平成28年熊本地震、そして、令和2年7月豪雨後から取材したさまざまな声をラジオからお届けし、その想いの輪をつなげていきます。
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2022年2月13日「野村総合研究所から益城町の職員へ 大沼健太郎さん」


2022/02/13 10:00

今日は、熊本地震の復興応援がきっかけで、大手民間シンクタンクから益城町の職員へ転身した大沼健太郎さんに本田みずえがお話を伺いました。

大沼さんは、2020年の3月に17年勤務した野村総合研究所会社を退職し、現在、益城町役場産業振興課の商工観光係長として多忙な日々を送っています。熊本地震後、会社から出張という形で、約3年9カ月、平日は熊本、週末は東京という生活を続けながら、なぜ益城町の職員になるという決断をしたのか。復興応援当時の仕事や、転身の理由、これからの町づくりにかける思いなどについてお話をうかがいました。

 

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益城町の仮庁舎

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2階 産業振興課商工観光係

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商工観光係長 大沼健太郎さん

 

大沼さんは、東京で生まれ・東京育ちで、大学院を卒業後は民間のコンサルティング会社の野村総合研究所に就職し、東日本大震災の復興や住宅関係の政策などの仕事をしてきました。そうした経験を買われ、熊本地震の復興で社員を派遣しようとなったときに選ばれたそうです。


被災地の益城町に漠然としたイメージを抱いて派遣されましたが、地震から2か月後の町は、多くの家がひっくり返っていたりと災害の大きさに、言葉にならないような衝撃を受けたそうです。益城町では、今後10年間の復興計画を作る作業などに従事されました。

 

東京にいたときから樋口了一さんのコンサートに出かけるほどファンだったという大沼さん、役場に常駐した初日にラジオから樋口さんの「オカエリナサイが聴こえる町」が流れてきて、熊本との縁を感じたそうです。

 

仕事を通じて、徐々に住民の方や事業者の方、同じように外部から応援に来ている方に出会う機会が増え、人と会うことやお酒が好きだった大沼さんは、いろんな人から飲み会などに誘われるなどしていくうちに、公私の垣根を超えてどんどんネットワークが広がっていきました。

 

そうした生活の中、生まれ育ちが東京で、ベルギーや三重、神奈川でも暮らしたことがある大沼さんが苦労したのが言葉でした。コンサルタント業務は、いろいろな会議で議事録を作るのが基礎中の基礎スキルですが、こちらの地元の方々が何を言っているのか全然わからずに議事録を取れず、そっとパソコンを閉じたそう。その後、熊本弁の本を買ったり、熊本弁の歌を聞いたりして勉強した結果、リスニングはもうほとんどできるようになったとか。

 

いろんな友達との出会いや、アウトドアが好きで阿蘇の雄大な景色に感動したり、熊本のお酒を楽しんだりする中で、熊本が自分に合っているなあと感じるようになり、益城町で暮らすことを前から考えるようになりましたが、2019年の2月に転職を決断。それは、益城町に移住することを決めたというより、東京に帰らないと決めたという感覚の方が強く、益城町から離れるのは無理だなと思ったそうです。

 

そこで、町のホームページを毎日チェックし、社会人枠の職員募集を見てから願書を印刷し、筆記試験・面接をパスし職員になりました。仕事を終わった後に、喫茶店で音楽を聴きながら過去問を解いたり、半年くらい勉強をしたそうです。

 

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最後に、これからのまちづくりについての思いを伺ったところ、自分自身が毎日楽しく過ごしたい。自分が好きな場所で、好きな人たちと、好きなことをして楽しく暮らし、いろんな人たちと一生懸命に楽しむすことが結果として誰かの幸せや笑顔につながれば嬉しいとおっしゃっていました。

インタビューの後、いわゆる大手の一流企業の社員をやめて地方の役場の職員になったことについてさらにうかがいましたが、「仕事のやりがいを求めてというよりも、東京よりこっちにいる自分の方が好きなんです」とおっしゃっていたのがとても印象に残りました。

 

この番組では、熊本地震や熊本豪雨に関連して、取り上げて欲しい要望やメッセージなどもお待ちしています。
アドレスは、with@fmkumamoto.jpです。