エポック社「野球盤」のヒミツ
今日は、エポック社の「野球盤」のヒミツに迫ります。
ご出演は、株式会社エポック社の平野大輔さんです。
~~~~~~株式会社エポック社 会社概要~~~~~~
昭和33年に設立された、玩具、ホビー、雑貨などの開発、
製造ならびに国内販売および輸出入を手掛ける会社です。
野球盤やシルバニアファミリーでおなじみの玩具メーカーです。
「エポック社」の社名の由来を教えて下さい。
エポックメイキングなものを作りだしたいと思いをこめて命名されました。
「エポック社」というと「野球盤」が大ヒット商品として思い浮かびますが、
どんなきっかけで開発されたんですか?
当時、戦後の復興に合わせて、野球人気の高まりは目覚ましく、
娯楽の王者を占めようとしていた時期であり、
また、エポック社創業者 前田竹虎自身、幼少時代に
叔父の家にあった輸入物の野球ゲームに熱中した思い出もありました。
それまでもパチンコゲームのような野球ゲームは存在していましたが、
球を投げ、球を打つ、そんな野球の一挙手一投足を忠実に反映した
野球ゲームの開発に前田は腐心した結果、
ついに、バネを利用して球を発射し、
ゼンマイを使ってバットを回転させることによって、
それらの動きをリアルに再現することに成功したんです。
そこからさらに改良されたそうですね?
前田の本物志向はこれだけにとどまらず、
盤上に立てられる選手を模したピンはこけし職人により作られ、
盤自体も家具職人によって作られた本格品でした。
そのため、最初に発売された1号機は、58cm四方という、
当時の玩具の中にあってはかなりの大型で、
また、値段も当時の大卒初任給が1万2千円程度だった時代に
1750円という破格の価格設定でした。
実際の売れ行きはいかがでしたか?
このような規格外の商品に問屋筋などは不安をもったが、
前田は自らの考案した野球盤を世に問うべく、
エポック社を設立して、販売をスタートさせました。
しかし、結果は予想外に好調で生産が追い付かないほどとなり、
不安は解消されました。
当時の広告も話題になったそうですね?
野球盤と同年にデビューし、初年度、いきなり本塁打、打点の二冠王、
翌年も首位打者と早くも球界を代表するスター選手となっていた
「長嶋選手」を広告に起用させてもらいました。
しかも、前田は何と、一面識もない長嶋を直接訪問、直談判で、
この出演交渉をまとめたんです!
同時に玩具業界では初となるこのTVコマーシャルも
昭和35(1960)年に放映しました
その一方で、前田はまた、商品改良にも余念がありませんでした。
発売初年度には盤面を紙製にして、より安価なB型を開発、
翌年には早くも、磁石を使ってカーブボール、シュートボールを
投じられる機能が搭載されました。
その後、他社から類似商品が発売されたりして苦しい時期もありましたが、
日本は高度成長期に突入、玩具のマーケットも拡大して、
野球盤はゲームの定番商品として定着していきました。
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