« 思わず…  |  「水戸ホーリーホック」のヒミツ >

8月13日(木)の名盤は…

今週はブライアン・アダムスを紹介しました。

1980年代から90年代にかけて世界中でヒットを量産、

現在もなお各方面に影響を与える

大物ロッカーである彼はカナダ出身。

外交官の父親の異動のためヨーロッパから中東を転々とし、

12才のとき両親が離婚。

15才から母親と弟の3人で故郷のカナダに落ち着きます。

全く環境や習慣の違う国々を回り続ける少年時代を

送らねばならなかった彼の心を救ってくれたのは音楽でした。

小学校低学年からギターを始め、16才で初めてのバンドを結成。

その翌年に彼と同じくビートルズが大好きというジム・ヴァランスと

運命の出会いを果たします。

二人は意気投合し、コンビを組んで曲を作るようになります。

彼らの曲を当時のカナダの人気アーティスト達がこぞって取り上げ、

数曲がヒットしたため、大手のA&Mレコードが目をつけ、

まずはソングライターとして契約しました。

ブライアン19才の時でした。

ロックンロール指向の彼でしたが、プロ作曲家としては

様々なタイプの曲を作ることを求められます。

それも修業のうちととらえ、多くの要素をクリアした彼に

遂にソロ・デビューの話が来ますが、

時代のせいか、はたまたどんな曲も書ける器用さが裏目に出たのか、

なんとディスコ・ミュージックを演らされてしまいました。

これはカナダで1位になるほど売れたのですが、

さすがに本人はイヤだったようで、アルバムには収録されていません。

以降はその路線は1曲も作らず、ロックンロール一筋で行くことを

会社にも認めさせてしまいます。

ただ、この時代の試みは彼のキャリアに深みを与えているのは間違いありません。

この後の活躍は皆さんよくご存知かと思います。

彼の特筆すべき点はジムとの作曲コンビも、

そしてバック・バンドのメンバーもデビューから30年、

ほとんど変わらず続いていることです。

認めた者とはとことん付き合う頑固さと、

書こうと思えばどんな曲も書ける器用さ・柔軟さ。

この2つのバランスが息の長い活躍の理由でしょう。