「セイカ食品株式会社」のヒミツ
企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「ボンタンアメ」でおなじみ「セイカ食品株式会社」のヒミツに迫ります。
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お話をうかがいましたのは、セイカ食品株式会社 製菓部
牧迫 昭郎さんです。
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~~~~~セイカ食品株式会社 会社概要~~~~~
セイカ食品株式会社は、
明治36年に菓子問屋「松浦屋商店」として創業(今年で109年目)
大正15年 ボンタンアメの製造・販売開始(今年で86年)
昭和6年 兵六餅の製造・販売開始(今年で81年)
昭和34年 セイカ食品株式会社に社名変更
主に南九州エリアでの菓子・アイスクリーム・冷凍食品の卸・物流業務
菓子・アイスクリーム製造・関連会社セイカスポーツセンター・
セイカライフサポート(介護事業)等に携わっている会社です。
セイカ食品株式会社HP:http://www.seikafoods.jp/
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Q① 「セイカ食品」という社名の由来を教えてください。
大正8年 松浦屋商店を発展的に改組。鹿児島菓子株式会社を創立。
昭和3年 鹿児島製菓株式会社に社名変更
昭和34年 セイカ食品株式会社に社名変更
会社概要の中でも記してありますが、昭和34年までは鹿児島製菓という
社名でしたが、取引先様から社名が長いので「せいかさん」と呼ばれることが多く、
これを社名にしました。
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Q② 「セイカ食品」の大ヒット商品といえば、「ボンタンアメ」ですが、
この商品はいつごろ、どんなきっかけで作られたものですか?
また累計でどのくらい売れていますか?
鹿児島菓子(株)時代に水飴製造を営んでおりましたが、その水飴で作った
朝鮮飴(熊本ではおなじみ)を工場の社員がハサミで細かく切り遊んでいたのを
創業社長が見てヒントを得たのが発端で
それに着香、着色してキャラメルと同じ形態で発売いたしました。
昭和18年からは戦時中で原材料が入手困難となり休業状態となり、
20年には焼夷弾爆撃を受け 本社・工場設備全焼。22年頃より逐次再興しつつ
菓子製造販売を開始しております。営業資料なども全て焼失してしまいました。
そのため、累計は不明であります。
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Q③ 「ボンタンアメ」の開発のポイントはどこでしょう?
・当時 森永ミルクキャラメルが売れていたこと。
・朝鮮飴製造が基礎になっていること。
・当時は鹿児島で身近な食材である
文旦(ボンタン・ブンタン・九州北部ではザボン)を使用したこと。
・オブラートで包装した形態であったこと。
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Q④ 同じく「セイカ食品」の人気商品「兵六餅」。
この商品はいつごろ、どんなきっかけで作られたものですか?
「兵六餅」は昭和6年当時、鹿児島に見るべき土産品が少なく、
薩摩文学の中で最も秀逸にして愛読されている「大石兵六夢物語」の
ような良い土産品をと創製されたお菓子であります。
郷土文学普及の一助に、観光客の帰郷の土産話にという創業社長の願いがあります。
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Q⑤ 「兵六餅」の開発のポイントはどこでしょうか。
・物語にちなんで創製された。(物語の世界観を味で表現した。)
・その風味は物語同様、かめばかむほど味わい深い。
他に類似のないオリジナル風味「きなこ・のり・まっちゃ味」
例えると「得もいわれぬ味」
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Q⑥ そのほか「セイカ食品」の製品に関する
なにか面白い開発秘話エピソードなどあればお願いします。
・発売当初は陣羽織に旗差物といういでたちでチンドン屋部隊を結成し、
全国に繰り出した。(九州から本州へ1県ずつ地道に全国をまわった)
・昭和3年には1機5千円で軍用機を払い受け全国の空から
ボンタンアメをまく計画を立て、事前に盛大に壮行会まで開いたが、
資金繰りがつかず実現しなかった。
・戦後、兵六餅の製造再開を申請したところ、GHQより兵六が
お尻を出した絵柄が下品と指摘され、「パンツをはかせろ」との問答もあったが、
二代目社長が「これはジャパニーズパンツである!」と断固反対し、現在に至る。
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Q⑦ そのほかにもいろいろな商品がありますよね。
・ボンタンアメ・兵六餅の姉妹品として「さつまいもキャラメル」「むらさきいもソフトキャラメル」
「ブドウアメ」「パイナップルアメ」「リンゴアメ」「さくら餅アメ」「しょうがアメ」等があります。
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本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
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