3月25日(木)の名盤は…
今週は1970年代イギリスで、
ハードでグラマラスな独特のロックを生み出し、
人気の高かったバンド、モット・ザ・フープルを紹介しました。
1969年にデビューした彼ら、熱狂的なライヴは
観客がしばしば暴動を起こすほどで、ヴァイオレンス・ロックと呼ばれ、
高い評価を得ていたもののレコードはさっぱり売れず、
ツアーに出ても会場の修繕などの経費がかかり過ぎ、
微々たる収入しか手にすることができない日々に疲れ果て、
スイスのチューリッヒ公演を最後に解散を決意します。
ところが、そこに彼らのファンであるデヴィッド・ボウイが連絡してきて、
曲の提供とプロデュースを申し出、
最後のチャンスと再起をかけた転機となったのが1972年3月26日。
この時プレゼントされた曲が「すべての若き野郎ども」で、
このヒットにより彼らは一躍トップ・バンドに成り上がったのでした。
余談ですが、このボウイの作品の中でも1,2を争う名曲中の名曲を
いとも気軽に彼らにあげてしまったことをボウイ本人は相当後悔しており、
自らのライヴでは必ずといっていいほど”キメの場面”で歌っています。
一生の不覚でした。
さて、なぜそんな出来事の場所と日付まで有名なのかというと、
後に彼らが歌っているからです。
それが「モット・ザ・フープルのバラッド(1972年3月26日、チューリッヒ)」。
モット・ザ・フープル側はボウイの子分と思われることがイヤで、
ボウイは一番いい曲をやった後悔で、
たった1作で別れた後に作られた1曲のため、ボウイのことは触れていませんが、
心身ともにボロボロに疲弊しつつも過酷なツアーを続けなければならない
売れないバンドの悲哀を綴った名曲です。
“ロックンロールは負け犬のゲーム、
けれど心の奥のロックンロールフィーリングを消すことはできない”
という必殺の一行は、多くのロックファンの心を捕らえています。
お届けした曲は、
モット・ザ・フープルで「モット・ザ・フープルのバラッド」でした。