熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 石原明子先生
あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
今月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」。
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
第3回の講師は石原明子先生です。
Q①お名前と職業・所属を教えて下さい。
名前:石原明子(いしはらあきこ)熊本大学教員(准教授)
所属:大学院社会文化科学研究科
プロフィール
東京都生まれ。
国際基督教大学教養学部理学科卒業(教養学士)、
京都大学大学院文学研究科修了(文学修士)、
カリフォルニア大学バークレー校公衆衛生大学院修了
(公衆衛生修士)、
イースタンメノナイト大学大学院紛争変容・
平和構築大学院資格(修復的正義・開発学)
京都大学大学院時代の高校非常勤講師の時代に
教師が天職だと感じ、自分で将来は学校を創りたいと思う。
が、なぜか、大学院修了後、国立保健医療科学院、
国立精神保健研究所など厚生労働省の3つの研究所で
医療政策研究の分野で10年働く。
その10年の中で、教育にも使えて、高齢化や平和といった
持続可能性の問題の解決にも使える
紛争解決学の分野と出会う。
2008年より熊本大学大学院社会文化科学研究科准教授
(紛争変容・平和構築学)。
イースタンメノナイト大学では、修復的正義の祖父と
呼ばれるハワード・ゼア氏のもとで学ぶ。
Q②石原先生の専門である「紛争解決・平和構築学」とは、
どんな研究ですか、わかりやすく教えてください。
一言でいうと、対立や葛藤を入口にして、平和や幸せ、
持続可能性への扉を開く学問です。
対立や葛藤や紛争は、普通は、平和や幸せや持続可能性を
さまたげるもの、と私たちは思いがちです。
しかし、もし、対立や葛藤こそが、社会の平和や
自分や他人の幸せや、関係性や社会の持続可能性の
カギを握っているとしたら、どうでしょうか?
面白いと思いませんか?
紛争解決学では単に目の前の紛争や葛藤がなくなれば
よいというだけでなくて、そこを入口にして、
より平和な社会(平和な社会というのは、
単に争いがないだけでなく、自分も他人も含む
すべての人が生き生きと幸せに生きられる状態)を
築いていこうとする学問なのです。
紛争解決学では、紛争は幸せへの入口、
紛争が幸せへの扉を開く、と考えています。
(それがなぜかというと、10個くらい理由があるのですが、
一つには、紛争や対立は、最も他者と強く深く
出会う瞬間です。ガキ大将同士が喧嘩の後に大親友に
なるということがあるように、対立や紛争は、
もしかしたらその他者と最も深い関係を結ぶ
きっかけになるかもしれません。
また、私たちは他者と出会って、自分が何者かを
深く知るチャンスをもらいます。
相手を好きだ、嫌いだいと感じるということは、
そう感じる自分と深く出会うチャンスでもあります。
また、対立は、それまで関係性や組織・地域で
潜在的に抱えてきた問題が表に顔を出すチャンス、
つまり、関係性や組織や地域をよりよくする
チャンスかもしれないということです。
Q③石原先生がこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。
小学校の卒業文集で、将来の夢は「国会議員になって
戦争の100パーセントない平和な世の中をつくること」と
書きました(笑)。
でも、どうやって平和な社会をつくっていいのか
わからなかったし、大人になれば、戦いや葛藤のない
社会や人生なんてありえないし、むしろ、それが
生きるということだ、ということに気付き始めます。
わたしは、大学受験のころ、ちょうど自分の人生観や
世界観がひっくりかえるような経験をしました。
それまでの自分の人生観や世界観が否定されて
悩んでいる最中は、とっても苦しいのですが、
悩みぬいた結果、もともとの自分の世界観と、
それを否定した自分の敵ともいえる世界観の両方が
両立するような新しい世界観にたどり着いたとき、
なんか自分が生まれ変わったような
新しい人生が始まるような気持ちがしました。
大学院生のころ、お金がなかったので、
いわゆる“不良”が集まる高校の非常勤講師を
していたのですが、生徒と共にいる(格闘している?)
時間は、理屈を越えて幸せでした。
生きているという感じがして、天職だと思いました。
その過程を通じて、教育とは何であるべきかを
考えさせられました。
そのときに、生きるということは、常に自分と
異なった他者と出会い、影響し影響され、
変化して人は生きていく。
その出会って変化していく過程を
しっかり生き抜いていける力が人生では大切だし、
それは、様々な人がともに生きる
この社会の平和ともつながる。
そんな「異なる他者(価値観)と出会って、
ぶつかって、変化する」過程を生きる力をつける
ことができる学問はないだろうか、
と模索していた中で、紛争解決学と出会いました。
Q④石原先生の研究テーマについて
<紛争解決学について>
1.紛争解決学の大学院には
どのような方がこられているのですか?
法律関係の方々が多いのでしょうか?
そんなことはありません。私たちの日常には、
どの場所でも、対立や葛藤や問題が経ち現れてきます。
私たちのコースは、社会人大学院なので、
20代から60代までの様々なご職業の方が
学生として学んでいます。
これまでは、医療事故や安全を扱う看護師、
いじめ等専門の学校教員、企業経営者、家事調停委員、
政治家、損保会社の交通事故加害者代理交渉人、
消費者紛争相談員、組織開発ファシリテーター、
僧侶、元自衛官、介護福祉士、
鍼灸師、NPO代表などの方々がおられます。
2.紛争解決に向いている人ってどんな人ですか?
やっぱり、マザーテレサやガンジーのような
こころの清らかな人
あるいは人格者でないと無理なのでしょうか?
こころの清らかな人や人格者しか
紛争解決をできないとしたら、紛争解決学が
存在する意味はないと思います。
私たちは、だれでもが対立や葛藤を解決していく
能力の種を持っていると思います。
マザーテレサやガンジーのようなすごい人
だけでなくても、だれでもが対立や葛藤に向き合って
よりよい人生や関係性や社会をつくって
いけるための知恵が紛争解決学にはある、
それを学んでいただきたいと思っています。
3.紛争解決学を学ぶと、どんないいことがありますか?
紛争解決学を学んでよかったと思うことは、
自分自身が生きることが一番楽になったことですね。
やっぱり、もめごとや葛藤や対立って、嫌なもので、
誰かからひどいことをいわれたり、攻撃されたりしたら、
傷つきますよね。でもそんなときに、
なんでもめごとや対立が起こるのかというメカニズム・
秘密を知っていれば、なーんだ!と
気が楽になるかもしれませんし、解決のための方法を
知っていれば希望がもてますよね。
他の人の葛藤や対立の解決の旅路をご一緒させて
いただくことも、その方々の人生の旅路を
本当に濃く同行する旅で、人間がもっと好きに
なることがあっても嫌いになることは
あまりないかもしれません。
4.誰にでも簡単にできる
紛争解決の知恵があったら教えてください。
(1)ウィンウィン解決
ウィンとは、勝つという意味の英語です。
普通、対立だと、勝ち負けという結末しか
思い浮かばないですが、両方が満足できる解決策を
探す秘訣です。
例えば、両者が一つのものをほしがったとしましょう。
そのとき、お互いに「どうしてそれがほしいのか」と
いうことを聞いてみます。そして、
その「ほしい理由」の方に焦点をあてて、
その両者の「ほしい理由」となっている部分
(ニーズと呼びます)を満たす別の選択肢を
探してみる、そして両方が満足できる
第3の選択肢を探すというのがウィンウィン解決です。
(2)押してダメなら、引いてみよう
もめたとき、「ここでひっこめたら、負けだ!」
「ここで力を抜いたら負けだ」というときは結構あります。
そんなとき、ちょっと、実験だと思って、
引いてみる、一瞬、相手の立場に立ってみて
なんでそんな主張を相手がするのかな、と
一呼吸つきながら思いを巡らせてみると、
急に新しく状況が展開するというようなことがあります。
(3)コミュニケーションチャンネルを変えてみよう
誰かとのやりとりや、あるいは自分自身の中で
行き詰ってしまったときに、コミュニケーションの
チャンネルを変えてみるという手法があります。
私たちは、言葉
(書き言葉もあれば、話し言葉もあります)、
視覚(絵、動き、におい、音)、触覚など様々な
コミュニケーションのチャンネルを持っていますが、
一つのチャンネルで行き詰ったら、
違うチャンネルでコミュニケーションをとってみたり、
考えてみると、展開することがあります。
(4)敵が先生だ!問題こそが先生だ!
紛争解決学では、その抱える紛争や問題、
こそが先生だ、という考え方があります。
たとえば、会社の中で、全然働かないサボっている
同僚がいて、「あんたばっかり手を抜くから、
いっつも私ばっかりに仕事がかぶってきて」と怒りを
感じているとします。この場合、問題や敵が先生だ、
ということはどういうことでしょうか。
つまり、一生懸命に働いているその人
(マジメ子さん)にとっては、その問題のある人に
見習って「サボる」のが答えだ、
ということになります。
それにはいくつかの理由があります。
つまり、怒りを感じるということは、
疲れている、休みを必要としていることを
知らせてくれている、ということです。
だから、少し「働かない」「サボる」「休む」ことが
その人に必要と教えてくれています。
次に、敵・問題の人は、マジメ子さんにとって
新しい生き方や価値観の可能性を教えてくれていると
いうものの見方ができます。
それまでマジメ子さんは、会社に入ったら一生懸命に
働かなきゃいけない、という価値観で
生きてきたかもしれません。
そのような生き方を続けていたら、
もしかしたら将来過労死をしてしまうかもしれない、
そんなときに、一生懸命働くのもいいし、
少しサボる生き方もいい、と2つの生き方を
選べるようになると、マジメ子さんの人生はより
豊かなものになりえます。
第3に、組織の中でのこととして、
マジメ子さんが少し働かなくなると、
サボっていた人が急に働き始めることも起こりえます。
サボり子さんは、もしかしたら、
もう少し仕事をしたいと思っていた、
あるいはもう少しする能力はあったのに、
サボり子さんより優秀なマジメ子さんが
いつも一歩先に仕事をしてしまうので、
つい手を出せないでいて、その関係性が
固定化してしまっていたのかもしれません。
Q⑤<具体的な研究テーマについて>
1.石原先生の具体的な
研究の内容について教えてください。
紛争解決・平和構築学全般を扱っていますが、
その中でもとくに、「修復的正義」という分野が
一番の専門です。誰からが誰かを傷つけてしまったときに、
そこから、どのようにしてそのことに向き合って
関係性を修復していけるのかといった分野です。
例えば、犯罪や事故などによって、
誰かが誰かに被害をもたらしてしまったときに、
単に加害者が法律で裁かれて刑を受けるだけでは、
被害者が癒され、加害者がしたことに
責任をとったり反省して次の人生に向かって
いけるというわけではないのではないでしょうか。
修復的正義では、被害者が癒されるためには
どんなことを必要としているか
(加害者にどうしてほしいかということも含めて)と
いうことに真剣に耳を傾け、それに向かって、
加害者ができることは何なのか
(したことに責任をとる)を加害者自身が
しっかり考え、加害者がその責任をとって
いけるように周りからもしっかりサポートして
いくというような哲学です。
通常の裁判等の制度では、被害者と加害者が
直接コミュニケーションを取ったり対話をする
プロセスというのはほとんど考えにくいのですが、
被害者によっては、加害者と直接会って、
話をしたい、真実を直接聞きだしたいという
気持ちを持たれる方もおられます。
そのような場合に、被害者が加害者に聞きたいことを
聞き、その被害を受けたことで被害者の人生に
何が起こったのかを加害者に直接伝え、
加害者がそれを聞いて自分がしたことの意味に
向き合い、責任をとっていくという対話の
プロセスを支援します。
被害者も、加害者に対して直接向き合って
行動をしていくことで、癒しや力の回復が
やってくることもあります。
傷つけられた関係性を修復しようとすれば、
ただ水に流すだけでなく、起こったことや
してしまったことに向き合い、責任をとり、
もっと良い未来に向かってどうしていったらいいのか、
これからどう生きていくのかということに
真剣に向き合っていく必要があります。
そのような取り組みを、被害者も加害者も
人間であるという視点から、
支援していこうという取り組みです。
このような哲学は様々な分野に応用されます。
特に、学校の中での子どもの問題行動や
あるいは少年犯罪などは、適用されることで
効果があることが多いようです。
大人の犯罪や事故などの加害について
適用する動きもあります。
交通事故や医療事故にも適用できるでしょう。
また、地域社会において、地域の企業が地域住民に
迷惑をかけてしまうような公害事件や
原発事故ような場合にも重要な視点となると
思われます。外国では、内戦後の和解などに
応用されます。つまり、誰かが誰かを
傷つけてしまったときに、それでもなお、
共に生きていかねばならないというような
状況の時には、このように起こったことや
してしまったことに向き合って、
責任を取りながら、関係性を修復していくと
いう営みが重要になります。
2.具体的にはどのような場面での修復的正義や
紛争解決・平和構築の研究や実践を
しておられるのですか?
今一番力をいれているのが、震災による
原発災害からの再生にこの考え方を応用する
という営みです。
私たちの生活に必須である電気をつくる産業によって、
決定的で甚大な被害が及ぼされてしまったのが
原発事故です。
また、その中では、加害者と被害者の関係というのも、
非常に複雑です。まず第一に、加害者としての
電力会社と被害者としての被災者という
構造があるのはもちろんですが、地域では、
一人の人が電力会社の社員でありかつ
被災住民であったりもします。
と同時に、東京や関東民の電気を作っていた
東京電力が主に東北の地域を汚染してしまったと
いうような構造もあったり、また、同時に、
電気を使って生活しているという意味では、
この文明を享受するすべての市民・国民が
考えていかねばならない問題も突き付けられています。
原発事故の問題は非常に複雑で、おそらく、
裁判や既存の制度による補償だけで片付かない
本質的な現代社会の問題を私たちに
突き付けているのだと思います。
そのような複雑で本質的な課題に向き合うときに、
この修復的正義や紛争解決・平和構築の
考え方が役立ちます。
またそのほか、学校での暴力やいじめの問題に、
この修復的正義の考え方を応用する研究も始めています。
また、私たちの研究室には、医療事故や交通事故に
この考え方を応用する研究をしている人たちも
います。弁護士の方々で被害者支援をされている
方々との修復的正義に関する交流も始まっており、
今後展開を心待ちにしているところです。
あと海外では、私はナイジェリアの内戦地での
平和構築のために修復的正義を応用していく
研究にも取り組んでいます。
内戦地では地域住民が暴力をふるったり
殺しあったりということが起こるわけですが、
そのことによる癒されない傷や関係性が、
復讐という形で次の暴力を生んで行きます。
それを暴力による復讐でなく、
対話による正義の確立(修復的正義)を
支援していくことで、暴力の連鎖を
食い止めようという営みです。
Q⑥これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
今、東日本大震災による原発災害下の問題に
取り組んでいます。震災後に、実際に福島や
近県にも何度も通い、また、震災後に熊本に
引っ越してこられた方々と出会って、
お話を伺ったり、その問題解決のための
取り組みに共に取り組んだりしています。
なぜ、紛争解決・平和構築の人間がこの問題に
かかわってるかについてはいくつかの理由が
あります。第1に、原発災害の厳しい状況の中で、
原発災害の被災地域や被災された方々の中では、
今、多くの対立や人間関係の分断が起こって
しまっています。これは非常に残念なことに、
水俣病の歴史の中で起こった地域社会の分断と
似たことが起こってしまっています。
第2に、紛争解決は平和の実現を目指す
平和構築学とコインの裏表といいましたが、実際に
人々が常に放射線の健康リスクやストレスに
さらされて暮らさなければならなかったり、
上記のような対立や葛藤の中に生きることは
平和な状態ではないといえますので、
私たちの分野が大いに関係してきます。
第3に、なぜそのような健康リスクに
さらされ続けたり不必要な対立や葛藤に
追いやられるかということの背景には、
原発政策と核兵器政策があまり知られては
いませんが切っても切り離せない関係に
あるということがあるから、ということがあり、
実は原発問題は戦争の問題とも深くつながって
いるので、紛争解決・平和構築学の
直接の対象になります。
原発災害は、多くの人々の命や健康を
危険にさらすだけでなく、人生そのものや
これまで気づきあげてきた人間関係を
深く傷つけてしまいました。
これまでホッとして土に触れ空気を吸い水や
畑で取れた恵みを子どもや家族といただく場所だった
自宅がふるさとが、一瞬にして半永久的に奪われました。
先祖代々気づきあげていた歴史が文化が奪われました。
強制避難区域以外でも、多くの家庭で、
命を守るために子どもとお母さんだけ
遠方に引っ越すという決断をしたり、
あるいは家庭の中で意見が一致せず、
離婚も含めそのまま家族ばらばらに過ごして
おられる方もいらっしゃります。
少女たちは、大人たちが放射線について
あまり語らない中で、放射線のことを心配したり
語ることが悪いことだ思うになり、
普段は多くを語りませんが、ふとした瞬間に
「もうわたし結婚できないんだよね。
子ども産めないんだよね。汚染されちゃったから」
とつぶやきます。
平和というと、単に戦争や殴り合い・
殺し合いがない状態をイメージされるかもしれませんが、
目に見える戦争がなくても、この社会では、
誰かのいのちが、目に見える形・見えない形、
気づかれる形・気づかれない形で軽んじられたり、
同じように扱われていないことが少なからずあります。
それは紛れもなく、「平和」でない状態、
つまりより平和を必要としている状態なのです。
私たちの仕事は、対立や葛藤に悩む方々のお話を
伺ったり、その解決や平和構築の手伝いを
しようとする仕事です。
しかし、私がこの分野をやっていて本当に良かったと
思うことは、そのような現場に行って、
実際にいつも、最も優しさを頂き、
元気をいただき、そして人間の深さや知恵に
触れて成長させられて帰ってくるのはいつも
自分自身だということです。語りつくせませんが、
この原発災害に関する仕事を通じて、
出会ったみなさんから教えていただいたことの深さ、
いただいた優しさや愛は言葉に
しつくせないものがあります。
福島のお母さんたち女性たち、若者たちは、
言ってみれば、東京の人のための電気を作ってい
東電の原発災害で、故郷を奪われ、
自分や子供の命を危険にさらされて、
東電や東京の人などを恨んだり殺しても
殺しきれない気持ちがあってもおかしくないと
思いますが、多くの方々は、
「自分は被害者で誰かが悪い」と人のせいに
するよりも、「原発のこと、
この社会のこと知らなかった自分の責任。
大人である自分の責任」といい、
その問題に向き合って、本当にあるべき
持続可能な社会に向けて歩みだそうとされています。
紛争解決や平和構築の学問をやってよかったことは、
もちろん、その知識やスキル自体が、
自分が葛藤や対立によりよく向き合ったり
自分の身の回りに平和を創ることを助ける、
ということもありますが、それ以上に、常に、
人間ってなんて深くやさしく強くのだ、
と目を見開かされる人々との出会いがあることで
あると感じています。
Q⑦今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
現在、紛争解決・平和構築学の知見を応用して、
東日本大震災後の被災者支援事業を行っており、
近日、関連するイベントが目白押しです!
イベント1:シンポジウム・対話の会
「ふくしまの今×水俣」
ふくしまの、大学生から40代までの若手・
中堅リーダーを水俣に案内するスタディ・ツアー
交流事業を11月末に計画しています。
12月1日(日)午後2時から、
ふくしまの若手・中堅リーダーから
「今のふくしま」と「水俣訪問後の思い」などを
お話しいただくシンポジウムと対話の会を、
熊本大学文学部で行います。どなたもお越しください!
イベント2:熊カフェ―コーヒー片手に
リラックスタイム熊本に避難されてきた方の中では、
震災後3年を迎える中、今後の人生のことについて
大きな決断を迫られていたり、
その悩みを話す機会がない方もいらっしゃると思います。
毎週木曜日午前10時から12時、震災から3年の思いを
珈琲片手にリラックスしながら語り合う
「熊カフェ」を行います。
避難者の方、支援者の方、持続可能な社会に
関心のある方など、どなたさまも歓迎いたします!
場所は、熊本市大江の南阿蘇珈琲店などで。
大学院生募集!
―主に週末だけで学位がとれる社会人向けの
大学院で紛争解決・平和構築学を学んでみませんか?
実は、私のいる熊本大学大学院の交渉紛争解決・
組織経営専門職コース(博士前期課程)、
交渉紛争解決学領域(博士後期課程)は、
日本で最初でかつ唯一の紛争解決学を専攻できる
大学院なのです。
ここは、主に社会人を対象とした大学院で、
主に土曜日や平日夜間で学位が取れる大学院です。
毎年、医療や教育を含む対人援助職の方、
地域や組織を変えていこうとするNPOや企業のリーダー、
プロや葛藤解決ファシリテーター、政治家、法律職の方、
家裁の調停委員の方など、様々なバッググラウンドを
持った社会人が大学院生として来てくださり、
ともにこの新しい分野を作り上げていく仲間と
なってくれています。毎年、博士前期課程(修士課程)、
博士後期課程(博士課程)の学生を
夏と冬に募集しています。
また、できるだけ地域の皆様とつながることが
できるように、地域の皆様が誰でも参加できる
対立や葛藤解決の公開セミナーや、
対話の会などを開催しています。
もし、ご関心を持ってくださる方は、
どうぞご遠慮なく、
aishi@kumamotmo-u.ac.jp (@は半角)
までメールをください。
一緒にこの分野を盛り立てていく
仲間となってください!
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。