八代市立博物館 未来の森ミュージアム 学芸員 早瀬輝美さん

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月曜対談
「ひと」「もの」「こと」に関わるさまざまなトピックを切り取っていくインタビュー「月曜対談」。
八代市立博物館 未来の森ミュージアム 学芸員の早瀬輝美さんに電話をつなぎ、
八代市宮地地区に伝わる宮地手すき和紙について伺いました。
 
●ご出演者のプロフィール

名前:早瀬輝美  (ふりがな)はやせてるみ
所属・肩書き:八代市立博物館未来の森ミュージアム学芸員
プロフィール:
民俗分野担当。
ユネスコ無形文化遺産になった八代妙見祭を中心に、祭礼の出し物研究を行っている。
和紙については、平成15年に「和紙の世界」展を担当し、宮地和紙と八代の製紙業の歴史と多用な和紙の世界を紹介。
市内の小中学校へ和紙の話しをしに出前講座に行く事もある。
 
Q 八代市立博物館未来の森ミュージアムの概要
 
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合翌日)年末年始(12月29日~1月3日)その他臨時休館あり
観覧料:大人300円(240円)高大生200円(160円)
※特別展開催時はその都度定めます。
※()は20名以上の団体料金
※中学生以下の入館は無料です。
※障がい者手帳等の交付を受け、手帳をお持ちの方及びその介護者1名は無料です。
無料公開日:5月5日(子供の日)、11月3日(文化の日)
 
Q 早瀬さんの担当分野の一つ「宮地手漉き和紙」について教えてください。
まず、一般的に「和紙」とはどんな物を材料としたどんな紙を指すのでしょうか?
 
いちばんよく使われるのはコウゾです。
他にはミツマタやガンピがあります。
しかし、紙は繊維を絡ませて作りますので、繊維のあるものなら何でも作ることができます。
ちなみに、「和紙」という言葉は、明治時代になって機械で作る紙「洋紙」に対して作られた言葉です。
江戸時代までは、紙といえば人が手作りした紙のことでした。
ですから、「宮地和紙」も昔は「宮地紙」と呼ばれていました。
 
Q 和紙はどんな作業を経て作られるのでしょうか?
和紙作りの概要を教えてください。
 
宮地では、材料となるコウゾの皮の部分を購入して紙を作りました。
この材料のことをカジと呼んでいます。
紙を作るためにはまずそのカジから繊維を取り出さなくてはなりません。
カジから繊維以外のものを取り出すために、アルカリ性の苛性ソーダを入れてカジを煮ます。
その後水できれいに洗ってゴミなどを取り除き、漂白します。
再度水に晒して洗った後、繊維のかたまりを機械でほぐし、いよいよ紙を漉く段階となります。
みなさんが手漉き和紙で連想される紙を漉く作業は沢山の工程の中のほんの一部です。
紙漉きは、フネと呼ばれるいれものに水を入れ、ほぐした繊維とネリと呼ばれる粘り成分を入れて良く混ぜ、ミスを張った木枠でフネの水を何度もすくって揺らしながら繊維を絡ませる作業です。
漉いているうちにフネの中の繊維が少なくなりますが、すくい上げる回数や量を調節しながら同じ厚さの紙を漉いていきます。
これができるようになるには、長年の習練が必要です。
その後、漉いたものを重ねていき、おもしをして水分をある程度取ります。
そして蒸気で熱した鉄板に一枚ずつ貼り付けて乾燥させます。
最後に、用途に合わせた紙の大きさに紙包丁で切ります。
 
Q 一般的な和紙と宮地紙の材料や作り方の違いなど、宮地手漉き和紙の特徴はありますか?
早瀬さんが思われる宮地手漉き和紙の魅力はどんなところですか?
 
和紙の作り方には、大きく分けると二つの方法があります。
一つ目は「ため漉き」という方法です。
牛乳パックで紙を作られた方もいらっしゃると思いますが、紙になる材料をすくい上げて水分を取って作る方法で、表面は滑らかではありませんが、分厚い紙を作ることができます。
もう一つは「流し漉き」という方法です。
材料の中に粘り成分のネリを入れて繊維を絡ませて作ります。
材料を汲み上げる回数によって薄い紙も厚い紙も作ることができます。
また、繊維がよく絡まっているので、破れにくい丈夫な紙が作れます。
宮地和紙はこの流し漉きの方法で作られます。
宮地和紙については、実際に絵や書を書く人たちに聞くと、とても書きやすいいい紙だということで、根強いファンがいます。
私自身は絵や書はしませんが、宮地和紙で名刺を作っています。
そのおかげで相手の方との話のきっかけができたりします。
和紙を手にすると、作った人の顔が見えるところが私が感じる宮地和紙の魅力です。
 
Q 八代と和紙の歴史について教えてください。
いつ頃、どんな方が、どこで、どんな経緯で紙漉きを始めたのでしょうか?
また作られた和紙はどんな物に利用されていたのでしょうか?
 
宮地和紙は、約400年前、柳川藩の御用紙漉きだった新左衛門によって始められたといわれています。
関ヶ原合戦で領地を没収された柳川藩主立花宗茂が、肥後加藤家にお預けになると新左衛門も肥後に移り住み、宮地で紙漉きを始めたといいます。
新左衛門が柳川に戻ったあとは、彼の一族の与三右衛門が宮地で紙漉きをしました。
宮地を流れる水無川が紙漉きに適していて、材料の入手もしやすい場所だったため、宮地では多くの紙漉き職人が紙を作りました。
日用に使われる紙の他、藩に納める高級な紙を漉く技術を持った職人もいました。
彼らを御用紙漉きといい、藩で使用される公文書用の紙や、贈答に使われる紙などを作りました。
和歌を詠むときなどに使われる水玉紙(みずたまがみ)や打雲紙(うちぐもがみ)といった美しい模様の紙も作っていました。
中には、「紙子(かみこ)」と言って着物の生地の代わりになる紙を作る職人もいました。
 
Q 現在、八代で手漉き和紙を生業としている方はいらっしゃいますか?
 
現在、宮地手漉き和紙を生業としている方はおられません。
宮地には多いときには100人以上紙漉き職人がいましたが、洋紙が使われるようになったり、人々の生活様式が変わったりして和紙の需要が減り、だんだんと紙漉きを廃業していき、宮田さん1人になったのは昭和50年代です。
和紙の主な生産時期は冬で、作業工程もいくつもあります。
80代の宮田さんには体力的にもきつくなってきたため、廃業されました。

●紙を漉く宮田寛さん
紙を漉く宮田寛さん.jpg
 
Q 現在、八代ではどんな風に手漉き和紙が継承されていっているのでしょうか?
紙漉きの文化はどのように守られていっていますか?
 
八代では、宮地校区の小中学生が宮地和紙の歴史を学び、自分たちの卒業証書を漉いています。
また近年は、「宮地紙漉きの里を次世代につなぐ研究会」の人たちが、現地見学会や講座、和紙を使った工作教室、商品開発など和紙の歴史や文化について知ってもらうさまざまな活動を行っています。
 
Q 八代市立博物館の第1常設展示室では和紙も展示されているそうですが、現在はどんな物が展示されていますか?
名称、年代、それぞれどんな物であるか、ご紹介ください。
 
博物館では和紙のコーナーを設け、展示替えをしながら多用な和紙の世界を紹介しています。
現在は、「広重の絵封筒」というタイトルで、歌川広重がデザインした日本橋や上野など江戸の名所絵の封筒を展示しています。
約160~170年前のもので、八代城主の松井氏が江戸で買い求めてきたものです。
 
Q 八代市立博物館のミュージアムショップで購入できる手漉き和紙の商品はありますか?
 
無地の障子紙の他に小さく切った色紙やコウゾの皮を散らした障子紙やハガキ、レターセット、ランチョンマットなどに使える厚紙も販売しています。
 
今日は八代市立博物館未来の森ミュージアム学芸員の早瀬輝美さんにお話を伺いました。
 
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