八代市立博物館未来の森ミュージアム 学芸員 早瀬輝美さん 「八代妙見祭」

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月曜対談
「ひと」「もの」「こと」に関わるさまざまなトピックを切り取っていくインタビュー「月曜対談」。
八代市立博物館未来の森ミュージアム 学芸員の早瀬輝美さんに電話をつないで、八代妙見祭について伺いました。
 
● ご出演者のプロフィール
 
名前:早瀬輝美(ふりがな)はやせてるみ
所属・肩書き:八代市立博物館未来の森ミュージアム 学芸員
民俗分野担当。
ユネスコ無形文化遺産になった八代妙見祭を中心に、祭礼の出し物研究を行っている。
 
Q 八代市立博物館未来の森ミュージアムの概要を教えて下さい。
 
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合翌日)
※建物外構の改修工事のため、12月1日~3月末までは臨時休館
観覧料:大人600円(480円)高大生400円(320円)
※特別展覧会開催中(11月25日まで)の観覧料
※()は20名以上の団体料金
※中学生以下の入館は無料です。
※障がい者手帳等の交付を受け、手帳をお持ちの方及びその介護者1名は無料です。
無料公開日:5月5日(子供の日)、11月3日(文化の日)
 
Q 八代妙見祭の開催日や主な行事、文化的価値など概要を教えてください。
 
妙見祭には様々な行事がありますが、神様を乗せた神輿の行列が御旅所まで行く22日の「お下り」と、行列が八代神社まで戻る23日の「お上り」がメイン行事です。
「お上り」の時に神輿とともに行列する獅子や奴、笠鉾や亀蛇など多彩な出し物が出るのが特徴で、平成23年に国の無形民俗文化財に指定され、28年にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。
 
Q 妙見祭の起源について教えてください。
 
妙見祭についての一番古い記事は1500年代ですが、その頃には行われていたことはわかりますが、祭りの始まりを書いたものはまだ見つかっていません。
しかし、平安時代に始まったと思われます。
その頃は、今のようないろいろな出し物はなく、神輿を中心とした行列だったでしょう。
 
Q 妙見祭の特徴を教えてください。
 
八代は古くから港町として栄えたところですので様々な物や情報や人が出入りしていました。
そのような環境の中で各地の珍しい出し物を自分たちなりにアレンジして祭りに出しました。
例えば異国情緒豊かな獅子舞は、長崎くんちに出ていた中国風の獅子舞の影響を受けていますが、獅子や楽器を陰と陽に見立て2つで一組で構成したり、参加者の衣装は長崎くんちを見物していた中国人やオランダ人の衣装を取り入れるなど長崎のものをそのまま取り入れるのではなく、一工夫している訳です。
出し物それぞれが異なった魅力を持っているのが妙見祭の魅力です。
 
Q 神幸行列の終盤で登場する笠鉾について教えてください。
 
妙見祭において笠鉾はいつ頃、どんな形で始まったのでしょうか?
笠鉾は、旧城下町から出された出し物で、同様の出し物がどこにもない八代オリジナルの出し物です。
全部で9基あり、8基の笠鉾は約340年前に出されるようになりましたが、宮の町の笠鉾はそれより前に出されるようになったようです。
初期の笠鉾は、一人で持つ大型の傘状の出し物で、傘の上には町の名前を書いた飾りが付いていました。
 
Q これまで笠鉾の大きさや装飾に流行や変化はあったのでしょうか?
 
笠鉾は、一人で持つ傘から2重の傘の上に人形をつけ、4人で持つものに変わり、その後現在のような2階建ての建物のような外観を持つ出し物に変化しましたが、笠鉾を支える柱は1本しかなく、傘がそのまま大きくなったのが現在の笠鉾です。
笠鉾の大型化に伴って装飾にも変化がありました。
初期の頃は珍しい布や高価な布を惜しげもなく使っているところに見どころがありましたが、本町(ほんまち)の「町(ちょう)」と同じ読みの「蝶」を笠鉾の上につけた笠鉾本町蕪は、至る所に蝶の飾りをつけるなど、次第に笠鉾を一つのテーマで装飾していくようになります。
 
Q 笠鉾の装飾にはどんな意味があるのでしょうか?
 
笠鉾の一番上の飾りには「菊慈童」や「猩々」など謡曲にちなんだ人形が多くあります。
例えば「菊慈童」は、経文を記した菊の葉の露を飲んで不老不死の仙人になった少年の話で、「猩々」は、お酒の好きな想像上の生き物猩々が、親孝行な青年に汲んでも尽きない酒壺を与えた話です。
立派な王様が現れることを知らせる想像上の生き物である鳳凰の飾りも多くみられ、笠鉾には、不老長寿や商売繁盛、天下泰平の願いが込められていることがわかります。
 
Q 笠鉾はどんな部材で構成されて、どのような形で保存されているのでしょうか?
 
9基の笠鉾は、一番上に人形などの飾り、赤い色の2重の屋根、水引幕というのが基本的な構造で、組み立て式です。
彫刻や漆工芸品、絹織物など様々な素材を用いていますので、それぞれ専用の木箱に入れて各町の収蔵庫で保管しています。
 
Q 現在、笠鉾に使われている部材で古い物はいつ頃の時代の物ですか?
 
笠鉾はこれまで作り変えや修復を行いながら伝えられてきました。
すべての部材がいつ作られたのか分かっている訳ではありませんが、製作年が書かれた部材には約200年前の部材もあって、江戸時代の部材が現在も使われていることがわかります。
 
Q 笠鉾は組み立てや解体も大変なのではないでしょうか?
 
笠鉾は1基につき、250~300個の部材があります。
それを祭りの前に各町の人たちが組み立てます。
昔はマニュアルもなく、組み立ての時に町の長老の指導を受けながら学んできました。
部材には「い」「ろ」「は」とか記号などが書かれていてそれを合印にしています。
同じ形をしている部材でもはめこむ場所はそれぞれ決まっていて、それが入れ替わるとうまく組み立てができないなど難しい部分もあり、きちんと組み立てるには経験が必要です。
 
Q 過去には笠鉾の担ぎ手が不足したこともあったそうですが、いつ頃のことでしょうか?
それをどのようにして乗り越えて続けてこられたのでしょうか?
 
現在はすべての笠鉾にタイヤが付いて曳いていますが、かつては力仕事をしている人を雇って担いでもらっていました。
担ぎ手が不足するようになって町では笠鉾にタイヤをつけることにしました。
一番最初にタイヤを付けたのは笠鉾西王母で昭和22年のことでした。
それ以降他の笠鉾もタイヤをつけるようになり、30年代後半までにはすべての笠鉾にタイヤが付きました。
 
Q 妙見祭に今後、どのような役割や発展を期待されていますか?
 
妙見祭が国指定、ユネスコ無形文化遺産登録と文化財としての価値が認められ、全国からの関心が高まりました。
妙見祭を観光の面から活用しようという動きも活発化しています。
けれども、観光客優先ばかりを考えていると妙見祭の文化財としての価値が損なわれ、ただの仮装行列になる危険もあります。
あくまでも妙見祭ファーストでその活用を考えていく必要があると思います。
 
今日は八代市立博物館未来の森ミュージアム学芸員の早瀬輝美さんにお話を伺いました。
以上、「月曜対談」でした。
 
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