荒尾市:宮崎兄弟資料館「安田信彦」館長
今日は荒尾市にある宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館の
「安田信彦館長」がゲストです。
今年は辛亥革命100周年ということで、
関連イベントもいろいろと行われていますが、
今日は、情熱をもって生きた宮崎兄弟について、詳しく伺いました。
宮崎滔天はどんな家庭で育ったのか、
宮崎家の精神について教えてください。
宮崎家の遠祖が荒尾村へ初めて姿を現すのは遠く正保4年と伝えられています。
反骨精神のたくましい宮崎家は村人を博く愛し、
旦那と尊敬される名望家でした。
父政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、弱者に対し豊かな
同情を傾けた。母佐喜も同情心が強く、また教育熱心であり、
「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と子ども達に教えました。
地域のリーダー・使命感をもとに過ごしていたと思います。
滔天は宮崎家の八男でしたが、
宮崎家の家庭環境について教えてください。
宮崎兄弟の中で有名なのは、二男の「八郎」です。
自由民権思想を持つ彼は、残された兄弟の方向性を決めました。
滔天も幼少の頃からその動きをみていましたので、
自分も”人助け・四民平等というのが自分の使命”だと幼い頃から
自負していたようです。
滔天以外の兄弟もいろいろな活動をしていまますよね?
六男「民蔵」は、宮崎家は地主であるというのに、
平等に”土地を共有するよう”、
自分の利害と反する行動を行なった哲学者であり思想家です。
七男「彌蔵」は、滔天がアジアの革命に目を向けるきっかけとなる、
思想を唱えていました。アジアの中心である中国が民主化をはかることで、
ヨーロッパの侵略からアジアを守り、
ひいては世界を守るという思想家でした。
また、滔天と孫文の橋渡し役を果たしています。
そんな兄弟の仲で育った滔天が孫文とどう関わったのか教えてください。
”物””心”ともに支援したということなですが、
孫文とは出会いの時から彼の理念に非常に共感して、
私利私欲なくサポートしてきたようです。
滔天は後に浪曲師となったそうですが、「三十三年の夢」について、
この本は中国の革命においてどんな役割を果たしたのでしょうか?
自分が革命の途中で挫折(革命自体も)し、
運動から少しはなれた時に生活費稼ぎで浪曲師になったわけですが、
その時に三十三年間歩んできた反省を紹介したわけです、
それが当時1万人いたという中国の留学生らの中で注目され、
孫文のことを求めて滔天のところをたずねるきっかけとなりました。
結果、孫文をリーダーとする中国同盟会が成立し、
その後辛亥革命が成功しました。
ということは、滔天の存在がなければ、孫文とのつながりもなく、
そうでなければ辛亥革命の成功もあり得なかったと思います。
荒尾市にある宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館では
どんなものを見ることができますか?
来週10月10日(月・祝)、荒尾総合文化センター 大ホールで
「辛亥革命100周年記念事業
宮崎滔天と孫文~荒尾の偉人をたずねて~」という
創作ステージが行われます。
案内人として安田館長と、「県庁ダイアリー」でおなじみの
橋本絵鯉子さんが出演されます。
宮崎兄弟についてより深く触れたい方はぜひ足を運んでください。
ステージは午後1時30分開場、2時開演。
チケットは前売り 一般1,000円、高校生以下500円。(当日は各200円増し)
また荒尾市宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館は荒尾市荒尾949-1
荒尾駅や荒尾市役所の近くにあります。
午前9時30分から午後5時まで開館していますので、
こちらも訪ねてみてください。
荒尾市のHPより
http://www.city.arao.lg.jp/kihon/pub/default.aspx?c_id=66
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
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