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6/3「リック・スプリングフィールド」

このコーナーでは、時々“長い不遇の時代に耐え、あきらめずに

がんばった結果ついに報われた“というミュージシャンの

エピソードを紹介していますが、

今日紹介したのもそんな一人、リック・スプリングフィールドです。

オーストラリアのシドニー出身の彼は、10代でバンド・デビュー。

本国で大人気となりますが、他のオーストラリアの音楽家のほとんどが

そうであるようにアメリカでの成功を夢見てバンドを解散させ、

1972年、単身アメリカに渡ります。

すぐに大手レコード会社と契約、世界向けデビューを果たし、

シングル、アルバムともスマッシュ・ヒットと幸先良いスタートを

切ったかに思われました。

しかし、会社側の”アコースティック・サウンドのアイドル“的な売り出し方に反発し、

レーベルを移籍。

ここでは音楽的には彼の望む通りのロック・バンド・サウンドを

やらせてもらえたものの、アルバム自体は安易な企画モノで、しかもさっぱり売れず、

さらにマネージャーとのトラブルが訴訟にまで発展したせいで、

長い間活動休止に追い込まれてしまったのです。

活動再開後は大手とは契約が取れず、アニメのサントラで食いつなぎ、

やっと新しい会社に拾ってもらったと思えば、弱小インディー・レーベル。

それでもくさることなく、4作目にしてやっと会心の出来が完成するも、

発売後すぐに会社が倒産。

市場にほとんど出回ることなく廃盤となる悲劇。

絶望した彼はしばらく音楽業界から足を洗います。

そんな時ルックスの良さを買われて俳優に挑戦したところ評判が良く、

1981年には昼メロドラマの主役で大人気となったのです。

このチャンスを逃すまいと音楽活動を再開したら、

以前とは比較にならない制作費が用意され、

思い通りの作品を作ることができ、全米No.1を獲得したのです。

これも”人気俳優“という肩書きがあればこそだと思えば、

数々の試練も決して遠回りではなかったのかもしれません。

しかし本当に、あきらめさえしなければ人生何が起こるかわかりませんね。

今日お届けしたのはリック・スプリングフィールドで「ジェシーズ・ガール」でした。