熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 大坪志子先生
あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」。
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
第13回の講師は考古学が専門、
Q①お名前と職業・所属を教えて下さい。
名前:大坪志子(おおつぼゆきこ)
所属:埋蔵文化財調査センター
プロフィール
1971年福岡県直方市生まれ
1991年4月熊本大学文学部史学科
(現歴史学科)入学考古学コース専攻1994年度卒
1995年4月熊本大学文学研究科修士課程進学
1996年度修了
1997年4月熊本大学経理部主計課管財係
埋蔵文化財調査室事務補佐員着任
1998年8月熊本大学文学部(埋蔵文化財調査室付け)助手着任
2010年11月熊本大学埋蔵文化財センター助教(現職)
Q②大坪先生の専門である「考古学」とは、
どんな研究ですか、わかりやすく教えてください。
【東アジアの石製装身具】を研究しています。
*研究対象は読んで字のごとく「石でつくったアクセサリー」です。
現在でも販売されていますが勾玉や管玉といえば分かるでしょうか。
私は縄文時代のアクセサリーを研究しています。
現在でも販売されていますが勾玉や管玉といえば分かるでしょうか。
私は縄文時代のアクセサリーを研究しています。
*古代の人にとっては、単なる飾りではありません。
シャーマン・巫女・村長など特殊な能力や地位・仲間の印、などを
表現するために身に付けたと考えられています。
また、それ自体がお守りのような呪術的なものだったと
考えられています。縄文人の心や精神世界を復元することは
容易ではありませんが、縄文人に近づけるように研究を重ねています。
*石製装身具の研究は、
どのような石を利用しているか(石材)、
どのような作り方をしているか(技術)、
どのような形でそれがどう変化したか(形態)、
どのように使用されたか、などについて研究します。
石材は、今は壊さずに分析する技術があり、
産地まで特定することも可能です。この中で、私は石材を
分析してどのような石を使っているかを研究しており、
九州では、縄文時代後期後半(3500年程前)に
クロム白雲母という綺麗な緑色の石で作ったアクセサリーが
流行したことが分かりました。
今、このアクセサリーの流行範囲を調べています。
Q③大坪先生がこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。
私が縄文時代の石製装身具を研究し始めたのは、
恩師の研究の一環としてのお手伝いからです。
卒業論文は中国(中華民国)東北地方の石棺墓
(せっかんぼ)というお墓、修士論文は支石墓(しせきぼ)という
縄文時代の終わりに韓半島から伝わったお墓についてで、
アクセサリーではなかったのです。
恩師の研究の一環としてのお手伝いからです。
卒業論文は中国(中華民国)東北地方の石棺墓
(せっかんぼ)というお墓、修士論文は支石墓(しせきぼ)という
縄文時代の終わりに韓半島から伝わったお墓についてで、
アクセサリーではなかったのです。
今、実は「九州ブランド」と銘打って研究・宣伝している
縄文時代後期後半(3500年程前)に九州に大流行する
アクセサリーがあるのですが、その石材はとても鮮やかな緑色で、
ヒスイと間違われることが多かったものです。
縄文時代後期後半のアクセサリーは緑色の石が多い、とは
言われていたのですが、石材の確定は曖昧なものでした。
当時上司だった文学部の小畑弘己先生と、
ある研究会の休み時間に博物館に展示してあった
アクセサリーをみて
「これって○○遺跡の勾玉と同じ石みたいだけど」
「××遺跡の勾玉や管玉も似たような石だった気が・・」とお話し、
石器が御専門でもある小畑先生がひょっとしたら、
この時期のアクセサリーは全部同じ石かもしれない、
調査する価値がある、やってみろ、とおっしゃったのが
きっかけです。
その後、九州中のアクセサリーを調べたところ、
見事7割が同じ石でした。縄文人は単にその辺の石で
アクセサリーを作っていたのではなく、
決まった材料でアクセサリーを作っていたことが判明しました。
Q④これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
『九州ブランド』があると話ましたが、この石材は特殊です。
ながらくヒスイでもない、蛇紋岩でもない、緑色片岩でもない・・・と
謎の石でした。石を「○○石」「○○岩」であると決定するには、
顕微鏡でどのような鉱物で構成されているか、
特殊な機械でどのような結晶構造をしているのか、
を調べる必要があるのですが、
それには破壊しなくてはなりません。
石の正体は知りたいが、発掘資料は文化財ですから
壊すわけにはいかない、というジレンマが長らくありました。
そこで、表採といって遺跡で地表に出て来た土器や
石器を拾い集めるフィールドワークがあるのですが、
表採で拾って(それも文化財には違いないのですが)
分析資料にしようと考えました。
拾えそうな遺跡に行って目を凝らしてこの謎の石材を探し、
拾えた時には「やったー!!」と感動しました。
表採を提案して一緒に行ってくださった当時の上司
(現文学部)の小畑先生と大喜びしました。
あの瞬間は、忘れません。
※もちろん、拾った石はちゃんと分析して、
間違いないことは確認しています。
ながらくヒスイでもない、蛇紋岩でもない、緑色片岩でもない・・・と
謎の石でした。石を「○○石」「○○岩」であると決定するには、
顕微鏡でどのような鉱物で構成されているか、
特殊な機械でどのような結晶構造をしているのか、
を調べる必要があるのですが、
それには破壊しなくてはなりません。
石の正体は知りたいが、発掘資料は文化財ですから
壊すわけにはいかない、というジレンマが長らくありました。
そこで、表採といって遺跡で地表に出て来た土器や
石器を拾い集めるフィールドワークがあるのですが、
表採で拾って(それも文化財には違いないのですが)
分析資料にしようと考えました。
拾えそうな遺跡に行って目を凝らしてこの謎の石材を探し、
拾えた時には「やったー!!」と感動しました。
表採を提案して一緒に行ってくださった当時の上司
(現文学部)の小畑先生と大喜びしました。
あの瞬間は、忘れません。
※もちろん、拾った石はちゃんと分析して、
間違いないことは確認しています。
Q⑤今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
長野県付近から東側、所謂東日本はヒスイの
アクセサリーが流行した地域です。
反対に西日本はほとんどヒスイは流行しませんでした。
アクセサリーが完全に住み分けした状態です。
しかし、東日本にもクロム白雲母のアクセサリーが
伝わっていることが分かって来ております。
今後、どの程度、どこまで行っているのか、
地道に捜しあてながら探っていきたと思っています。
大きな課題は、このクロム白雲母は、
九州でもっとも量的に活用しているので、
九州のクロム白雲母を九州の縄文人は
利用したはずなのですが、
どこで採れるのかはまだ分かっていません。
是非、このクロム白雲母の原産地を探しあてたいと思っています。
時間をみては、山に入って沢登りもしています。
緑の綺麗な石の情報があれば、ご連絡ください。
アクセサリーが流行した地域です。
反対に西日本はほとんどヒスイは流行しませんでした。
アクセサリーが完全に住み分けした状態です。
しかし、東日本にもクロム白雲母のアクセサリーが
伝わっていることが分かって来ております。
今後、どの程度、どこまで行っているのか、
地道に捜しあてながら探っていきたと思っています。
大きな課題は、このクロム白雲母は、
九州でもっとも量的に活用しているので、
九州のクロム白雲母を九州の縄文人は
利用したはずなのですが、
どこで採れるのかはまだ分かっていません。
是非、このクロム白雲母の原産地を探しあてたいと思っています。
時間をみては、山に入って沢登りもしています。
緑の綺麗な石の情報があれば、ご連絡ください。
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。