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熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 松田光太郎先生

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory  ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」
 
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
 
第11回の講師は松田光太郎准教授です。

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Q① お名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:松田光太郎まつだこうたろう
所属:熊本大学埋蔵文化財調査センター
 
プロフィール
1966年8月8日東京都生まれ
1993年早稲田大学大学院(文学部)
考古学専攻卒業
1993~2012年神奈川県で発掘調査
2012年4月1日~
熊本大学埋蔵文化財調査センター准教授
 
Q② 松田先生の専門である「考古学」とは、
どんな研究ですか、わかりやすく教えてください。
 
考古学は、過去の人類が残した遺物や遺跡から、
人類の過去の生活を明らかにする学問です。
石器しか道具を持たなかった何万年・
何十万年前の時代から、明治以降、
戦前くらいまで研究対象とされています。
そのために、遺跡の発掘をしたり、
遺物を調べたりします。
 
Q③ 松田先生がこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。

私は東京の品川の出身。東京湾に近く、
家の近所に縄文時代の貝塚がありました。
昔学校の教科書によく載っていて、
近代日本考古学発祥の地と言われた大森貝塚が
自転車で30分の距離にあり、
よく友達行き、貝殻を拾っていた。
切手集め、石集め、土器集めなど、
収集癖があったのも関係していると思います。
 
Q④ 松田先生の研究テーマについて、教えてください。
 
縄文時代の土器がどのように変化したかを研究しています。
陶芸・粘土細工をする時、まずは、器あるいは何か、
使えるようなものの形にすると思います。
しかしそれだけでは、粘土の色しかなさず、
さみしい。何か色を付けたり、絵を描いたり
すると思います。
 
その時、頭の中に何もイメージがないと、
先に進まない。何かお手本があると
作りやすいでしょうし、無ければ以前どこかで
見たものを思い浮かべる。また誰も作っていない
独創的なものを作ろうとしても、そのイメージは
自分の経験の影響を受けるし、材質的な面では
その時代の技術に制約を受ける場合がある。
人の作るものは、限定されたものなのです。
 
縄文土器は今から1万3000年
(古く考える人は1万5000年)前に作られ始め、
弥生時代が始まるまで、約1万年余り、
日本各地で作られ続けるのですが、
その土器は少し前の土器の影響を受け、
そして次に作られる土器に影響を与える。
 
突然変異や枝分かれはあるのですが、
多くはずっとつながっていきます。
しかしそのつながりを調べると、
突然つながらなくなる時が縄文時代通じて
しばしばあります。その時、
集落も少なくなるので、気候変動などの
影響を受け、人口が減ったと考えられます。
 
Q⑤ 松田先生の研究テーマについて。
 
縄文人は、土器製作においては、
現代人以上の技術をもっています。
遺跡は日本全国にあります。
そして各地で土器が出土します。
 
土器の製作地はなかなか検出されませんが、
遺跡周辺のどこかで、土器の材料を調達して
作っているようです。
適した粘土はどこにあるか、どのような材料を
混ぜたら、土器が割れにくいか、
知っているのです。現代人は家の近所の
どこに適した粘土があるかは知らないでしょう。
また縄文土器には非常に手が込んだ
土器があります。デザートを食べる時に
使う竹製の細い二股フォークのようなもので
粘土の表面をまっすぐ引くと、
2本の平行直線が描けます。
 
次に、その平行線の右側の線に二股フォークの
左側を重ねてなぞると3本の等間隔の線が引けます。
そしてこの作業を繰り返し行うと、
たくさんの平行線からなる縞模様が描けます。
なぞる時に丁寧に重ねると結構時間がかかります。
縄文人はフォークの先端幅が3㎜のものを使い、
一回に引く長さを10㎝程度とするので、
1個の土器を作るには、500回以上この作業を
繰り返します。
 
そして縦線、横線、斜線、格子目など
色々な模様を互い違いに配し、
器の全面を模様で埋め尽くした精巧な
土器を作るのです。火炎土器などが、
有名ですが、他にも芸術的に優れたものが
たくさん作られています。
 
その一方、親しみを感じることもあります。
先の幅3㎜の平行線の土器は非常に繊細で
美しい土器なのですが、作るのが
大変だったのでしょう。その土器は長続きせず、
線の幅を広くし、本数を減らし、雑に描いた
土器に変化していくのです。
 
縄文人も楽をし、手抜きをするのです。
これが究極まで進むと飾りのない
無味乾燥な土器になります。しかし、
そういう土器は自分の村では使いますが、
交易品にはならないのです。
 
一方、同じ頃、遠く離れた地域で、
器用な人が手の込んだ土器を作り始めると、
その綺麗な土器が各地で使われたり、
模倣されたりします。
おそらく綺麗な土器は重宝され、
多くの人が欲しがったのだろうと思います。
またきれいな土器を作ろうと村々の製作者が
競いあったこともあったと考えられます。
縄文土器は、そうした楽をしようという変化と、
凝ったものを作ろうとする変化の
繰り返しのように捉えることができます。
 
Q⑥ 「考古学」というと、私たち素人は
「インディジョーンズ」のような発掘作業を
すぐに思い浮かべてしまうのですが、
実際の発掘作業はどんなものなんでしょうか?
(どんな格好でどんな作業を?
そもそも先生が発掘作業もするんですか?)
 
発掘作業は一言で言えば土掘りです。
最初は樹木を植える時に使う大きなスコップを
使って掘り、何か出てきたら、
砂場で使うような小さいなスコップに
持ち替えて掘ります。「カツッ」と遺物に
当たったら、竹べらやハケを取り出して
慎重に土を取り除いていきます。
 
たまにテレビで発掘場面が放映される時、
たいていこの竹べらとハケの作業を映すのですが、
それは最後の一部分なのです。
 
服は普通の動きやすい作業服を着ています。
発掘は真夏の炎天下でも、真冬の寒さの中でも
やりますので、体力と根気がいる作業です。
 
発掘はもちろん私もやります。
学生もやります。しかしそれでは人数が
足りないので、主婦の方や会社を退職された方々
にもアルバイトで来てやり方を覚えて
いただいて、行っています。
 
よく金銀は出ないのかとか、
恐竜の化石は?とか聞かれます。
金は古墳時代のお墓などを掘らないと出ません。
私も一度未盗掘のお墓を掘ったことがあり、
刀や首飾り、耳飾りなどが出、
中には金色のものもありましたが、
金は金でも金メッキでした。
また恐竜や化石の時代は、何億年、
何百万年も前で、地質学の対象であり、
考古学では扱いません。
 
Q⑦ 熊本県内の発掘ポイントをいくつかご紹介ください。
熊本の特長などありますか?
 
熊本県には、天皇陵こそありませんが、
古墳という、土を盛って作った
昔の有力者の墓がたくさんあります。
和水町(なごみまち)の江田船山古墳は、
明治6年に地元の人によって掘られ、
石室の中から太刀や鏡・玉・金銅製の冠や靴、
純金の耳飾り、甲冑(よろい・かぶと)など
多彩な副葬品が出土し、出土品は国宝に
指定されました。その出土品の中に、
表面に刻みを彫り、銀を流し込んだ
象嵌(ぞうがん)いう手法で文字を
刻んだ刀があります。
 
文字は今から1500年前のもので、
我が国最古級の文字資料の1つです。
中にはワカタケル(雄略天皇)と
考えられる名前が刻まれており、
古代史解明にとって極めて
重要な資料となっています。
 
また熊本県内には石室の中の壁を、
赤・青・白・黒などの顔料で彩色した
装飾古墳と呼ばれる
古墳があります。全国で640基ほどありますが、
九州にその半数強、熊本には全国の約3割が
存在し、日本中で最も多い。
図柄は丸や三角・菱形などの幾何学文様、
人物、武具、舟などがあります。
墓を守り、外部の悪いものを追い払う、
あるいは、死後の世界へ無事行けるように、
願ったと考えられます。山鹿市チブサン古墳、
弁慶が穴古墳などが有名です。
大陸に近いという地の利を生かし、
大きな勢力をもつ有力者が存在し、
独自の文化を作ったためでしょう。
 
ウマ年にちなんでもうひとつ。
熊本市中央区に子飼(こかい)商店街があります。
熊本大学から歩いて5分。平安時代の
『延喜式(えんぎしき)』という文献によると、
九州を統治していた九州最大の役所である
福岡県大宰府と、肥後の国(熊本県)の役所
(今の県庁)を結び、南は薩摩につながる
「西海道(さいかいどう)」という公共道路があり、
「蚕養(こかい)駅」という
宿場のようなものがあった。
 
そして中央に行く役人がここで馬を乗り換えるため、
馬を用意しておいたという記述があります。
熊本大学構内での私達の調査では、
この道路と思われるものや付随する
建物跡が見つかり、「蚕養(こかい)駅」が
ここにあったということがわかりました。
またこれを裏付けるように、大学の中で、
「馬」と書かれた土器が見つかっています。
文献に書かれた駅(昔はうまやと言った)が
実際の発掘で確認されるのは非常に貴重な例です。
 
この道は、南は白川を越え、
大学の敷地外になりますが、熊本市中央区新大江の
熊本学園大学・熊本県立劇場・熊本高校の辺りを
まっすぐ南下していたことが
熊本市の調査でもわかっています。
 
Q⑧ これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
土器、特に綺麗に飾られた土器は、
何百キロも遠距離まで運ばれることがあります。
土器が出土した地域の土器しか知らないと
変わった土器だなと扱われて終わりなのですが、
各地のものを知っていますと、
これは何地方の土器だなとわかることがあるのです。
神奈川県で青森県の土器を見つけたことが
ありますし、逆に山形県の日本海側で
関東の土器を見つけたことがあります。
熊本では近畿地方の土器は出ることがありますが、
東日本のものも見つかるかもしれません。
 
Q⑨ 今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
今後の活動
最近は、土器を薄く切ってガラスに貼り、
厚さ100分の2㎜の薄片を作り、顕微鏡で見て、
中に含まれる岩石や鉱物を調べることを
やっています。土器の中に含まれる砂や
小石や粘土と遺跡周囲の地層と比較をするのです。
土器は持ち運ばれて移動しますので、
このようなことを行うことで、
その土器の製作地を確実におさえることが
できるからです。
 
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縄文時代の人々の生活の知恵は、
現代人が見向きもしないような、
奥深いものがあります。
生活のための絶え間ない資源開発、
その行動力にはしばしば感心します。
 
こうしたものの中には現代人にとって
ヒントになるものがあると思います。
 
(こんなところに粘土資源がある。
こうしたら水がもれにくいとか。)
 
これは実際の遺物・遺跡を見て、初めてわかります。
私の職場の熊本大学の埋蔵文化財調査センターでは
昔の遺物を真近に見ることができますので、
是非お越し下さい。

埋蔵文化財調査センター
(お問い合わせ・見学お申込み電話番号)
096-342-3832
 
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。
 
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