5月28日(木)の名盤は…
今日は、ティナ・ターナーを紹介しました。
一時期は引退の噂もありましたが、去年から今年にかけて
8年ぶりに復帰ツアーを行うなど、
日本流に言えば古稀とは思えないような歌声と脚線美を披露してくれた
”ソウルの女王”です。
しかし、彼女の人生は現実に映画化されたほどドラマチックなものでした。
まだ10代の少女だったアンナ・メイ・ブロックは、大物ブルースマン、
アイク・ターナーに見出され、ティナと名付けられます。
その後結婚し、アイク&ティナ・ターナーという夫婦デュオとして1960年代から
70年代前半にかけてヒットを連発、トップ・スターに昇り詰めます。
子宝にも恵まれ、外から見ると幸福の絶頂に思われましたが、
実はアイクはたいへんな男で、愛人は多数作るは、麻薬中毒だは、
ティナを殴る蹴るの暴力で奴隷のように虐げていたのです。
長年苦しみに耐えてきたティナでしたが、1975年、遂に離婚を決意。
ですが、この時の条件が”夫婦時代に築いた財産はすべて夫のものとする”という
最低のものでした。
さらにデュオ名義で出した曲は契約の関係で歌うことができず、
大都市ではアイクの圧力で仕事を干され、
地方をまわって食い繋ぐより他はなかったのです。
70年代後半から80年代初頭にかけて彼女の名前は
表舞台からほぼ消え去ってしまいました。
生活保護さえ受けていたと後に語っています。
1983年、救いの手は意外な所から差し延べられました。
海を越えたイギリスの、しかも二世代も若く、
音楽性も異なるニューウェイヴの連中が声を掛けたのです。
彼女も最初は驚きましたが、イギリスならいやがらせも届かないし、
歌える場があれば何でもいいと飛んで行きます。
こうして制作されたアルバム「プライヴェート・ダンサー」は
歌える喜びと若い感性に溢れた傑作となり、ヒットも多数生まれ、
グラミー賞を獲得したのです。
奇蹟の復活、いいえ、彼女は45歳にして初めて
本当の自分を見つけ出したのかもしれませんね。