熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 マスデン眞理子講師
あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」。
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
Q①お名前と職業・所属を教えて下さい。
名前:マスデン眞理子(ますでんまりこ)
所属:熊本大学国際化推進センター講師
プロフィール
出身は茨城県日立市。
高校の英語教員時代にアメリカからの英語指導助手の
人たちと知り合い、外国人に日本語を教えることに
興味を抱く。
高校教師の職を辞し、イリノイ大学(米国)の大学院で
英語教授法を学びつつ、同大学の日本語学科の
助手となる。卒業後、ボーディン大学(米国メイン州)
アジア学科で日本語を教える。
イリノイ大学で知り合った夫の仕事の関係で
23年前に熊本に移り住む。
以来、熊本大学の留学生に日本語を教えている。
1982年学習院大学文学部英文科卒業
1982年茨城県立佐竹高等学校・
磯原高等学校の英語科非常勤講師。
1983〜1986年茨城県立山方商業高等学英語科教諭。
1986〜1990年米国イリノイ大学
(University of Illinois at Urbana-Champaign)で
T.E.S.O.L(Teaching English as a Second Language)の
修士号を取得。その間、同大学日本語科の
Teaching assistantとして日本語教育に携わる。
1990〜1992年米国のボーディン大学
(Bowdoin College)のアジア研究学科の専任講師。
1993〜1995年熊本大学文学部助手。
1995年から現在熊本大学留学生センター
(後に、「国際化推進センター」に改組)講師
Q②マスデン先生の専門である
「日本語教育と異文化理解教育」とは、
どんな研究・活動ですか、
わかりやすく教えてください。
日本人に対する「国語」とは区別され、
日本語教育とは日本語を母語としない学習者に
日本語を教えることです。
多様な学習者のニーズに合わせて効果的に
日本語を教えられるよう、
教材や教授法が開発されています。
また、日本語学習者が日本語で適切な
コミュニケーションをするためには、
語彙や文法の知識だけではなく、
異文化の理解も欠かせません。
私はこの異文化理解の中で、どのような常識の
「違い」が相手からは「間違い」と
受け取られるかという点に興味を持っています。
Q③マスデン先生がこの研究・活動に
取り組むことになった「きっかけ」の
ようなものがあれば教えてください。
恥ずかしながらまだ研究といえるほどの
ことはできていないのですが、日本語と英語の
用法の比較を通し、日本語は曖昧に責任逃れを
したり相手を煙に巻く表現が日常的に
多いのではないかということが気になっています。
例えば、誘いや依頼を断る時、
できない理由には触れず、
「うぅん。ちょっと…」とか「うぅん、
私はいいんだけど、世間がうるさいから…」で
誤摩化してしまう。こう言われた側はだめだと
いうことはわかるものの、
理由は自分で想像するしかない。あえて尋ねれば、
それがわからないあなたは私とは同質ではない、
つまり仲間ではないという烙印を押されて
しまうのではないかとの思いで
議論できなくなるわけです。
一方、いちいち主語を立てて文として
発話することを求められる英語でこういう
断り方をすると、子どもっぽいとか
不誠実だという印象を相手に与えてしまいます。
自立した大人として自分の発言に誠実に責任を
持つことが求められるからです。
日本の社会では思いやりが尊ばれていますが、
みんなに合わせることが思いやりや
仲間意識ではないはずです。
特にグローバル社会では異文化との共生が
重要となってきます。それぞれに異なる
他者である私達が、仲間内の同質性に閉じてしまい
言いたいことを言わない、そして相手にも
言わせないという関係よりも、自分も
(言い方には注意するけれど)言う、
相手の言い分も聴く、という関係のほうが
楽しいのではないでしょうか。
そんなことを考えています。
Q④マスデン先生の研究・活動テーマについて。
留学生へ日本語を教える講義ですが、
実際にどんな風に教えているのですか?
どんな教材を使って?どんな授業を?
百聞は一見で、授業を実際にお見せしたら
わかりやすいのでしょうが、中学の英語の授業や
大学の第二外国語の授業との違いが
イメージできるよう、ご説明したいと思います。
まず留学生といっても日本語力も国籍も
年齢も身分も(学部生・院生の他に研究生や
交換留学生、研究員などさまざま)実に多様です。
熊大には留学生が約400名いるのですが、
そのうち日本語の授業をとっているのは
約100名です。
レベルは入門から上級まであり、
理系大学院の留学生たちは入門レベルから
始める人が多く、日本で生活するうえで
最低限必要とされる日本語会話を学習します。
熊大では初級レベルはインドネシアや
バングラデシュなどからの理系大学院生が多いです。
一方、文系は上級レベルがほとんどで、
日本語で論文を読んだり書いたり
できるようになることが求められます。
外国語学習といっても、日本人が日本で
外国語を習うのは違って、留学生たちは
すでに日本に来ているため、授業以外にも
日常生活でたくさんの日本語に触れています。
ですから特に初級の授業では
コミュニケーションに役立つよう
「意味のある文」を教科書で提示します。
(一昔前の英語の教科書のように、
”This is a pen.Is this a pen?”という文のように、
実際の場面で発話しないだろうと
思われるような文はあまり提示しません。
ただし、教室の中の言語はやはり
現実の自然なやり取りとは違う面もあります。
例えば、学生に時間の言い方を教えるときは、
「(先生)今、何時ですか?」
「(学生)いちじです。」
「(先生)はい、そうですね)
↑現実だったら、「ありがとうございます」
初級クラスの文法の説明は多言語の文法解説書が
あればそうしますが、英語の解説を
熊大の授業では使っています。
中級以上は日本語で日本語の文法や語彙の
ニュアンスを説明します
(日本の中学や高校の英語の授業で
英語だけで文法を説明しようという動きも
あるらしいのですが、初級レベルでは
大変だろうと思います。)
日本語は敬語があるから大変だろうと
思われる方が多いと思いますが、そこに行く前に
初級レベルでぶつかる壁は「動詞のて形」、
つまり、「食べる」や「食べて」、
「行く」は「行って」、「読む」や
「読んで」という形。「っ」が入ったり、
「んで」になるなど、ただ暗記するしかない。
また、最初は丁寧体(です・ます体)から
教えるのが普通です。
先生や年上の人に、普通体(食べる?見た)で
話しては失礼ですから。
丁寧体が定着してきたころに、普通体を教えます。
英語なら、Did you eat lunch?なのに、
日本語では「お昼ご飯食べましたか」
「お昼、召し上がりましたか」
「昼ごはん、食べた?」「昼飯、喰った?」と
表現の幅が広い。
敬語ばかりではなく、普通体を上手に使うことに
よって人との距離を縮めることもできるのですが、
丁寧体から普通体のシフトは形は覚えても、
いざ、どのタイミングで普通体に
移行するかが意外と難しい。
こんな話をすると、やっぱり日本語は外国人に
とって大変難しい言語だと思われるでしょうが、
そうとも言えません。
話し言葉では、一つの単語で文になってしまう。
例えば、英語なら単語だけで言うのは幼児だけで、
I like it.というように主語、目的語を含む文に
しなくてはなりません。
奥さんに「お茶!」というところ、英語でTea!なんて
失礼な文はいくら夫婦でも普通は言わず、
Could I have some tea? / Can you make tea for me?となる。
日本語のほうはずっと省エネですね。
日本語の授業では、語彙や発音、文法という面
だけではなく、文化や常識の違いにも目を向けさせ、
失礼な人と思われないようにしています。
Q⑤マスデン先生の研究・活動テーマについて。
※留学生は日本へどんなイメージを持って
やって来るのでしょう?
また、留学生が日本に来て一番戸惑うことは何か?
など具体的にエピソードを交えてお願いします。
う〜ん、これは意外と難しい質問です。
留学生は一様ではないので、人によっていろいろです。
日本の文化(マンガなどのサブカルチャーや、
茶道や武道などの伝統芸能)が大好きな若い留学生も
いますし、研究一筋で日本にいるのに
英語だけで生活している人もいます。
Q⑥これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
私はアメリカで生活していた時と比べ、
日本にではなんとなく無言の圧力を
感じることがあります。それは、
「わきまえ」という意識なのかもしれません。
上下関係やら立場のわきまえです。
その一つが家族間の呼称
(親や兄弟をどう呼ぶかということ)です。
英語では両親のことは一般にDadや,Momなどと
呼びかけます。
例えば、Hey,Mom,is this your book?
(ねぇ、お母さん、これ、お母さんの本?)という文で、
英文なら‘your book‘を日本語では
「お母さんの本」というように、
親に向かって「あなた」を使うことは憚られます。
こうしていつも、「あなた」ではなく
「お母さん」を使うことで、英語よりも
日本語では親子の立場の違いを意識し、
対等な議論は難しくなるのではないでしょうか。
さらに、上下関係について欧米では兄姉も
名前で呼ぶのが一般的ですが、
日本では年下の兄弟は名前で呼ぶものの、
年上の兄弟も名前では呼びません
(「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」とは言うが、
「弟」「妹」とは呼ばない)
また、先輩や後輩という関係も
欧米の学校には一般にはみられません。
このように家族間や学校での呼称において、
日本社会では上下関係のわきまえが
育つのではないかと思います。
上下関係をわきまえることを求められと、
議論が必要なときに今、ここで何を言うべきか
言うべきではないかという圧力がかかって
しまうのではないでしょうか。
もちろん、年長者への尊敬は大切ですが、
’I‘と’You’で議論できる自由が英語には
あることを痛感します。
かといって、国際化だから英語を使おうと
いうのではなく、日本語をより自由に
使いこなす途を探りたいと思います。
Q⑦今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
自分の想いや気持を相手に率直に伝える方法として、
「アサーション」(自己表明、自己主張)の
手法が最近、アメリカやイギリスから
日本に紹介されました。
私も少しこれについて学び始めたところです。
日本では自己主張というと、
わがままと受け取られがちですが、
自分勝手に主張するのではなく、
相手が自分と異なる意見を持っている
ことをも受け入れつつ、自分の気持にも
相手の気持にも誠実になる手法です。
互いに自分の気持を上手に伝え合える
(察し合うのではなく)関係を作っていくための
日本語の使い方を学んでいきたいと思います。
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。