「NPO法人インドに幼稚園を作る会」
企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」
1月31日までの10回にわたって、
スペシャル・バージョンでお送りしています。
題して「会社のヒミツ・NPOスペシャル~新しい公共~」。
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あなたは、「新しい公共」という言葉をご存知ですか?
子育て、環境、まちづくりなどの、わたし達の身近な分野で、
市民、NPOや企業などの様々な団体が
地域の問題に取り組んだり
住民のニーズに合ったサービスを提供するなど、
皆で支えあう仕組みを作っていくことです。
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この時間はそのような「新しい公共」を知ってもらうために
その担い手として活動しているNPO法人をご紹介していきます。
4回目の今日は「NPO法人インドに幼稚園を作る会」の
理事長 大久保 美喜子さんにお話をうかがいました。
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Q ご出演頂く方のプロフィールを教えて下さい。
氏名:大久保 美喜子
組織名:インドに幼稚園を作る会 所属:理事長
Q 組織の基本情報を教えて下さい。
インドに幼稚園を作る会 会員数 今年度 会員数 62名
今年度の総会案内を送らせていただいた方々
天草内 男性13名 女性26名 計39名
熊本県内 男性17名 女性28名 計46名
県外 男性12名 女性13名 計25名
合計110名の方へ お出ししました。
その他 賛助の方々を含めると シンガポールやアメリカにもいて下さいまして、
200名ほどいらっしゃいます。
連絡先 電話 0969-23-1459
ホームページ http://india-kindergarten.org/
http://hp.amakusa-web.jp/a0853/MyHp/Pub/
インド・ムンバイ市 のカマティプラエリアに 売られてきた少女たちが産んだ
子供たちのための幼稚園を作り、運営しています。
インドの寒村、バングラディッシュ、ネパール、アフガニスタンなどから
貧しい家庭に生まれた少女たちが売春街に売られてきて
やがて子どもを産みます。
母子感染でのエイズなど深刻な病気にかかったり、
このエリアで産まれた子どもたちは不衛生で悲惨な境遇で
生きていかなければなりません。
子どもたちや、売られてきた少女たちにとってこのエリアでの生活がすべてです。
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Q 組織の活動目的を教えてください。
インド・ムンバイに売られてくる少女達が産んだ
子ども達のために幼稚園を設立・運営することを考え創設しました。
少女たちの多くは貧困のために、アフガニスタン、ネパール、バングラディッシュ
また、インドの寒村から女衒などの甘言によって売られてきます。
雇い主の暴力やエイズの恐怖に怯えながら 彼女らが身を売ったわずかなお金は、
故郷に暮らす弟達の食費や学費になったりしています。
少女たちが働く売春宿で産まれた子どもたちは、売春街やスラム街で
暮らしています。
無知、無学のために起こる貧困の連鎖を断ち切るための一つの手段として
幼稚園を作っています。
(2001年8月)最初に作った幼稚園は 女衒などの妨害にあって
5か月で止めざるを得ませんでした。
(2003年2月) ムンバイ市ウォークランド通りに 幼稚園を開園
カマティプラエリア(売春街)に現在 2つの幼稚園があります。
協力はNGO アップネ・アップ
また、ムンバイ市の全域のスラム街で活動するNGOスネハと協力し
2つの幼稚園を作る計画があります。
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Q このNPOは、いつごろどんなきっかけで結成されたものですか?
2000年 新聞記事「21世紀 共に生きる」の特集に
インドに売られてくる少女たちが「奴隷化される少女」として載っていました。
私は郷土の女性史「からゆきさん」を研究していましたので、
「からゆきさん」と同じ 構図 (騙されて売られる・貧しさのために売られる・
親兄弟を助けるために自ら身を売る)と全く同じであることに気づき、
その記事をただ読み終えて通り過ぎる、ということができませんでした。
インドに行かねばならぬ!と思い込み 新聞記者の方の通しインドへ行きました。
少女と会いました。17歳ということでしたがもっと幼く感じられました。
売られてきた少女たちは 女衒の暴力やエイズ感染におびえながらも
子どもを産むのです。その子どもたちには
どんな未来があるのだろうと思った時に、子どもたちにも連鎖するであろう、
無知無学を止めなければと考えて、売春街に幼稚園を作ろうと思い立ちました。
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Q 具体的にどんな活動をして、どんな実績をあげていますか?
約10年間の卒園児は200名です。ほとんどが小学校へ上がっています。
母親たちが 学校へ行かせようとする意識がないと学校へやれませんから
母親たちの説得もしなければなりません。
学校へ行って勉強して「母親を助ける」というのが子どもたちの夢ですから、
その夢に一歩ずつ 近づいていているのと思います。
幼稚園の卒園児童に 母親の職業を継いだ子どもはいませんし、
男の子でもスリやドラッグの売人など通りをたむろする子はいません。
毎年一度は、インドへ行って子どもたちと会い、
一緒に絵本を読んだり踊ったり、折り紙をして遊びます。
机も椅子も 教育的な設備は何もないですが、幼稚園で、
基本的な生活習慣を学べることも子どもたちにとっては 普通に生きていける基本です。
手の洗い方、石鹸の使い方。食事のときは、準備ができるまで黙って待っているのよ。とか、
お風呂の入り方など。通常であれば 母親が教えるべきものですが、
幼くして売られた彼女たちには 教えるスキルが身についていません。
母親が仕事をする間 息を殺してベットの下でことが済むのを待っています。
まず、学校へ行けるようになったこと。
そして、生きるための基本的な生活習慣を身に着けること。
それから、子どもらしく飛び跳ねてはしゃぐこと。
幼稚園に来れば、これらができます。
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Q 活動を通じて、どんな点が苦労していますか?
カマティプラエリアは 売春街です。非常な危険なエリアで、
私は 髪が長くお尻に届いています。
丸顔で色が白いので、ネパール人に間違われます。
ネパールから売られてきた少女を連れ戻しに来た活動家と思われて
その場が張りつめたことがありました。
また、言葉がわからないので 私たちが通り過ぎた後、
私の後ろ姿に「あれは、いくらで売れる」と話していたと通訳の人が教えてくれました。
年に一度インドへ行って子どもたちに会い、家庭訪問をさせてもらいますが、
ネズミの死体や ごみの臭い。また、ダニに飛びつかれます。
19世紀イギリス統治時代からの建物の中、ここにくらす子どもたちです。
子どもたちと一緒にいて 私が感じる苦労はあまり感じませんが、
母親の一人に「日本へ連れて行って 教育を受けさせてください」と言われた時は、
彼らを救えない自分に歯がゆさを感じました。
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Q これまでの活動の中で、最も印象深いエピソードをお願いします。
ひどく痩せたお母さんが 幼稚園へ子どもを迎えに来ました。
(朝は11時にスタッフが子どもたちの家庭に迎えに行きます。
幼稚園が終わるころ、昼2時ごろ、母親たちが迎えに来ます)
ひどいやせ方だったので、スタッフにたずねましたら、「エイズにかかっている」と
答えてくれました。(園児にも陰性の母子感染罹患者が3名います。)
エイズに罹っているとわかってしまうと、仕事ができませんので。
そのお母さんは、幼稚園から表に出て、そのまま歩き続けることができず、
通りに横になりました。車の往来のほうに背を向けて
子どもを壁際に座らせていました。
それでも子どもを守ろうとする母親の気持ちに 涙が出ました。
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Q 今後の夢などがあれば、お願いします。
新たに、デカン高原で モリンガ栽培事業を起こしました。
子どもたち、少女たちが売られなくてもいいように、村で雇用の場を作り
地域の活性化、貧困の撲滅、栄養不足の解消、子どもたちの教育機会の拡大、
地域の環境へささやかな貢献ができればと願っています。
自立した社会で 子どもたちが、また、母親たち、地域の方々が生きていけるように。
子どもたちが明日に希望が持てる社会が実現できるようにしたい。
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Q 最後に一言お願いします。
日本では 写真展を開いたり、学校などで講演をさせていただいたりしています。
より多くの方々に 私たちの活動を知っていただきたいです。
先日天草市の新和中で生徒のみなさんや保護者の方に話をさせていただきました。
NPOの活動がわかったなどと、感想をいただきました。ありがたいと思います。
多くの方々に ご理解いただける会に成長したいと思います。
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本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓