熊本博物館「よみがえる清正」
今日は、現在熊本市立熊本博物館で行われている
「よみがえる清正」について、学芸員の福西大輔さんにお話を伺いました。
この展覧会を行うことになったきっかけは?
平成23年には九州新幹線が開通を予定し、それに向けて熊本も
再開発が盛んになってきていますよね。
また、加藤清正(1562-1611)没後400年を迎える今(今年が400回忌)、
彼の業績を再評価する動きが見られるようになってきています。
加藤清正は「清正公」と呼ばれ信仰の対象にもなっています。
彼は一国の大名にも関わらず、全国で信仰の対象にもなっているなど、
他の戦国武将を祀る信仰と比べても珍しいものです。
そこで清正の業績を検証するとともに清正へ祈りをささげる人々の
姿をみていきながら、時代によって清正にイメージされるものは何なのか
考えていきたいと思っています。
どういった内容になっていますか?
まずは、① 戦国武将・加藤清正。このコーナーでは加藤清正は、
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した
戦国武将加藤清正に関して展示をしています。
彼が使用していたといわれる長烏帽子形兜をはじめ、
片鎌槍、陣中枕などが展示しています。
清正が家臣にいかに接したかなどがわかる文書なども展示しています。
次に、② 清正公信仰。
このコーナーでは神様になった清正を展示しています。
加藤清正は死後、本妙寺で神として祀られました。そのため、
神様になった衣冠束帯姿の清正像が日本各地で祀られました。
幕末に作られた清正神像をはじめ、母親・伊都の像などを展示しています。
清正が妙見菩薩のご利益によって戦いに勝ち続けたという
『妙見感応清正真紀』などもつくられ、神格化が進み、
庶民によって武運長久・出世祈願に清正が出世の機会をつかんだ
賤ヶ嶽の戦いの絵馬が奉納されるようになりました。
最後に③近代と清正。
このコーナーでは近代と清正の関係を展示しています。
明治維新後、反徳川であったこと、豊臣秀吉に忠義をつくしたことなどによって、
清正の評価は高まり、錦絵などが書かれ、ついには教科書で取り上げられる
人物になります。清正の虎退治の場面を描いた錦絵をはじめ、
尋常小学校の教科書などを展示しています。
また、清正信仰は海外にも広がり、戦前まではハワイにも祀られています。
ハワイで清正像を作る際に使用したと思われる下絵も展示してあります。
この下絵は清正の等身大だといわれています。
清正のイメージは時代によって大きく異なっていくものであるということを
400年にわたる清正信仰に関する資料を通してみていただきたいと思います。
清正は時代を、熊本を表象するものとして変化していきます。
面長で思慮深い姿で描かれたり、あるいは凛々しい武将の姿で描かれたりします。
これから熊本は新幹線の全線開通や政令指定都市化ともなって
大きく変化していきます。そこで、清正を通して熊本の過去の姿を見てもらい、
熊本の未来について考える少しでもヒントになれば良いかと思っています。
今回の展示で伝えたいことは何ですか?
7月24日には熊本大学の吉村豊雄教授による
「最新の加藤清正研究を語る」という講演会がなされました。
この講演会では、従来いわれているような清正のイメージを
くつがえす話がなされました。清正の肥後統治は蔵入地を
中心とした支配に過ぎず、飽託郡にしか権力がおよばなかったため、
「肥後藩」=「加藤藩」ではなかったというものでした。
そして、熊本城の築城などの普請ラッシュにともなって財政難になり、
家臣や百章は疲弊し、忠広の時代に幕府は領国安定をめざし介入したが、
家臣団の対立をまねき、加藤家の改易につながったのでは
ないかという話がなされました。
また、8月7日には本妙寺の副住職の池上正示氏による
「加藤清正公と本妙寺」という講演会がなされました。
この講演会では清正公の霊廟がある本妙寺の成り立ちと、
近代以降の清正公信仰の歴史についてもふれていただきました。
8月21日には加藤神社の宮司の湯田榮弘氏による
「神になった清正公―加藤神社の創建とその変遷―」という講演会が
なされる予定です。この講演会では明治維新後、
神仏分離令・鎮台の設置・西南戦争などの歴史的な出来事に
翻弄されながらも神社として人々の信仰を支えてきた加藤神社の
あゆみについて講演していただくつもりです。
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熊本市立熊本博物館
住所:熊本市古京町3-2 TEL:096-324-3500
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