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12/9「サム・クック」

今日はレイ・チャールズ、ジャッキー・ウィルソン、

ジェイムス・ブラウンと並んで、ソウルのパイオニア、

ビッグ4のひとりと称され、

その中でもアメリカの黒人音楽の長い歴史において後輩シンガーへ

与えた影響の大きさでは他の追随を許さないことから

“ミスター・ソウル”と呼ばれる「サム・クック」を紹介しました。

例えば、60~70年代に活躍したソウル歌手に“好きな歌手は?”と聞けば、

10人が10人とも“サム・クック”と答えるほど。

特にオーティス・レディングが心酔していたのは有名な話です。

ただ、何故彼がこれほどまでに愛されるのか、

特にここ日本では解りにくかったのです。

ゴスペル界の大スターが世俗に転じて成功した最初の例であるとか、

ソウル音楽を確立させたこと、ほぼ全ての曲を自分で書いており、

その作曲能力が素晴らしいことなど、それらを十分に認めた上で、

“でも肝心の歌手としての力量はどうなのだろう?”という

疑問があったのも事実だからです。いえ、声質はとても美しいし、

歌い回しもすごくテクニカルで、うっとりするほど上手い歌手ではあるんです。

ただ、時代背景から仕方ないのでしょうが、

アレンジや歌い方が黒人ぽくなく、かなり白人向けに寄り過ぎている

曲が多く、ソウルならではのラフでダイナミックな激しさが

足りないように思われていたんですね。

加えて彼は1964年に若くして亡くなっていて、

日本でオーティス他のソウル人気が高まった頃には既に

この世に存在せず、情報がほとんど入手できなかったことも

不利に働きました。そんな彼の評価が一変したのは

死後20年以上経た1985年。1963年のライブ音源が発掘されたのです。

生前にもライブ盤はあったのですが、

それは白人向け超高級クラブでのもので選曲も歌い方も

ポピュラー歌手然としたものでした。(それでも十分素晴らしいのですが)。

ところが、こちらはハーレムの黒人クラブでのもの。

これを聞いて世界中がブッ飛びました。白人が一人もいない会場で

サムがどんなパフォーマンスを見せていたか。とにかく凄いです。

それまでの音源が、“柔”のサム・クックとすれば“剛”のサム。

これを聴けば、“柔”の部分の凄みもより解かるようになります。

やっぱり“ソウル・シンガー”としても超一流だったのです。

オーティスやロッド・スチュワートなどが“とにかくサム・クックが1番”

と言うのも大納得。このライブでは曲間のMCがまた最高。

MCからもう既に歌になっています。

さて、彼が33歳の若さで亡くなったのは1964年12月11日。

そしてこれは射殺されたもので、相手は正当防衛の無罪でした。

人種差別がまだまだ横行していた時代、

黒人社会の英雄だったサム・クックだけに様々な

疑惑が囁かれていますが、真相は今なお謎に包まれています。

今日お届けした曲は「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」でした。