調べたことなどを基に、推測や創造性を入れながら歴史を中心にお話ししたいと思います。
みなさん、歴史の授業で鉄砲伝来とかキリスト教伝来とか学習しますが、他にも数多くのヨーロッパの品物が日本に入ってきています。
代表的な食べ物として、カステラ、こんぺいとう、てんぷらなどがあり、その中の一つに「かせいた」があったと推測しています。
当時、キリスト教の布教の際に、酒を好む人には「葡萄酒(ワイン)」を甘党の人には「砂糖菓子」を与えたそうです。
戦国大名たちもキリスト教の布教や貿易の依頼の際の手土産に「かせいた」をいただき、食べたと思います。
特に細川忠興公の妻ガラシャ夫人は熱心なキリスト教の信者であり、忠興公本人もローマ字の印鑑を使うなど細川家は肥後入国前から、ヨーロッパの文化に興味を持っていたと思われます。
小倉時代にはワインの製造も手掛けていたそうで、「かせいた」作りもその時から考えていたのではないでしょうか。
Q:カセイタとはポルトガル語からきているということですが、意味など教えてください。
「かせいた」の語源はポルトガル語の「カイシャダマルメラーダ」箱に入ったマルメロジャムという意味で、カイシャダが変化して「かせいた」になったとの説が一般的ですが、同じヨーロッパのイタリアでは箱(宝石箱)のことを「カセッタ」と言います。
聞き取り方では「カセイタ」と言っているようにも聞こえます。
また、イタリアのベネチュアでは修道院の壁に、真っ赤マルメロのゼリーが詰まった円形の木製容器が描かれていまて、それが、日本の「かせいたの」原型ではないかと推測しています。
この絵はナポレオンがイタリアに攻め入り戦利品として持ち帰り、今はパリのルーブル美術館にモナリザの対面して展示されています。
このマルメロゼリーの作り方を、預言者で有名なノストラダムスが1555年に出版した「ジャム論」の本の中に書いています。
また、この本の中には「かせいた」とほぼ同じ作り方も書かれています。非常に興味のある本です。
「かせいた」と同様なものが、呼び名は違うが今もポルトガル・スペイン・フランス・イタリア・イギリス・トルコ・ブラジルなど世界中で食べられています。
Q:次に今お話にも出てきました「マルメロ」について教えてください。
「かせいた」の原料であるマルメロの原産地は中央アジアあたりで、マルメロの日本への伝来は、寛永11年(西暦1635年)ヨーロッパからインド・東南アジア経由の説と、あまり知られていないが、1595年メキシコから太平洋を渡ってきた説もあります。
Q:そもそもマルメロが果実だとご存じではないリスナーの方もいらっしゃいます。
大きさや色・味、栽培・収穫時期など詳しく教えてください。
現在日本では長野県以北で栽培されています。西日本や九州ではここ以外では栽培されてないと思います。
マルメロは4月に薄いピンク色の花をつけ、9月にはソフトボール大の黄色い実を付けます。
香りが良いため芳香剤としても利用もされます。実は少し渋みがあり生では食べません。
渋柿ほど渋くはありませんが、マルメロは砂糖と反応して絶妙なお菓子に変化します。
Q:またどうして当時の宇土市走潟地区で栽培されていたのでしょうか?
なぜ走潟で栽培されたかは、それを示す資料は今のところありませんが、マルメロは気候的には寒冷地に適した果樹で、熊本での栽培は昔も今も難しかったようです。
ただし、「かせいた」を献上したい細川家にとっては、我が領地で栽培しなければなりません。
そこで選ばれたのが現在の宇土市走潟町の浜戸川の右岸です。江戸時代の絵図には約1.8kmに亘って川岸にマルメロが植えられていたことが分かります。
土壌はガタ土で水分たっぷりの状態で、これが、栽培に適していたのでしょうか、そこらへんは不明です。
Q:そのマルメロの栽培は天災の影響も受けたそうですね。
寛政4年(西暦1792年)に、島原大変、肥後迷惑と言われる津波が発生。
低地である走潟も死者や家屋の流出の被害がでました。
併せて、マルメロの木が津波で壊滅状態になり、その年は収穫できないので大阪からマルメロを取り寄せて献上用の「かせいた」を作ったが、献上の原則の材料が領内のものでないため、献上を断念し、1年前の「かせいた」を献上したそうです。
そこで、地元の政右衛門がマルメロの復活に奮闘し、挿し木等で再生させ、翌年は収穫できるようになり、褒美をもらったそうです。
肥後の領内では走潟のマルメロ不足を補填した記録は無いので他地域での栽培は行われていなかったと思います。
Q:そんな熊本藩が幕府に献上していた菓子「かせいた」。
戦後、このお菓子の製造が一度は途絶えたと伺いました。この経緯について教えてください。
全国の大名から徳川将軍への献上は3種類あり、一つ目は正月や節句などの季節の献上、二つ目は月ごとの献上でこれを「時献上」と呼びます。
三つめは薬草の献上です。熊本藩の時献上は全国の大名で最も数が多く年間26品、4月が「かせいた」と「干し鯛」の2品になります。
「かせいた」の献上は他の大名にはなかったようです。
また、献上品であった「かせいた」の生産は江戸時代が終わると同時に献上する必要性がなくなり衰退していったようです。
明治6年(西暦1873年)ごろにはマルメロの収穫は500個と記録にあり、100kg程度の収穫になります。
江戸時代の収穫量が分かりませんが、1.8kmに亘る植栽の範囲から想像するとかなり減少していると思います。
細川家の資料に、明治17年(西暦1884年)につくられた「かせいた」の実物が保存されていますので、この容器は杉板で作られた直径15cmと17cmの2サイズの曲げわっぱで、献上の時の形をとどめていると思われます。
余談ですが、販売している商品のパッケージの参考にしています。
献上廃止後の「かせいた」は、熊本の菓子店がお茶席に合うような形で、復活し販売されましたが、平成5年(西暦1993年)廃業なり、平成10年(西暦1998年)に、違う菓子店が製法を受け継ぎ、今もはその形で販売されてます。

Q:そんな幕府献上菓子「かせいた」。
この歴史的価値から今、復活をされる取り組みをされていらっしゃると伺いました。
この取り組みについて教えてください。
「かせいた」も復活については、歴史に基づいた根拠をもって復元に取り組んでいます。
マルメロの植栽も地域内に限定で栽培しています、河川敷には管理上個人では出来ないので庭や畑に植えています。
「かせいた」の作り方は、江戸時代の文献に書かれています。マルメロの皮を剥き四つ割りにし、芯を取り除き、鍋で煮ます。
柔らかくなったら取り出し、すり鉢ですりつぶします。
これに重さ6割の砂糖を入れ、先ほどの煮汁を加えて煮込んでいきます。
数時間煮込んでいくと葛餅くらいの硬さになりますので、杉の曲げわっぱに入れて、2日程度乾燥させ出来上がりです。
現在の加工食品には保存料、着色料、凝固剤などを入れる場合が多いようですが、「かせいた」は、マルメロと砂糖と水以外は何も使っていませんが、保存期間は非常に長いようです。
MC:今日は古文書に基づき作られた「かせいた」を、放送前に食べ比べてもみました。
赤い色をしていて、羊羹のような食感で砂糖が多いと聞いていましたが、甘酸っぱく、酸味と甘みのバランスが絶妙だと感じました。
Q:この「走潟マルメロ会」のみなさんが製造されている「かせいた」は、どこかで購入が出来るのでしょうか?
販売用には宇土市内の加工工場に製造を依頼しています。
現在販売用の「かせいた」は売り切れていて在庫はありません。
この秋に収穫できるマルメロで次を作る予定です。
その時はまた何らかの方法でお知らせすることが出来ると思います。
是非、献上菓子「かせいた」の味を堪能して欲しいと思います。
問い合わせはEメールでお願いします。
メールアドレス(パソコン):utosoft@ad.wakwak.com
Q:「走潟マルメロ会」のみなさんからリスナーの方へのご案内がありましたらお願いします。
本日は「かせいた」と「マルメロ」について、ご紹介させていただきました。
フランスでも国王や貴族に献上された「マルメロゼリー」と日本の献上品「かせいた」との関係など、特別な価値を含んでいる点では日本で最高のお菓子ではないかと思っています。
歴史的にも熊本代表するお菓子であった「かせいた」、その材料であった「走潟マルメロ」を活用しながら、地域のコミュニティの再構築にも繋げていきたいと思っています。
---------
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓