「マジックインキ」のヒミツ
今日は「マジックインキ」の名前の由来に迫りました。
ご出演は、寺西化学工業株式会社の今井孝さんです。
~~~~~~~寺西化学工業株式会社 会社概要~~~~~~~
創業は1916年(大正5年)。筆記具用のインキやクレヨン、朱液、
スタンプ台などの製造販売を始めた。
第二次世界大戦で全設備・資材を消失したが、翌年には創業を再開。
その後、描画材「ギターパス」や「ギターペイント」を発売する。
1953年、日本で初めての油性マーカー「マジックインキ」を発売。
以来、製品ラインアップを増やして、様々な分野や用途で、
長きに渡って使用されている。
今後は、エコを考え、安全性とさらなる品質の向上を目指しています。
「マジックインキ」の名前の由来を教えて下さい。
発売当時、日本の筆記具は、紙に書く万年筆や鉛筆、つけペンが主流。
水性インキでは書けなかった金属やプラスチック、ガラスなどに書け、
水に流れず、こすっても消えない筆記具は存在しませんでした。
画期的な油性マーカーの開発に成功し、その最大の特徴を印象づけるため、
商品名を「魔法のインキ」、「マジックインキ」というネーミングにしました。
そして「どんなものにも書ける魔法のインキ」を宣伝文句に、
その不思議さや驚きを「?」マークで表現しています。
また「次代の主力筆記具になる」という、確信と情熱が込められています。
発売当時はマジックインキのような筆記具はなかったそうですが、
開発のきっかけを教えて下さい。
1951年(昭和26年)、当時の株式会社内田洋行の
社長・内田憲民氏が、米国視察から持ち帰った米国の
スピードドライ社の油性マーカーを寺西化学工業の寺西長一社長が、
見本市会場で見て、新製品開発に意欲を燃やし、
共同で研究開発しようともちかけました。
インキ成分やペン先、構造などで二年を費やして開発し、
2年後の1953年4月に発売された。
内田洋行が、「マジック・マジックインキ」を商標登録し、
製造を寺西化学工業が担い、ともに販売を行いました。
開発に関してのエピソードはありますか?
開発当初は、まだ終戦後5年しか経っておらず物資の少ない時代で、
ようやく発売にこぎつけたのですが、販売状況は非常に厳しいものでした。
当時はまったく売れなかったそうですね、なぜだったんでしょうか?
理由は、まず価格。大卒の初任給が約8,700円、
ハガキ一枚5円だった時代に、1本80円(現在の約1,600~1,800円くらい)。
また、日本に今までになかった商品ということで需要自体が未開なものでした。
2度の値下げで1本50円にして、普及し始めていた
テレビのニュース番組のフリップを使った解説などに使用され、
徐々に浸透していきました。
そこからは順調だったんですか?
売れ始めると、色々な問題が。
当時は「キャップを締める習慣」がなかったため、
「ペン先が乾いて描けなくなった」などのクレームが殺到。
商品に説明書をつけることで対処したのですが、
使用後にキャップを締めるという習慣を
啓発するのにもかなり時間がかかりました。
需要は家庭や学校、事務以外に工業分野まで広がっていきます。
製品もさまざな進化をとげ、ラインナップも充実していきます。
オススメの商品を教えて下さい。
筆記具の可能性を求め、新たな着眼点で開発したのが、
昨年、2009年10月に発売させていただいた「ペイントドット」という製品です。
【paintdots(ペイントドット)】とは、黒地に白いドット模様を
付属の水性顔料マーカー「アクアテック」で塗りつぶすと、
世界でひとつだけのデザインが作れる、テキスタイル製品です。
帆布生地にデザインされたドットはイカの表皮がモチーフ。
イカは色素細胞を巧みに拡縮させ、体表の色や柄を変えて、
敵から身を守ったり仲間にシグナルを送ったりしています。
「paintdots」はドットを〈アクアテック〉で塗りつぶすことで、
自分だけのシグナルを表現でき、
人と人とのコミュニケーションをデザインします。
コンセプト&デザインは、いきものをモチーフにした製品を
展開するレーベル「seto」が担当しています。
また、下絵を簡単に作成できるシミュレーターも公式HP内に開設していて、
お好きな画像を取り込んで、ドット絵に変換が可能です。
さらに、絵型やスタンプといった補助ツールも充実しています。
オリジナルの下絵を簡単に作成でき、自由に編集できるので、
絵の苦手な人でも安心して楽しんでいただけます。
テキスタイル製品にマーカーでドットを塗っていくというアナログな行為を、
デジタルでフォローするということは、
製品自体の面白さを伝える事から考えても、むしろ現代的と考えました。
詳しくは寺西化学工業WEBサイト〈ペイントドット〉で検索してください。