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8/12「スペクター・サウンド」

夏休み特別企画“生まれる前の音楽を聴いてみよう”

2回目の今日はスペクター・サウンドを紹介しました。

先週のモータウンはレコード会社の名前でしたが、

今回のは人の名前で天才プロデューサー、

フィル・スペクターの作り出した革命的な音楽のことです。

何が革命的だったのかと言えば、楽曲や演奏ではなく“音”そのもの。

文学の世界では、“何を書いたか”と“いかに書いたか”は、

どちらがより賞讃されるべきか?という議論がしばしば起こりますが、

これを音楽に置き換えると、フィル・スペクターという人は

“何を歌うか”にも“いかに演奏するか”にもまったく興味はなく、

“いかに録音するか”の一点にのみ命をかけたと言ってもいいでしょう。

1960年代初頭までのポップスのレコードの音はスカスカで薄っぺらで

貧弱で安っぽいものと相場が決まっていました。

これに我慢ならなかった彼は、自分の頭の中に鳴り響く重厚で

ゴージャスなサウンドをレコード盤に刻み込むために

ありとあらゆる試行錯誤を繰り返します。

こうして完成したのが、ポップス史上に輝く、“ウォール・オブ・サウンド”と

呼ばれる文字通り音の壁でした。

それまで誰も聴いたことのない、ブ厚い音の壁でありながら、

それは1枚の硬い壁ではなく、各楽器の音ひとつひとつは

もはや聴き分け不可能なほど混然一体の大きな塊となりつつ、

複雑に絡み合い、溶け合ったような感触の深い響きと前に出る音圧。

“エコー処理と多重ダビングの賜物”と考えられてきたのですが、

それだけでは誰がマネしても再現できないこのサウンド、

実は根本的に演奏する人数が半端じゃなく多いのです。

バンド編成なんてものではなく、20人から30人が

一斉に演奏していることが後の研究でわかっています。

コストと手間と時間がものすごくかかっているわけです。

このサウンドの衝撃はヒットを連発した事実もさることながら、

スペクター信奉者が後を絶たないことからもわかるでしょう。

ビーチ・ボーイズ、スプリングスティーン、大滝詠一、山下達郎など。

ウォール・オブ・サウンドに“やられた”人たちこそが

次の先端を駆け抜けているのです。

実はスペクターの全盛期は1962年から1966年のわずか5年しかありません。

“黒船”ビートルズがアメリカ上陸した1964年以降、

急速にバンド・サウンドのロックン・ロールと“何を歌うか”が

最重要視されるようになった時代の前には音の壁も

なすすべがありませんでした。

しかし、ビートルズもスペクター信奉者だったのです。

彼の偉業と精神は確実に受け継がれて、

21世紀の今日もその遺伝子は息づいています。

今日お届けしたのは、

1963年全米2位の曲ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」でした。