2025年5月11日「阿蘇市 阿部牧場代表取締役社長 阿部寛樹さん」
今回は 阿蘇市の阿部牧場へお邪魔しました。
搾りたてのミルクのおいしさを届けてくれています。
ブランド名は「ASOMILK」
熊本地震当時、 牛がおよそ400頭 牛舎は一部の被害
その時、牧場で何がおこっていたのか?
阿部牧場の代表取締役社長 阿部寛樹(ひろき)さんに話を伺いました。
9年前、阿部牧場では 「水がでない」「電気が使えない」状況だった。
牧場の敷地内に 2本ボーリングして地下水を牛に飲ませていたが
2本とも一滴もでなかった。
1頭当たり 100リットルほど飲む
当時は400頭いた。
飲み水だけで40トン、洗浄用の水 20トン
最低でも 生きるために 60トンの水が必要だった。
最初は 川沿いに牧場があったため 川の水をポンプアップして
水道の配管につなげ 牛の飲み水の配管へつなげたが
配管が寸断していた。
次に、トラックに大きなタンクを乗せて
24時間 スタッフ泊まり込みで水を運んだ。
搾乳時には電気が必要。
自家発電を動かしながら 途中壊れたら電気やさんに修理をしてもらいながら
搾乳をし 牛たちの命をつなぎとめていた。
これが、およそ3週間続いた。
牛たちの体調も・・
余震が続いていたので
震度2、3は大丈夫だが 4以上になると走り回ったり
ソワソワしたりで 地震のストレスで
通常の発情高度を示さなくなったりして・・
5年 影響した。
お乳の出方も 地震後3日間ほど減ったり 病気がでたりもした。
搾乳したミルクを運ぶ流通は?
地震当日は タンクローリーがたどり着けなかったため
6トンか7トンのミルクを廃棄した。
酪農家にとってこれが一番辛い事!
だから スタッフにはさせず 自ら廃棄した。
翌日からは 生乳の出荷は出来たが
「ASO MILKE」の製造は 1ヶ月ほどできなかった。
その時の心境は?
その時は 毎日 やる事が山ほどあって
スタッフ家族、私の家族をいれて40人ほど寝泊まりしていて
24時間体制だったので 余計な事を考える余裕がなかった。
とにかく、牛が健康にいるための努力をやっていた。
地震後、考え方やものの捉え方はかわったのか?
変化したと言うより 元々 私自身が阿蘇という場所で
酪農を中心に「ASO MILE」という商品を作って
少しでも地元に雇用を生み出そう 貢献できる企業でいようと
いう考えがあった・・その気持ちが凄く強くなってもっと深くなって
いそんな意味で「シンカ」した。
「進化」と「深化」
熊本地震 当時 40歳ぐらいだった
この10年でどういう生き方をするか!!を決めた。
とにかく全速力で40代をかけぬける!!
沢山の牛、スタッフもいるので
地元で雇用を生み 地域のエンジンになれるような
活力になれるような企業になりたいと決めた。
それを ひとつ ひとつ実行してきた
地震からの9年間だったかな~と思いますと。
このインタビューを
内牧のASOMILKFACTORYのスタッフ休憩室で伺いました。
そこには 非常食の備蓄、発電機などが備えてありました。
地域の皆さんにも共有できる「災害時の拠点にしたいと決めているので・・・」と。
現在 スタッフ80人、牛720頭の命を預かっている
災害時も強く生き延びられるように・・・
災害は起きない方がいいが 熊本地震を経験し強くなった
と話して下さいました。
現在、阿蘇市内牧 ASO MILE FACTORYで
春のバラ祭り開催中です。
美味しい ミルクも味わってくださいね。