1月17日(木)の名盤は…
13年前の今日、1月17日、阪神・淡路大震災が起こりました。
今日は、当時被災地で生まれた
「満月の夕(ゆうべ)」という歌を紹介しました。
大阪在住のロック・バンド、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬は当時、
すぐにメンバーを連れて神戸へ行き、ボランティア作業をする傍ら、
「歌でメシを食っている人間として、皆さんに娯楽を提供せねば」と、
避難所でライブを始めました。
そんなある日、盟友とも言えるヒートウェイヴの山口洋を
東京から連れてきます。悲惨な光景の中で、それでも復興に向けて
たくましく生きる人々に言葉を失った山口さんは、
中川さんと共に曲を書き始めましたが、途中まで出来たところで
一時帰京した山口さんのもとに中川さんから
「あの歌、もう完成して歌いよるで」と連絡が入ります。
被災者との生の交流の中で生まれたこの歌こそ「満月の夕」の原曲でした。
自身が起きた日も満月、被災者と共に焚き火を囲んで歌ったのも満月。
そんな複雑な思いを抱きながらながめる月に、
再生への希望を込めたこの歌には、
被災地ならではの生々しい特徴がありました。
まず、電気が復旧していないので、三線に和太鼓、アコーディオンといった、
電気なしで一番大きな音を出せるチンドン屋の編成で演奏すること。
そして、一番の生活弱者であるお年寄りに親しみやすく、
踊りやすい(とにかく寒いので、踊らせて暖をとる必要があったのです)
民謡/邦楽調であることです。
さて、この歌を聴いたヒートウェイヴの山口さんは、
「被災地と密に交流していない自分に、この歌を歌うことはできない」と、
震災をテレビで見つめることしかなかった立場からの視点で、
歌詞をほぼ全面的に書き変え、電機も普通に使える立場から、
自分達流のロック・アレンジで歌いました。
ここにメロディだけが同じで、まったく異なる
2つの「満月の夕」という歌が誕生したのです。
中川さんのバージョンが“当事者による復興の応援歌”で、
山口さんのバージョンは“遠くからの祈りの歌”と言えるかもしれません。
同じ日に発売されたこの2曲でしたが、さっぱり売れませんでした。
というのも、最もこの歌を必要とする被災者達は、
CDを買う余裕なんてあるはずもなかったのです。
でも、この年だけで70回以上行われた避難所ライヴのおかげで、
被災者のみならず、神戸全域で誰もが知っているほど浸透したのでした。
それから1年ほどたった時、中川さんの友人が神戸を歩いていると、
子どもがこの歌を歌いながら、「おっちゃん、この歌知ってる?
これなぁ、俺らの歌やねん」と言ったそうです。
それだけではありません。多くの歌手がこの歌をカバーしています。
その中にはメンバー全員被災者で、当時中学生で避難所ライブを
観ていたガガガSPもいます。さらに、中越で、釧路で、宮城で、能登で、
あるいは9.11やアフガン、東ティモールで、
天災や戦災が起こる度に「満月の夕」が歌われるようにさえなりました。
阪神大震災で生まれた歌が、いまや全ての焼け跡から再生するための
希望の歌として歌い継がれています。