« 2012年2月 | メインページ | アーカイブ | 2012年4月 »

2012年3月

3月6日(火)の魔法のことば

今日はラジオネーム:ミッキーさんが

         先生からかけてもらった魔法のことば。

「人と人とは思いがけないところで繋がっているから

           出会った人を大事にしなさい。」

「ヒューゴの不思議な発明」

今日は、現在公開中の「ヒューゴの不思議な発明」をご紹介しました。

この作品、先月26日に発表された「第84回アカデミー賞」で、
フランスのモノクロ無声映画「アーティスト」と賞を争い、大変話題になりましたよね。
作品賞はなりませんでしたが、撮影賞、美術賞など5部門を受賞しています。

原作は、世界各国でベストセラーとなった、ブライアン・セルズニックのファンタジー小説。
それを映像化したのが、巨匠マーティン・スコセッシ監督です。
スコセッシといえば、「タクシードライバー」や「ディパーテッド」など、
社会の暗部や暴力に焦点をあてた、数々の名作で知られていますよね。
“リアル”“社会派”のイメージの強いスコセッシが、
デジタルカメラで最新の3Dファンタジーに初めて取り組んだのが、この作品なんです。

舞台は、1930年代のパリ。駅の時計台で、父が残した機械人形と共に一人で暮らす
少年ヒューゴは、人形の修理に必要なハート型の鍵を持つ少女イザベルに出会い、
人形に秘められた壮大な秘密を知ります・・・。

物語の鍵となるのが、“世界初の職業監督”と言われているジョルジュ・メリエス。
彼は、ストーリー作りやカット割りなど、今や当たり前となっている手法を
作り出したほか、マジシャンの経歴を生かして映像に数々のトリックを取り入れ、
初のSFXを生み出したといわれています。

映画創世期、スクリーンに映し出される映像を初めて見た人々は、驚き、
同時に大きな感動を寄せたといいます。
その映画への愛を、最新の技術を使って現代に蘇らせたスコセッシ監督。
彼の熱い思いを、ぜひスクリーンから感じてください!

今日ご紹介した映画「ヒューゴの不思議な発明」は、
■TOHOシネマズ 光の森
■TOHOシネマズ はません
■TOHOシネマズ 宇城
■シネプレックス熊本
で、現在公開中です。

(「ヒューゴの不思議な発明」オフィシャルサイト http://www.hugo-movie.jp/

本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。

詳しくはここ↓

ポッドキャストへはここをクリック

 

3月5日(月)の魔法のことば

今日はラジオネーム:ストライプさんが出会った

         リンカーンの魔法のことば。

「しっかり心に決めれば、それだけで目的は

        達成されたも同然である。」

「異風者伝 近代熊本の人物群像」著者・井上智重さん

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする「ヒューマン・ラボ」
今日は、熊本近代文学館館長であり、
熊本ゆかりの偉人95人を紹介した著書
「異風者伝(いひゅうもん・でん)近代熊本の人物群像」を出版した
井上智重さんにお話をうかがいました。

Q① お名前と職業・所属を教えて下さい。
名前:井上智重(いのうえ・ともしげ)
所属:熊本近代文学館館長

プロフィール
1944年(昭和19年)12月、福岡県八女市の生まれ。地元の福岡県立福島高校に学ぶ、高校の先輩は作家の五木寛之さん。八女には画家の坂本繁二郎さんが住んでいた。古代、大和王朝に抵抗し、敗れた磐井(いわい)のために築かれたという岩戸山古墳が八女の丘陵部にあり、私の学んだ高校はその近くにあった。
熊本大学法文学部法科に進むがほとんど講義には出ず、文芸部で下手な小説を書き、映画研究部をつくった。
そのころから電気館の窪寺さんなどよく知っており、名画座・グランドでアルバイトをしていた。下通りにあった「山脈(やまなみ)」に出入りした。
佐賀新聞社に入り、10年いた。佐賀はまったくの異郷の地。
妻が熊本の女性。肥後の女のつよさ、やさしさもよく知っている。
熊本日日に中途採用された。熊日から声がかかって、妻の郷里であり、青春の地であり、移った。
佐賀でも文化部に5年いて、熊日でも文化関係が長かった。しかし、阿蘇総局長として4年いて、阿蘇の神話と歴史についてずいぶん書いた。一の宮町に依頼され、「阿蘇と豊肥線」という新書版の本も出している。
映画100年の企画で、日曜版に毎週「九州シネマ風土記」を連載。のちに「九州・沖縄シネマ風土記」として本になった。NHKの大河ドラマにあやかり、中央の出版社に宮本武蔵の本を頼まれ、当時、県立美術館の学芸員大倉隆治さんと共著「お伽衆宮本武蔵」を出した。これまでの武蔵像とは違う、武蔵の実像を大胆に描き、読売の書評に取り上げられるなど、インターネットなどでも話題になった。
文化部長のあと、また編集委員・論説委員に戻り、定年後も続け、5年と5カ月勤め、熊本近代文学館長になった。いま、1年と7カ月が過ぎたところ。
今回、「異風者伝」という本を古巣の熊日から出してもらった。熊日に連載した「近代肥後異風者伝」85人に以前書いた評伝のなかから幾つか加え、さらに徳冨蘆花と高群逸枝についてやや長文の書下ろしも加え、95人の列伝となった。
私の愚息は共同通信の記者をしているが、「おやじは記者ではなくものがきだ」と言っている。わがまま勝手、勝手ふじゃにやってきたということらしい。
愚息は外信に属し、先日も北朝鮮に出かけ、ルポを書いていた。女房にいわせると、「ぬるいルポだ」とさんざんだ。娘もいます。小津安二郎の「麦秋」が好きといったシブイ娘で、まだ嫁に行かない。(しかし、こんな話をしていたら、どれだけでも時間がかかる)
仕掛け人といわれているようです。小泉八雲、ジェーンズ、漱石、石光真清、宮本武蔵などなんでもやってきた。

Q② 今回出版された「異風者伝(いひゅうもんでん) 近代熊本の人物群像」の基本情報を教えて下さい。
 熊本日日新聞社の発行。値段は税込で2500円。560ページもある、ともかく分厚く、重たい。95人の人物伝ですから。副題は「近代熊本の人物群像」。
帯には「あっと驚く、うんと頷く 肥後異才列伝」とある。異風者と書いて、「いひゅもん」と読ませている。
東大名誉教授の平川祐弘先生の「解説」が帯にひかれていて、「幕末以来の熊本の人物群像に次々と光をあてた。その成果であるこの「異風者伝』は見事な読み物である」とある。すごくほめられ、顔が赤らむほど。ちょおと癖のある人物、歴史的にはわき役だが、非常に人間的な人物を描いているうちに、だんだん、歴史上の主人公まで描くようになってしまった。たとえば、徳富蘇峰とか、明治国家のグランドデザイナーと呼ばれる井上毅(いのうえこわし)など。
エピソードを中心につづっているから、面白いと思う。「偉いひとはみな、変わっている」というところですかね。

Q③ 「異風者伝」はどんな内容の本ですか?「異風者」とはどんな意味ですか?
「異風者」の定義はむずかしい。熊本で「いひゅもっこす」というと、あまりいい意味では使われていなかった。端的にいえば、変人、変わり者。しかし、それだけでは言いきれないところがあります。熊本だけでなく、佐賀でもいいますね。「お前さんは異風者」の意味を変えてしまったと先輩の記者などからもいわれました。「いひゅもん」という焼酎も百貨店で売られるようになって。
だれでもどこか変わっている。それをネガティブにとらえず、もっとポジティブにとらえた方ぎい。世に出るひとは、やはりどこか違います。
これまで熊本人をモッコスとかワマカシといった言葉で語られてきましたが、モッコスも手垢に汚れていて、「おれはモッコスだから」と自らいうひとを見ますと、俗臭を帯びてきこえますね。オレはモッコスといったとき、もはやモッコスという意味が失われてしまう。「いひゅもん」という言葉で人物の評伝を書いたのは、そういう意味もある。まだ手垢に汚れていない。私ひ「風」という言葉が好き。気分とかね。案外、歴史というのはその時代の気分で変わるものではないかと思ったりします。

Q④ 「異風者伝」を執筆するきっかけは何ですか?
記者というのはモノを書くのが仕事です。文化部長から編集委員に戻り、ひとりでやる仕事に戻った。毎日とか、週一、どこかの紙面の一部を、軒を借りるようにして仕事をするのはやりにくいところがあるのですね。月一回程度、一面使うわけですが、結構、空き紙面みたいなものが出て、1㌻まるまる一人で使うのは贅沢ではあるのですが、読み切りとの読み物としては意外にいいんで
す。読者につまんないものを書いていると思われたら、最後です。新聞も商品ですから。読まれてなんぼ。結構、読者もついてきて、だらだらと書かせていただいたわけです。
歴史ものというのは商品性があるんです。歴史ものはみなさん好きで、時代的には幕末から明治、大正かな。編集者として、記者のプロとして、商品を提供したい、これが動機です。
長すぎず、短すぎず、しかしじっくりと読んでいただけるものを。
人物者は好まれます。現代のひとを取り上げてもいいですが、ことばがつるつるとして、のっぺらぼううな感じでね。どこかで聞いたようなことを無理やりしゃべらせているような。その点、過去の人物は時代という波であらわれ、木目がきっちり出ていて、こつんと響くことがあるんですね。ずっと書きやすい。
私がやってきたことはコロンブスの卵みたいなところがあるんです。
「異風者伝」を毎月一回書きながら、定年を迎える前の年から週五回、「言葉のゆりかご」というコラムを始め、それに週一回、夕刊の本のページも担当し、まだ新生面もまわってきていましたから、やたら私の文章が溢れ出て、これはいけないと思いました。定年後も五年いて、そろそろ潮時だと思った。「言葉のゆりかご」は1500回以上書いたのでは。

Q⑤ 「異風者伝」には、95人の熊本ゆかりの人物がとりあげられていますが、井上さんが最も興味のある人物は誰ですか?その理由は?
好きな人物だから描いたというわけではないんですが、書いているうちにどの人物も好きになり、好きにならなかったら書けない。出来不出来はずいぶんあります。藤村紫朗なんか、熊本ではだれも知りませんが、山梨県ではすごく有名。山梨県の近代化をなした人物ですが、この藤村紫朗という名も勝手に本人が名乗ったわけで、身分は軽輩ですね。下級藩士の下。肥後勤王党です。肥後勤王党は軽輩が多い。実学党は中クラスの藩士です。黒瀬というのが本来の姓で、兄は江戸で横井小楠を襲撃した一人です。小楠は逃げて無事だったのですが、一緒に飲んでいた熊本藩の江戸留守居役は重傷を負い、死んでしまう。紫朗の兄はのちに松山で捕えられ、豊後鶴崎で仇討に遭っています。紫朗は長州勢と行動を共にし、維新を迎え、山梨県の県令になり、学校の校舎なども近代的な西洋建築によって建て、いまも残っており、「藤村式」と呼ばれている。
しかし、私が一番心がひかれるのは井上毅です。明治憲法はほとんど彼一人でつくりあげたといっていいのです。明治憲法を否定するあまりに彼を悪くいうほとがいますが、とんでもない。近代的な法治国家をつくろうとした人で、土佐の植木枝盛らに憲法とは何であるかといったことを教えているんですね。

Q⑥ 「異風者伝」執筆に関して、最も印象深いエピソードをお願いします。
エピソードはいっぱいあります。たとえば、大正11年、徳冨蘆花夫妻が里帰りして来て、熊本市の公会堂で講演をしています。二人は世界一周の旅をしてきたばかりで、演題は「私どもの土産」。そこで二人は聴衆の前でキスをして見せるんです。唖然とし、どよめくわけですが、当時の新聞記事にはそこまでは書いていません。しかし、五高生であった上林暁、有名な作家となりますが、その目撃談を書いております。こういうのを見つけるのが楽しみで仕事をしてきました。
来年は蘆花がブームになるはずです。というのも来年の大河ドラマのヒロインは山本八重という会津の烈女です。彼女は新島襄の奥さんになりますが、八重の姪、山本久栄と蘆花は同志社時代、恋愛事件を起こし、「黒い目と茶色の眼」という作品にそこいらが描かれています。二人の恋路を邪魔したのが八重です。

Q⑦ 今後の活動予定などを教えてください。
 今月28日、「異風者を語る春の夕べ」をホテル日航で開催します。私の本の出版記念会でもありますが、東京などからも異風者のご子孫たちが集まってきます。作家の出久根達郎さんや歴史家、評論家の松本健一さんもお見えいただきます。東大名誉教授の平川祐弘ご夫妻はもちろん。そこで肥後の異風者など熊本人の魅力を大いに語り、楽しもうというものです。
 熊本近代文学館は一昨年度、開館以来第二位の入館者数を記録し、今年度は昨年度を上回っており、開館以来の年間入館者の記録を達成しそうです。ぜひ、皆さんお見えいただきたいと思っています。来年は東京の永青文庫に文学館の漱石関連の資料などを持って行って、展示をやりたいといま、交渉を始めたところです。

 

本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。

詳しくはここ↓

ポッドキャストへはここをクリック

 

 

 

 

3月1日(木)の魔法のことば

今日はラジオネーム:モノマニアさんが出会った

         所ジョージの魔法のことば。

「人間は何のために生きてるのかなって

      考えてることが、生きている意味だ。」

「株式会社 真多呂人形」のヒミツ

3月3日は桃の節句ということで、毎年、世相を反映した変わり雛を発表している
「株式会社 真多呂人形」のヒミツについて、取締役会長・二代目 金林真多呂さんに
お話をうかがいました。

~~~~~株式会社 真多呂人形 会社概要~~~~~

 真多呂人形は、大正8年の創業より木目込みの伝統技法に忠実に、雛人形や五月人形、浮世人形など数々の品を制作してまいりました。
京都の上賀茂神社から木目込み人形制作の唯一の正統伝承者として認定を受けており、「木目込み」の技を継ぎ、磨き上げられた伝統技法を現代に伝えています。
なによりも大事にしているのは、正統伝承者の名に恥じない“確かな技”。
彫塑やデッサンを深耕し人形制作を総合芸術として高め、現代感覚あふれる制作にこだわっています。
熟練の職人が一つひとつ丹精込めて雅やかな逸品を世に生みだしており、伝統工芸品としても高い評価をいただいています。                                                             

「真多呂人形」という社名の由来を教えて下さい。                  
 社名の由来は、当社の創業者で人形師の初代・金林 真多呂の名前から、創業時の社名は「金林商店」で、木目込み人形の製造、販売をしておりました。
 伝統ある木目込み人形に新たに創意工夫を加え、真多呂人形独自のふっくらとした気品のある顔立ちと時代考証を踏まえた人形全体の造形美は、以前の人形にはなかった現代感覚あふれるお人形となり、真多呂人形として皆様に広く親しまれました。                                 
 数回の社名変更があって、昭和62年「株式会社真多呂人形」とし、現在に至っています。

さて、真多呂人形と言いますと、毎年、「変わり雛」を発表されていますが、どんなきっかけではじめられたのですか?
 大正時代末期から昭和の初期にかけて、東京を中心とした関東に在住した当時の文人・画家・工芸作家などが、それぞれの趣向を凝らした年賀状を交換していましたが、やがてそれらの人々がひとつのグループを作り“趣好会”と名付けて交流を深めました。
ある年、その年の干支にちなんで様々な素材を用いて雛人形を作り、お互いに交換し合うことにしたのです。
たとえば、その素材は鉛筆であったり、うずらの卵の殻であったり、煙草の箱であったり、とあらゆるものを用い、それをふたつ並べて雛人形に見立て、これを「見立て雛」と呼んだのです。
この「見立て雛」が現在の“変わり雛”の原点です。
一時は百人近くいた趣好会も戦争によりいつしか崩壊してしまいましたが、当時から会の中心的立場にいた人形師 初代金林真多呂は終戦と同時に、この見立て雛の形を変え、テーマを干支でなく、その時代の流行・時の話題・社会風刺などに求め“変わり雛”として制作発表しております。

これまで発表された「変わり雛」にはどんなものがありますか?
 昭和21年(第1回)発表の大流行した「りんごの唄」をテーマにしました「「りんごの唄雛」をはじめ、「テレビ開始雛(昭和28年)」、「万博雛(昭和45年)」、「韓流ブーム雛(平成17年)」、「東京スカイツリー雛(平成23年)」 など。

今年の「変わり雛」はどんなものになりましたか?
 一年を振り返る平成24年の真多呂人形変わり雛は以下の6点です。                                                             
① 東北復興祭り雛
   被災地で東北三大祭りが初めて一堂に会し、慰霊と復興を祈念しました。
   お雛様は祭りに参加した男女です。

② 民主政権たらい回し内閣雛 
   前政権に続いて今政権も鳩山さん、管さん、野田さんと
   政権内でのたらい回し。お雛様は、野田総理と仁美夫人。

③ 猛暑節電雛
   昨年に続いて記録的な猛暑となった今夏。
   計画停電、節電が追い打ち。ゴーヤなど緑のカーテンが人気になりました。
   お雛様は男女のゴーヤがモチーフ。

④ なでしこW杯制覇雛
   7月の女子サッカーワールカップで、なでしこジャパンが世界一に。
   それまで陽の当らないスポーツが国民栄誉賞も受賞。
   お雛様は佐々木監督とキャプテン澤選手。

⑤ 金狂騒雛
   円高の一方で、金の高騰が続き、時ならぬゴールドラッシュ。
   お雛様は店主と金を売りに来た女性。

⑥ 子役俳優人気雛
   今年は子役俳優たちが、お茶の間の話題に。
   暗い世相を吹き飛ばしてくれました。お雛様は鈴木福くんと芦田愛菜ちゃん。

「真多呂人形」では、さまざま商品を開発、販売されていますが、これまで最もヒットした商品は何ですか?
 浮世人形など数多くの種類の人形を制作、販売しております。
看板商品となります「雛人形」はふっくらとした顔立ちが特徴。
「私のお雛様は真多呂さんのだから、娘(孫)が生まれたら、やっぱり真多呂さんのお雛様を」という嬉しいお言葉もお客様からいただいております。

「雛人形」の親王飾り、段飾り、立雛など種類も豊富に取り揃えておりますが、中でも「瑞花雛(ずいかびな)」と「有職雛(ゆうそくびな)」が人気商品です。

これらの人気商品はいつごろ? どんなきっかけで開発することになったのですか?
 「瑞花雛(ずいかびな)」は十年前の平成14年、「有職雛(ゆうそくびな)」は五年前の平成19年にそれぞれ真多呂人形の新型の雛人形として販売を開始しました。

瑞花雛(ずいかびな)」は、お雛様の可愛らしさをより強調するために試行錯誤しましたところ、5歳くらいの子どもをイメージして作られたお雛様が、華やかでありながら初々しく愛くるしい雰囲気をだすことができました。
比較的お人形がコンパクトなサイズのため、段飾りでも場所を取らず飾ることが出来るお雛様です。
「有職雛(ゆうそくびな)」は、お子様が大きくなり目が肥えてからも、変わらぬ趣きの良さをお楽しみいただけます様に、大人顔で品格溢れる高貴なお雛様に趣向を凝らして制作いたしました。

通産大臣指定伝統的工芸品です。

他に、開発秘話などのエピソードがある商品がありましたら教えてください。
 琴を奏でる十二単の平安朝の日本美人像の初代真多呂の代表作品の「松風」は、自他共に認める代表作であり、真多呂人形を象徴する作品です。
この「松風」は英国のマーガレット王女の戴冠式の折り、贈呈品として当時の吉田茂首相がお持ちになって、大変喜ばれたというエピソードをはじめ、多くの贈り物として珍重されました。
この「松風」の人形にたどり着くまでに、初代は五十年の歳月がかかったといいます。

その他、オススメの商品やサービス、キャンペーンなどPRしたい案件があればお願いします。
 真多呂人形には、雛人形や五月人形などをじっくりご覧いただけるショールーム「真多呂人形会館」が1月6日~5月5日まで無休で営業しております。
日本人形協会認定の「節句人形アドバイザー」が2名常駐しており、ご希望やご予算、設置場所に合わせて適切なアドバイスを行っております。
雪洞(ぼんぼり)、毛氈(もうせん)、ガラスケースなどの単品販売もしており、ご希望をお伝えいただければ最適な商品をご紹介させていただきますので、ぜひご相談ください。

 真多呂人形の雛人形・五月人形をご購入された方、これから購入予定の方が対象としました「真多呂人形との思い出コンテスト」の参加者募集中です。
締め切りは2012年3月10日迄となります。参加賞もご用意しておりますので、奮ってご参加くださいませ。
 また、真多呂人形では、完成品のお人形の販売だけではなく、平成23年8月に創立四十五周年を迎えました木目込み人形の正統技術を学べる真多呂人形学院も運営しております。
上野本校をはじめ、全国教室と通信教育のご希望の方法で人形作りを学ぶことができます。
人形材料キットを使い、手作りのお人形を楽しむことができます。

                                       
詳しくは、真多呂人形ホームページをご覧下さい。
株式会社 真多呂人形ホームページ:http://www.mataro.co.jp

 

本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。

詳しくはここ↓

ポッドキャストへはここをクリック

<前へ 1 | 2 | 3 | 4