2/28のhitomi dictionary...ダヨ~ン(1966年)
昔の流行語や新語など時代を映す言葉を毎回1つずつご紹介
2/28に選んだ言葉は、1966年の流行語
「ダヨ~ン」です
1962年、週刊少年マンガ誌から漫画家・赤塚不二夫に
「4回の短期連載で、ギャグマンガをお願いします」という依頼がありました。
「4回で終了なら誰も描いたことがない、ハチャメチャマンガをやるぞ!」と、
力が入り誕生したのが、六つ子を主人公にしたギャグ漫画「おそ松くん」です。
しかし、第1回の掲載から大反響、4回連載のはずが7年にもおよぶ長期連載となり、
赤塚不二夫のギャグ漫画人生のスタート作品となりました。
1965年には「小学館漫画賞」を受賞、そして1966年に、TVアニメがスタートし、
個性豊かなキャラクターが登場するこの作品の中で
でっかい口でなんでも飲み込むすごいパワーを持つ
ダヨーンおじさんというキャラクターのセリフの最後につけられる
「ダヨーン」という言葉が流行しました。
1966年といえば、資生堂からファンデーション「ビューティケイク」が発売されました。
日本で初めて、ハワイでの海外ロケを行った「ビューティケイク」のポスターは、
一時は全国の店頭から持ち去られるほど大評判となり、
当時無名だったモデルの前田美波里は大スターになりました。
三菱鉛筆からは、最高級鉛筆「ハイユニ」が、
そして、江崎グリコからは「ポッキー」が発売されました。
集英社から男性向け雑誌「週刊プレイボーイ」が創刊したのもこの年です。
また、沢田教一が、ベトナム戦争の際、銃弾を避けながら川を渡る母子の姿を写した
また、沢田教一が、ベトナム戦争の際、銃弾を避けながら川を渡る母子の姿を写した
「安全への逃避」という作品で、日本人として2人目の
「ピューリッツァー賞・写真部門」を受賞しました。
週刊少年マガジンで梶原一輝原作・川﨑のぼる作画の「巨人の星」の連載が、
週刊少年マガジンで梶原一輝原作・川﨑のぼる作画の「巨人の星」の連載が、
少女漫画雑誌りぼんで横山光輝の「魔法使いサリー」の連載がスタートしました。
萩本欽一と坂上二郎がお笑いコンビ「コント55号」を結成したのもこの年です。
お送りした曲は、1966年のヒット曲...
ノーノーボーイ/ザ・スパイダース