6月30日(火)魔法のことば
RN「きよぴー」さんが、
映画「ナチュラル」の中で出会った魔法のことば。
「人生は二つあるのよ。
学ぶ人生と、その後を生きる人生。」
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RN「きよぴー」さんが、
映画「ナチュラル」の中で出会った魔法のことば。
「人生は二つあるのよ。
学ぶ人生と、その後を生きる人生。」
今日は、先日行われた「2009熊日デザイン賞」でグランプリの
文部科学大臣賞に選ばれた画家の「櫻井栄一」さんを紹介しました。
クラブでの若者の様子を切り取り、
パステル画で描いた三点の作品が選ばれました。
まず「ビール!ビール!ビール」というタイトルの作品は
クラブのカウンターでドリンクチケットを差し出す若者達、
「週末ソウル」という作品ではクラブで踊る若者達とカウンターの男女、
「忙中閑有」という作品では踊っている若者の中で
携帯電話をチェックしている女性の姿が描かれています。
絵を描き始めたきっかけを教えてください。
高校一年のときに部活に入らず帰宅部だったのですが、
そのとき美術の先生に美術部に誘われたのがきっかけです。
高校生活三年で、作品を創ることの楽しさと難しさを知りました。
その後、大学ではモダンアートを専門でやりましたが納得できず、
卒業後にパステル画を書き始めましたので
絵に関してはほとんど独学に近いです。
どんな作品を手掛けていらっしゃいますか?(画材、作品のテーマなど。)
画材はハードパステルです。一般的によく使われているパステルです。
作品のテーマは「今を生きる日本人」が最も言葉として近いと思います。
現代の浮世絵師を自称しております。
これまではどんな風に作品を制作したり発表していたんでしょうか?
最初の五年間は、クラブイベントとして作品を発表していました。
一昨年はパリに約一年滞在しまして、最後に個展を開催しました。
現地のデザイナーさんの意見で面白かったのは、
日本人にも骨のある奴がいるな、と言われたことです。
パリにきて作品を発表する日本人のほとんどが、
「和」のテイストで勝負しているらしく、少し食傷気味らしいです。
一年外国にいて、自分の中から「和」が出てきませんでしたから、
それは私にとってリアルではないのでしょう。
デザインの公募展に出品するのは初めてだったそうですが、
今回熊日デザイン賞に出品しようと思われた動機を教えて下さい。
実は、妻が応募用紙を持ってきて、「出してみたら」と。
ビジュアルアートなら、何でもアリだろうという感じでした。
出すときは、「俺の作品は最高!」みたいな気分でしたが、
過去公募展に落選しまくった経緯もあり、全く期待はしていませんでした。
デザイン賞でしたしね。
グランプリ受賞の知らせを聞いた時は、どんな気持ちでしたか?
電話をいただいたのが、法事の読経の最中で、受けたのが妻で
読経が終わるまで教えてくれなかったのです。なんか笑顔だな、
法事なのにと思っていたら受賞だったので、
その場でご先祖さまに感謝しました。
これからどんな作品を描いていきたいですか?
「今感じる時代のリアルを、美しく画面に刻みつける」がこれまでも、
そしてこれからも変わらないテーマです。
作品展など、今後の予定を教えて下さい。
7月7日から大津図書館で作品展示です。
8月8日から、プライベートロッジさんで個展です。
8月1日と30日はイオンモール熊本クレアで
「アートスイッチ」というイベントを開催します。
※このイベントについてはまたこの番組で紹介しますのでお楽しみに♪
今日は、
オン・ザ・レディオ / ドナ・サマーを紹介しました。
1948年12月31日にボストンで生まれた彼女。
「クロウ」というローカル・グループを経てミュージカルへ。
その後ドイツに移住してシンガーとなり、
その後「Love to love you baby」という曲がアメリカでも評価を受け、
一躍スターダムにのし上がります。
ドナ・サマーは決して器用なヴォーカリストではなかったのですが、
彼女のバックで演奏するプロデューサー・ティーム、
ジョルジオ・モルダー&ピート・ベロッテが作り出すサウンドとあいまって
魅力的な楽曲となります。
「愛の誘惑」や「恋はマジック」などといったナンバーは、
リリースと同時にディスコフロアで人気となりました。
その後も彼女は「マッカーサー・パーク」「ホット・スタッフ」「バッド・ガール」など
好シングルをリリースし、セールス的にも大成功を収めました。
RN「ピュアバター」さんが、
映画「フォレストガンプ」の中で出会った魔法のことば。
「人生はチョコレートの箱。食べるまで中身が分からない。」
今日紹介したのは、ユニークなネーミングのニュースポーツの
「ピロポロ」です。
ご出演は、このピロポロ用具の貸し出しなども行っていらっしゃる、
水前寺競技場の所長「塩澤徳朗」さんです。
ピロポロとはどのようなスポーツなんですか?
ピロとは枕のような柔らかいという意味で、ポロは乗馬競技の一つなんですが、
スティックでボールを運び、相手のゴールに入れあうという
ホッケーのようなスポーツです。
ピロポロを楽しむための用具や人数、コートの広さを教えて下さい。
25m×10mのコートで行います。
道具は、ソフトスティックとボールとゴール、
スティックもボールもスポンジ製の安全なものです。
人数は1チーム6人(計12人)で行う、
レクリエーション性の高いニュースポーツです。
レクリエーションスポーツの用具の貸し出しなども行われているんですか?
はい、ニュースポーツの用具の貸出や、ニュースポーツ用具の貸出など
行っていますので、ぜひ一度お問合せ下さい。
水前寺競技場 電話 096-381-9323
今日は6月24日にリリースされたakikoのニューアルバム、
「HIT PARADE-LONDON NITEトリビュート-」をブックマーク。
FMKでも毎週日曜の深夜0時30分から午前1時までの30分間、
大貫憲章とKatchin(カッチン)’こと片桐克己の二人がお送りしている
「ロンナイ」という番組があります。
この番組名の「ロンナイ」とは、そもそも「LONDON NITE」の略なんですが、
「LONDON NITE」というのは大貫憲章が、
新宿にあった「ツバキハウス」というディスコで
1980年に立ち上げたロックDJイベントの名前なんです。
80年代のDJイベントというと、「マツザキレコード」でもご紹介しているように、
時代はディスコが中心という印象が強いですよね。
今でこそロックをかけるクラブイベントも当たり前にありますが、
日本初のロックDJイベントというのは実はこの「LONDON NITE」だったんです。
熊本という地方にいてもロックファンの間では、そのイベントの名前は知られ、
音楽だけでなくファッションも含めて流行の最先端といった感じで、
憧れていた人も少なくなかったんじゃないでしょうか。
実際にこのイベントに足を運んでいた人の中から、多くのミュージシャン、
デザイナーなどが誕生していきました。
今日ご紹介するakikoもその中の一人で、16歳から”憧れの場所”として
「LONDON NITE」に通い、パンクから時代を遡るように音楽を聴いて、
18歳でジャズに出会ったそうです。
そしてロックではなく、ジャズシンガーとして2001年にデビューを果たしています。
今回のアルバムは来年30周年を迎える「LONDON NITE」の
トリビュートということで、「LONDON NITE」にゆかりのある人達を
プロデューサーに迎え、「LONDON NITE」を代表する1960年代から90年代の
ロック、パンク、ニューウェイヴ、ポップなどのヒット曲を
akikoのボーカルでカバーしています。
また、カバー・アートも日本を代表するファッションデザイナーの
一人となったジョニオこと、UNDERCOVERの高橋盾が手掛けるなど、
アートワークまで徹底してイベントゆかりの人物で固めてあります。
今日はこのアルバムの中から1974年のルーベッツのヒット曲の
「シュガー・ベイビー・ラヴ」のゆる~いカバーをお送りしました。
RN「しおり」さんが出会ったゲーテの魔法のことば。
「人生で重要なのは生きることで、生きた結果ではない。」
今日は、「スジャータ」の名前のヒミツに迫りました。
ご出演は、株式会社九州めいらくの専務取締役 渋谷和之さんです。
スジャータを販売している、めいらくグループは、
ホテル、レストラン、喫茶店、洋菓子店、ファーストフードなどの外食産業へ、
スジャータ、コーヒー、業務用乳製品、ミディアムアイス、果汁、冷凍食品、
ケーキ、調理用食品を生産直販されています。
「スジャータ」の名前の由来について教えて下さい。
スジャータとは、インドの娘さんの名前です。
長い間の修行で疲れ切ったお釈迦様に、
スジャータがミルク粥をささげたところ、それを飲んで「醍醐味だ!」と大変喜ばれ、
たちまち元気になられました。というお話から、
めいらくグループでは、ほっとしたい時に飲みたくなるコーヒーを、
より美味しく召しあがっていただきたい、
という願いから商品に「スジャータ」と名付けました。
オススメの商品を教えて下さい。
「家族の潤い 野菜と果実」シリーズ。野菜汁と果汁、合わせて50%、
すっきりした飲み口なのに、100%のような味わいの野菜飲料です。
栄養機能をプラスして、手の届きやすい価格と、機能性の高さを両立させて、
毎日飲みたいジュースを目指しました。
特にこの春新発売した「紫の野菜と果実」はぶどう果汁で飲みやすくなっております。
めいらくグループ HP http://www.sujahta.co.jp/
今週は「ジャニス・イアン」を紹介しました。
皆さん、ジャニス・イアンという名前を聞いてどんな印象をお持ちでしょうか。
若いリスナーの方は初めて聞くという人がほとんどかと思いますが、
40代半ば以上の方ならば、日本のTVドラマや映画の主題歌を多く歌った、
親日家のポピュラー歌手というイメージが大半を占めるのではないでしょうか。
確かにそういう側面もあって1970年代後半は日本で大人気だった彼女ですが、
そんな一言では語ることのできないほど重要な音楽家なのです。
デビューは1966年、なんと15歳でした。
しかも作詞作曲、ギター演奏も自分の手によるものです。
さらにそのデビュー曲「ソサエティズ・チャイルド」は
黒人の男の子と白人の女の子が交際するという、
当時はショッキングな内容で、レコード発売を拒否されたり曲をかけた
ラジオ局が放火されたにもかかわらず、なんと全米1位になったのです。
天才少女の登場と騒がれたのも当然でしたが、ヒットはこれだけ。
アルバム5枚は時代の先を行き過ぎたためか、
それほど売れませんでした。
けれどもこの時代の彼女の作品のジャズとR&Bとフォークを
混ぜたような独特で高い音楽性と社会派メッセージこそが、
後の女性SSWに与えた影響は大きかったのです。
ジョニ・ミッチェルよりもローラ・ニーロよりも先に
ジャニス・イアンがいたことを覚えておく必要があるでしょう。
しばらく充電した後、1974年に復活、ぐっと大人になって
ポップになったここから大成功を収めることになり、グラミー賞も獲ります。
初期と完全に別物の音楽になったわけではないのですが、
かなり大衆的で、わかりやすくなったこの時代以降から前述のように
日本で人気となったので、マニアックなリスナーには見過ごされて
しまったのが惜しかったかもしれません。
1980年代は離婚、2度の大病、破産と不幸に見舞われましたが、
1993年に約10年ぶりに復活。
初期のようなシリアスな音楽に立ち戻り、
マニアも納得の好作を作り続けています。
全盛期を知っている人にこそ、先入観なしにぜひ聴いてもらいたいです。
今日お届けしたのは、
1993年リリース、ジャニス・イアンで「走り続ける列車」でした。
RN「ティアラ」さんが、
映画「私の頭の中の消しゴム」の中で出会った魔法のことば。
「人を許すことは、心の部屋をひとつ空けること。」