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「熊大ラジオ公開授業 知的冒険の旅」 藤本秀子先生

あらゆるジャンルの“注目の人”にインタビューする「ヒューマン・ラボ」。
11月から3ヵ月間、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業 知的冒険の旅」と題してお送りしています。
5回目のゲストは、熊本大学五高記念館の藤本秀子先生です。
先生が携わっている五高記念館の企画運営について詳しく伺います。

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Qお名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:藤本秀子(ふじもとひでこ)
所属:熊本大学五高記念館
プロフィール
・大学卒業後、「(財)熊本開発研究センター」に勤務し、
地域開発、まちづくりなどの仕事に関わりました。
 
・五高記念館に来る前には「(財)グランメッセ熊本」で
自主事業の展示会の企画運営などを行っていました。
 
・五高記念館では、記念館や記念館が行うイベントの
企画運営と展覧会の企画運営を行っています。
 
Qものすごく基本的な質問で恐縮ですが、
「五高」について、簡単に教えてください。
 
明治期の学校教育充実の課程で、
明治19年「中学校令」が公布され尋常中学校と
高等中学校が設けられることになります。
高等中学校は全国を5つの学区に分け
それぞれに1校ずつもうけられたのが旧制高等学校です。
 
明治27年に高等学校令」が公布され
高等中学校は高等学校になりました。
(この時、第一から第五までの高等中学校は
第一高等学校から第五高等学校になります。)
 
その後、第六から第八までの高等学校ができ、
番号ではない地名を冠した高等学校もできていきます。
最終的には官立、公立、
私立で39校の高等学校ができました。
(最大数は第二次大戦終結時)
 
戦後は、昭和22年に「教育基本法」が公布され、
昭和25年に最後の卒業生を送り出し、
旧制度の高等学校は廃止されました。
 
この間、昭和24年には、五高最後の入学生
(昭和23年入学)が1年を終了したところで、
新制大学の2年生に編入されました。
 
第五高等学校の著名教授陣としては、
第三代校長の嘉納治五郎、
英語教授夏目金之助(漱石)、
外人教師ラフカディオ・ハーン、
漢学教授秋月胤永など
 
著名卒業生には、内閣総理大臣池田勇人、
同佐藤栄作、外務大臣重光葵、物理学者寺田寅彦、
漢学者宇野哲人、経済学者大内兵衛(マルクス経済学)、
作家下村湖人、同上林暁、同梅崎春生、
映画監督牛原虚彦、劇作家木下順二など
 
代表的寮歌は「武夫原頭に」
五高精神は「剛毅木訥」
etc.
 
Q「五高記念館」の基本情報を教えてください。
 
熊本大学五高記念館概要
◆所在地〒860-8555熊本市中央区黒髪2丁目40番1号
(黒髪キャンパス北地区内)
◆電話 096-342-2050
◆施設
建物面積
本館1,806㎡(2階建)化学実験場419㎡(平屋建)
建物構造 : 煉瓦組積造
 
ご利用案内
◆開館時間 午前10時~午後4時
※但し、入館は午後3時30分迄です。
 
◆休館日
毎週火曜日年末年始その他
※3月~11月の祝日は開館します。
※12月~2月の祝日は土日と重なった場合のみ開館します。
※熊本大学の行事の都合上、臨時に休館する場合があります。
 
◆その他 入館料無料
※車椅子での見学を希望される方は、事前にご連絡ください。
※団体でご見学の場合は五高記念館までお問い合せください。
 
◆駐車場現在、専用の駐車場はありません。
できるだけ公共交通機関をご利用ください。
 
Q藤本さんのお仕事について、
わかりやすく教えてください。
 
・藤本は、専門の研究分野はありません。
「五高記念館」の企画運営が主な仕事です。
平成17年度に熊本大学の政策創造研究センター(当時)の
研究プロジェクトとして、
「地域資源としての五高記念館の利活用整備プロジェクト」があり、
その取りまとめをお引き受けしたのが
五高記念館との最初の関わりです。
 
・五高記念館は、熊本大学野前身校の一つである
旧制第五高等学校の本館を記念館として公開しているものです。
平成22年12月には博物館相当施設に指定されています。
 
・現在、五高記念館スタッフは、下記のような活動を行っています。
展観事業として
①旧制第五高等学校に関する資料収集、保存、分析、研究
②旧制第五高等学校の教師、生徒、卒業生に関する調査
③上記の調査研究に基づく常設展示や企画展示の制作
④その他
(ア) 熊本大学の前身校に関する資料収集や調査
(イ) 旧制高等教育に関する資料収集や研究など
 
教育普及事業として
⑤展示の多言語化や外国語によるガイド育成事業
⑥市民向け「五高記念館文化講座」の実施
⑦その他
 
Q藤本さんがこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。
 
五高記念館の運営企画に携わるきっかけは、
上記のとおり政策創造研究センター(当時)の
プロジェクトに関わったことですが、
以来今日まで仕事を続けることになったのは、
・五高卒業生に尊敬すべき考えの方が多かったこと
(経歴もすごい方が多いのですが、何よりも考え方が素晴らしかった)
・高校時代に教えを受けた先生方の多くが五高出身であり、
五高の校風を思わせる校風があったこと
(自由自治の考え方など五高の気風校風そのものだったのだと、
この仕事に携わってから実感しました)
・前述した自由自治の考え方や剛毅木訥に象徴される
五高の精神は、現今の学生はじめ若い人々に
伝えて行くべきものと思えたこと。
 
Q「五高記念館」の展示物の見所などあれば
いくつか具体的に紹介お願いします。
 
五高記念館は、旧制第五高等学校の歴史、文化、
関係する人々などについて総合的に展示している資料館です。
常設展示をご覧いただけば、五高だけではなく
旧制高等学校の概要がお解りいただけると思います。
特に見所というと、建物五高記念館(第五高等中学校本館)、
化学実験場、表門(赤門)は重要文化財
 
※化学実験場は今年3月、建物とドラフトチャンバーが
日本化学会の化学遺産にも指定されました。
黎明期の姿が解る「生徒募集告知木札」
第三代校長嘉納治五郎が依頼した勝海舟の扁額
「入神致用」モンタージュボイスで制作した
「夏目漱石の祝辞」etc.
 
Qお仕事以外での趣味などありますか?
 
草月(いけ花)、私の右脳の活性化に寄与しています。
多分一番リフレッシュできるのがいけ花です。
熊本まちなみトラストで建物や街並みの
保存活用について活動や学習をしています。
熊本産業遺産研究会で産業遺産
(主に近代化遺産ですが)について学習しています。
上記二つは年齢や立場役職などの垣根を越えて
つきあえる人間関係がリフレッシュにつながっていると思います。
 
Qこれまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
・開校120周年記念同窓会に際し、
五高に関する資料等の寄贈を募ったところ、
昭和18年の学徒出陣により出征し戦死した五高生が、
友人に託した歌集が書かれた当時のままに寄贈されたこと
(五高生同士の友情は時を超え、かくあるものと感じた。
これ以外にもエピソード多し。
青春の日に真の友人を得るということが、
その人の人生を支え、どれほど豊かにするものであるかを
しることができるエピソードばかりです)
 
・難病により寝たきりになられた卒業生が、
家族を五高に伴いたいと奥様と二人の息子さんと共に
記念館を訪ねられたこと
(五高生としての誇りや友と切磋琢磨した日々が、
その人の人生を支え、家族にもその事実を
伝えるべきものと考えておられること)
 
・夏目漱石が教師として在籍した頃、
御茶屋の借金を漱石に肩代わりさせたという
エピソードのある五高生の姪にあたる方が
「叔父はそのような人柄ではなく、
借金を作ったことがあったとしても
人様に肩代わりをさせるような家ではない
(豪農で素封家とのこと)」記念館に
そのように展示して欲しいといってこられたこと。
姪にあたる方も90才近い老齢の方でしたが、
ずっと忸怩たる思いであったとのこと。
(調べてみると実際そのような事実はなく、
漱石の人柄を強調するための作り話と考えられる)
一教師、一生徒についてもできるだけ
伝聞や風評に惑わされず事実を掘り起こし、
伝えて行く使命があると感じた
 
Q今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
旧制高等学校教育についての資料収集や研究、
展示などを通じて、現今の教育に資する面、
見習うべき面を伝えて行きたい
 
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