あらゆるジャンルの“注目の人”にインタビューする「ヒューマン・ラボ」。
夏目漱石(1867~1916年)の没後100年、来熊120年にあたる2016年、
生誕150年となる2017年の「夏目漱石記念年」へ向け、
熊本県は“熊本の漱石”を全国にPRする「プロジェクトSOSEKI」を
2015年度からスタートします。
今日はこの「プロジェクトSOSEKI」について、
4月1日からプロジェクトを担当している、
熊本県 文化企画・世界遺産推進課 若杉真紀子さんと、
3月まで担当されていた北田沙織さんにお話を伺いました。
●ご出演の方のお名前と職業・所属
名前:若杉真紀子
(ふりがな)わかすぎまきこ
所属:熊本県文化企画・世界遺産推進課
プロフィール:4月1日付けで「プロジェクトSOSEKI」の担当となりました。
3月までの担当者と出演させていただきます。
3月までの担当者、現在は別部署に異動
名前:北田沙織
(ふりがな)きたださおり
Q熊本県は、この春から「プロジェクトSOSEKI」を推進していくそうですが、
これはどんな企画なのですか?詳細を教えて下さい。
またその狙いは何ですか?どんな機関が参加するのでしょうか?
平成28年度は、漱石が誕生して150年、漱石が熊本に来て120年という記念すべき年です。熊本県では、このタイミングを逃さず「熊本の漱石」を県内外に印象づけていこうというキャンペーンを実施することになりました。それが「プロジェクト“SOSEKI”」です。
漱石生誕120周年に向けたムーブメントは、生誕・終焉の地である東京都新宿区をはじめ全国各地で広がっていますが、それに加えて「来熊120周年」という記念年を迎えるのは熊本だけです。昨年度は、このキャンペーンに向けた取組みとして、文化・経済・教育・マスコミ・行政の各界が参加した「夏目漱石記念年100人委員会」が発足しました。蒲島知事も呼びかけ人の一人として参加し、オール熊本で「熊本の漱石」を県内外に広くアピールする気運が高まっています。
また、全国の漱石ファンが集まってつくられた「夏目漱石・記念年実行委員会」では、平成28年度の漱石記念年に全国規模のオープニングイベントを熊本で開催することが決定しています。
県では、この機を逃さずに「熊本の漱石」を発信していくことで、県民の皆さんに日本の文豪漱石を身近に感じていただき、県民としての誇りや郷土愛の醸成に繋げたいと考えています。また、「熊本の漱石」を新たなブランドとしてPRしていくことで、県外からの観光客の増加や県産品購買の増大を目指していきます。
Qいまさらの質問ですが、夏目漱石に詳しくない方のために、あえて聞きます。
「熊本の漱石」について、教えて下さい。いつごろ?
何のために来熊?熊本での様子は?
夏目漱石は、本名を夏目金之助といいます。
明治二十九年の4月に、熊本の旧制第五高等学校(現在の熊本大学)に英語教師としてやってきました。漱石が29歳の時です。
それから4年3ヶ月後、漱石はイギリス留学のために熊本を後にするのですが、それまでの間、漱石は熊本で鏡子夫人と結婚して夫となり、長女が誕生して父となり、人と出会い、旅をして、多くの俳句を詠みました。漱石が生涯のうちに詠んだ俳句の約半分が、熊本で詠まれたと言われています。
また、熊本で友人と旅をした玉名市小天は小説『草枕』の舞台に、阿蘇は小説『二百十日』の舞台として有名です。その他にも、小説『三四郎』の主人公は五高出身であり、『吾輩は猫である』の登場人物にも熊本時代の同僚の名前が使われているなど、熊本での一つ一つの経験は、その後の作品として花開きました
漱石の文学及び人生は熊本でスタートした、「漱石の原点は熊本にあり」といっても過言ではありません。
Q全国的に見て「熊本の漱石」は、まだまだ知名度が低いのでしょうか?
今回の「プロジェクトSOSEKI」でどんな風になればいいと思われますか?
「漱石縁の地」と聞いて皆さん真っ先に思いつくのは、松山市だと思います。しかし、漱石が熊本で4年3ヶ月暮らしたのに対し、松山で暮らしたのはたった1年です。松山が皆さんに知られている理由は、小説「坊ちゃん」の舞台であること、これに尽きると思います。
次に、漱石生誕・終焉の地である東京都新宿区ですが、こちらは平成28年度の漱石記念年に向けて、漱石の終の棲家の跡地に夏目漱石記念館を整備される予定です。『三四郎』『こころ』などの代表作を送り出したこの場所に記念館が建てば、きっと全国の漱石ファンから注目される場所になると思います。
では、熊本の出番はないのではと思われるかもしれませんが、熊本には松山や新宿を凌ぐ魅力があります。それは、「漱石縁の史跡の宝庫」という点です。
熊本には、漱石が暮らした家が6軒確認されていますが、そのうちの3軒が現存しています。中には、移築されたり、増築されたりしたものもありますが、その趣は当時のままです。全国に漱石縁の地があっても、漱石が暮らした家が残るのは熊本だけという事実は、驚くべきことにあまり知られていません。
また、漱石が教鞭をとった五高は、現在、熊本大学敷地内に五高記念館として公開されています。ここにも、漱石の筆跡による英語の問題用紙等が残っており、漱石が文豪となる前の姿を感じることができます。
他にも、友人と旅行にでかけた玉名市小天と阿蘇市には、漱石が宿泊した部屋が当時の面影のまま残されています。
これほどに漱石の姿を「本物」を通して感じることができるのは、熊本しかありません。今回の「プロジェクト“SOSEKI”」では、これらの魅力を最大限に生かし、是非「熊本の漱石」を大きくPRしていきたいです。
Q今年度の「プロジェクトSOSEKI」は具体的に
どんな展開が予定されていますか?
来年度の「生誕150年」「来熊120年」を機に、「松山の漱石」から「熊本の漱石」へのイメージの転換を狙うキャンペーンを展開します。
事業の実施に当たっては、県内企業や漱石ゆかりの自治体、各種団体からなる「夏目漱石記念年100人委員会」と連携し、民間の創意工夫を活かした主体的な事業展開をバックアップする一方、県でも様々な事業を展開していく予定です。
既に、昨年11月に県と100人委員会との共催で、漱石ファンで知られる姜尚中氏を迎えたシンポジウムを熊本市で開催したところ、700名の会場が満杯になるほど盛況でした。
これからは更に、夏目漱石記念館の建設を進める新宿区との連携を図りながら、首都圏での「熊本の漱石」イメージ戦略に努めていく予定です。具体的には、7月19日から8月30日まで、新宿歴史博物館で「熊本と新宿を繋ぐ作家漱石・八雲展」を開催することが決定しています。熊本近代文学館が所蔵する資料が展示されるほか、「熊本の漱石」についてのシンポジウムや熊本と漱石の縁を紹介するパネルの展示などを計画中です。
また、テレビでの特集、関連記事の雑誌、旅行誘致など、様々なアプローチで平成28年5月の漱石記念年オープニングへの集客増大を目指します。
Q時代を越えて愛される「夏目漱石の魅力」とは何でしょうか?
夏目漱石の作品は、今のなお多くの人に読まれ、ファン層を広げています。それは、漱石の作品が人間の本質や内面に着目したものだからではないかと思います。漱石ファンを公言される方々の多くが、作品を一度ではなく、何度も繰り返し読まれています。持ち歩くという方もいらっしゃれば、中高生の頃に読んだものを40代になって読み返したという方もいらっしゃいます。そしてその度に、心に響く文章や登場人物の心情の感じ方、時には作品のイメージまで違うそうです。漱石の作品は難しいとよく言われますが、読み手の成長とともに感じ方が変わっていく、「大人の文学」だと思います。
また熊本時代から漱石の周りには、漱石を尊敬し、慕う若者が集まっていました。授業では厳しく学生に接する一方、金のない学生を書生として自宅に住まわせたりするなど、面倒見のいい教授だったようです。ボート部の部長だったということ、実は甘いものが大好きだったということも、文豪漱石を身近に感じることができるエピソードの一つです。最近では、このような人としての漱石の魅力も注目されており、最近では漱石の日常生活や人間関係を描く漫画も登場しています。
Q北田さんが個人的に好きな漱石作品は何ですか?その理由は?
私が個人的に好きな作品は『草枕』です。『草枕』は、漱石が五高の同僚である山川信次郎とでかけた小天旅行が題材になっています。
この作品冒頭の「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」という文章はあまりに有名で、私も大好きな部分です。この「山路」は、金峰算に向かう谷あいの急な坂「鎌研坂(かまとぎざか)」のことだと言われています。
また、作品に出てくる「那古井の宿」は漱石が小天で宿泊した「前田家別邸」、ヒロインは宿の次女の前田卓(つな)さんがモデルです。作中、「画工」が入浴しているとき、湯煙の中、「那美さん」が手拭を下げて湯壷へ下りて来る…という情景が描かれていますが、これも、卓さんが漱石と浴場で遭遇したというエピソードが元となっており、漱石が浸かった湯壺は今も残っています。
『草枕』は、漢詩・英文・俳句に始まり、能や謡曲等、様々な要素が散りばめられている難しい作品です。でも、読む度に違う発見をすることが漱石作品の醍醐味なら、『草枕』は、漱石作品らしい魅力にあふれた作品だと思います。そして、熊本が舞台であり、文豪漱石が感じたものを実際に辿ることのできるこの作品は、県民である私にとってとても特別な作品です。
Q熊本県民にPRしたいこと、
今後の活動予定、お知らせなどあれば教えてください
平成28年度は、漱石が誕生して150年、漱石が熊本に来て120年という記念すべき年です。このタイミングを逃さず、「熊本の漱石」を全国に発信するため、県では“プロジェクトSOSEKI”と銘打ったキャンペーンを始めました。漱石縁の史跡という「宝」を活かし、「熊本の漱石」のブランド化を目指します。
文学はもとより、観光や物産においても、「熊本の漱石」を広くアピールしていくムーブメントを起し、県民の誇りや自信、郷土愛の醸成に繋げたいと考えています。
今後も“プロジェクトSOSEKI”にご期待ください。
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