尊敬する人・・・スマイリー原島
今回は小生がリレーブログ担当となりましたが、お題は「尊敬する人」。
こういうのはほとほと困りますねー・・・
小中学生ならいいですが小生ぐらいの初老になると一体どの視点からから考えたらいいのか?
音楽目線・人生目線・学校目線・路上目線・・・
イロイロ考えているとどの目線にも該当する方はいるものでして、はてさてどこに落ち着けたらいいのか。そうこう考えているとやはりこの人かなと・・・
そう、それは福岡で小学6年の時の担任 中村元気先生でした・・・
清志郎の兄貴の曲「僕の好きな先生」ではないですが、この先生とめぐり合わなければ今の小生もないかなと。
実は小生3歳から11歳まで東京で過ごし、小6の2学期に福岡に転校して来たのでした。
つまりこの元気先生とは9月~3月までの7ヶ月しか過ごしていないのですが、本当に大きな影響を与えてもらいました。
当時の小学生、東京からなどというと大変で、小生の双子の弟のクラスなど「東京弁しゃべりやぃ」と、しばらくめんどくさい事になっていたそうで。
ところがこの元気クラスはまったくそんなムードはなく、多分ヒッピームーブメントはこれぐらいフレンドリーだったんだろうと思うくらい暖かく迎え入れてくれたのでした。
ここからの7ヶ月で小生はちょっとしたセラピーを受けたようになったのかもと思えてきます。
元気先生は2日酔いの時、前方の机並べてお休みになられ、
1時間目自習、家庭科の時間に近くの野原に行き課外授業でアイスを食べ 正月には先生の家で集合する。なんと金八より金八的でありました。
この時まで小生は東京でヒステリックな子供として扱われていたようでしたが、次第にフレンドリーな子供になっていくのでした。
そのうえ福岡に行くまでは小生は自分のことを音痴だと思っていてまったく人前では唄など歌った事がなかったのでした。
ところがこのクラスの音楽の授業ではピンで歌うのが当たり前で、初めて大きな声を出す事をやらされ、なぜか音痴でなく唄えるようになったのでした。
ある意味軽い引きこもりからの脱出となったのでした。
おそらくこれがなければ今に至る事もなかったことは言わずもがな。
しかしこんな先生いたらいまや父兄が大変なんだろうなー。これが今も尊敬する中村元気先生です。
さて小生の後はタケル・・・・御題は「ドッキリした話」よろしく
バトル・ワンマン楽しみにしてますぜー気負わず、気取らず、気にせず。