10月6日(木)魔法のことば
RN「セイヤ」さんが出会った手塚治虫の「魔法のことば」。
「人を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ。」
RN「セイヤ」さんが出会った手塚治虫の「魔法のことば」。
「人を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ。」
今日は、「ゆかり」や「炊き込みわかめ」でおなじみの「三島食品」の
会社のヒミツに迫りました。
ご出演は、三島食品株式会社の佐伯俊彦さんです。
~~~~~~三島食品株式会社 会社概要~~~~~~
創立は、1949年(昭和24年)、本社は広島県広島市
事業内容は、ふりかけ、レトルト食品などの製造販売
主要商品は、赤しそふりかけ ゆかり、瀬戸風味、
炊き込みわかめ、菜めしなど。
「ゆかり」という三島食品の有名なロングセラー商品ですが、
この商品の開発時のエピソードを詳しく教えて下さい。
開発のきっかけは一人のセールマンの熱意でした。
ゆかりは1970年3月に商品化されました。
その頃名古屋地区で赤しそを細かく刻んだ漬物
(今で言うウエットタイプのふりかけ)が良く売れていました。
当時はふりかけしか売るものがなかった時代で、
あるセールスマンが毎日のように「赤しその漬物を作ってほしい」との
要望を営業日報に書いていましたが、当時の社長(創業者)は
「それは他社(漬物屋)がやることでうちはやらない」と
聞き入れていませんでした。
しかしあまりにもしつこく言ってくることに根負けして、
「漬物はだめだが乾かして売るのなら良かろう」ということになって
研究が始まりました。
「ゆかり」の開発のポイントはどこでしょうか?
漬物(塩蔵品)を乾燥させることは大変難しい技術を要し、
温度設定が低いと乾燥せず、温度を上げると焦げ付き、
完成までの道のりは並大抵ではありませんでした。
やっと製品化にこぎつけたものの店頭に置いてもらっても売れず、
長く店頭に置いておくと白っぽく変色してしまい
ますます売れなくなるという悪循環でした。
セールスは毎日のように新しい商品との入れ替えに走り、
多くの返品が返ってくることもありました。
しかしそのうちに業務用のルートで学校給食のメニューとして人気が出て、
やがて市販用も次第に売れるようになっていきました。
「ゆかり」のネーミングの由来は?
「ご縁(えん)と紫色」から名付けられました。
古今和歌集の中に、
「紫のひともとゆえに武蔵野の 草は皆がらあはれとぞ見る(読み人知らず)」
とあります。これは「むらさき草がひともと(1本)咲いている、
という“縁=ゆかり”だけで、武蔵野の草花が皆いとおしく、
身近に感じてしまう」という意味になるそうです。
この「縁」あるもの、「ゆかり」あるもの=むらさき草で、
ゆかり(縁)の色は紫色を言うようになりました。
また平安の頃より紫色は高貴な色でもありました。
この紫色を染め出すために珍重されたのが、
むらさき草の根だったそうです。当社のゆかりはこのことから品名
に「ゆかり」と名づけ、商品の袋にも紫色を使用しています。
温かいご飯にかけて食べたら本当に美味しいですよね。
そうですね、シンプルですが、ごはんにふりかけたり、
おにぎりにしてお召し上がりいただくのが一番だと思います。
(冷めても美味しくいただけます)
また、ごはん以外の食べ方としては、パスタに和えたり、
茹でた野菜に和えたりしても簡単で美味しく野菜を摂っていただけますよ!
「炊き込みわかめ」なども有名ですよね?
炊き込みわかめの開発とネーミングの由来について
混ぜごはんの素で「炊き込みわかめ」という商品があります。
ゆかりに続くロングセラー商品です。
この商品はもともと学校給食で広まった業務用商品でしたが、
学校で食べたわかめごはんが美味しいと子供たちが家に帰って
お母さんに話しますが、当時は市販化されていなかったので、
学校給食の調理員などを通して買われていました。
その後学校の近くの小売店で300gの業務商品が売られるようになり、
最終的に市販化されることになりました。
“混ぜ込み”なのに“炊き込みわかめ”とあるのは、
混ぜ込んでも炊き込んだように美味しくできあがると言う意味から
社内公募で決まりました。
これからも更なる「ゆかり」を楽しみにしています!
はい、これまでにも美味しい「ゆかり」をつくるために、
ゆかりにあった赤しその種子の開発を20年余りの時間をかけて
誕生させました。
ゆかりの美味しさの命は、香り・色・食感です。
これらの要素が整った赤しその種子を開発し、
いまでも進化させています。
その種子の品種登録を農水省へ行ない、
名前の「豊香(ホウコウ)」は商標登録しています。
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓
RN「モモ」さんが、おばあさんからかけてもらった「魔法のことば」。
「泣いても笑っても同じ1日。
だったら笑って過ごした方が良くないかい?」
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「やさしいごはん」
おいしい食べ物は人を元気にします。
おいしいものをおいしい季節に食べたいですね。
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このコーナー『やさしいごはん』では
毎回、季節にぴったりの食に関する話題をお届けしていきます。
毎月、第1水曜日に登場するのは、
熊本県産のオーガニック食材を全国に紹介、販売する
インターネット・サービス「オーガニックママン」の松田耒布さんです。
お知らせ♪
NPO法人食の安全評価協会主催の
「食の安全エキスパート初級認定講座」が12月に開催されます。
説明会を10月16日(日)午前10時30分~11時30分までアイポートで行います。
参加希望、お問い合わせは ℡096-371-1815
オーガニックママン HP http://www.organicmaman.biz
~~~~~~~~~今日のオススメレシピ~~~~~~~~~
今日は、運動会や秋の行楽シーズンのお弁当にお薦めの
「簡単タンドリーチキン」です!
【材料】(2人分)
鶏もも肉1枚 にんにく、しょうが各1片 カレー粉小さじ1
ヨーグルト大さじ3 ケチャップ大さじ2 塩、胡椒 適量
クミン、カルダモン等あれば適量
【作り方】
①鶏もも肉は脂をとり、フォークなどでつついて味なじみをよくしてから
塩、胡椒をする。
②ジップロックなどに①とカレー粉、ヨーグルト、ケチャップ、
(あれば)スパイス類、にんにくとしょうがをすりおろしながらいれて
口を閉めてからしっかりともみ込む。
③一晩冷蔵庫でねかせ、
オーブン(250度で20~30分)やグリルで焼いたら出来上がり!
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓
RN「2組の担任」さんが出会ったアインシュタインの「魔法のことば」。
「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、
なお残っているもの、それこそ教育だ。」
現在公開中の「はやぶさ HAYABUSA」を紹介しました。
2010年6月13日、7年間、60億キロの旅を終えて地球へと帰還した、
小惑星探査機「はやぶさ」。
月以外の天体からサンプルを採取して持ち帰った快挙は
日本だけでなく、世界中で大きな話題となりました。
「はやぶさ」をテーマにした映像作品も数多く作られているんですが、
その1つが今日ご紹介する「はやぶさ HAYABUSA」。
宇宙科学研究所のスタッフとして働く主人公・水沢恵の視点を通して、
数々の危機を乗り越えてイトカワのサンプルを地球に持ち帰った
「はやぶさ」プロジェクトチームの苦闘を描いています。
この映画、なんと言ってもすごいのが、そのリアル感です。
堤幸彦監督が、「完全コピーを目指した」というだけあって、
JAXAの相模原キャンパスはもちろん、
実際に「はやぶさ」のカプセルが到着したオーストラリアの
ウーメラ砂漠でもロケを実施。
また、JAXA対外協力室室長の的川教授を演じた西田敏行、
プロジェクトマネージャーの川口教授を演じた
佐野史郎のそっくりぶりも必見です。
そんな中、竹内結子が演じる主人公・水沢恵は架空の人物ですが、
だからこそ観客の僕たちに最も近く、
彼女の成長ぶりが爽やかな感動を生んでいます。
ちなみに、来月11月23日(祝)~27日(日)の5日間、
熊本市の熊本博物館でははやぶさの帰還カプセルが展示されます。
この映画を見て、実際のカプセルを見れば、
感動も一段と大きくなると思いますよ!
今日ご紹介した映画「はやぶさ HAYABUSA」は、
■TOHOシネマズ 光の森
■TOHOシネマズ はません
■TOHOシネマズ 宇城バリュー
■シネプレックス熊本
■ワーナー・マイカル・シネマズ 熊本クレア で、現在上映中です。
「はやぶさ HAYABUSA」オフィシャルサイト
http://movies.foxjapan.com/hayabusa/
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詳しくはここ↓
RN「カマクラ」さんが出会った平櫛田中の「魔法のことば」。
「いまやらねばいつできる?
私がやらねば誰がやる?」
今日は荒尾市にある宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館の
「安田信彦館長」がゲストです。
今年は辛亥革命100周年ということで、
関連イベントもいろいろと行われていますが、
今日は、情熱をもって生きた宮崎兄弟について、詳しく伺いました。
宮崎滔天はどんな家庭で育ったのか、
宮崎家の精神について教えてください。
宮崎家の遠祖が荒尾村へ初めて姿を現すのは遠く正保4年と伝えられています。
反骨精神のたくましい宮崎家は村人を博く愛し、
旦那と尊敬される名望家でした。
父政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、弱者に対し豊かな
同情を傾けた。母佐喜も同情心が強く、また教育熱心であり、
「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と子ども達に教えました。
地域のリーダー・使命感をもとに過ごしていたと思います。
滔天は宮崎家の八男でしたが、
宮崎家の家庭環境について教えてください。
宮崎兄弟の中で有名なのは、二男の「八郎」です。
自由民権思想を持つ彼は、残された兄弟の方向性を決めました。
滔天も幼少の頃からその動きをみていましたので、
自分も”人助け・四民平等というのが自分の使命”だと幼い頃から
自負していたようです。
滔天以外の兄弟もいろいろな活動をしていまますよね?
六男「民蔵」は、宮崎家は地主であるというのに、
平等に”土地を共有するよう”、
自分の利害と反する行動を行なった哲学者であり思想家です。
七男「彌蔵」は、滔天がアジアの革命に目を向けるきっかけとなる、
思想を唱えていました。アジアの中心である中国が民主化をはかることで、
ヨーロッパの侵略からアジアを守り、
ひいては世界を守るという思想家でした。
また、滔天と孫文の橋渡し役を果たしています。
そんな兄弟の仲で育った滔天が孫文とどう関わったのか教えてください。
”物””心”ともに支援したということなですが、
孫文とは出会いの時から彼の理念に非常に共感して、
私利私欲なくサポートしてきたようです。
滔天は後に浪曲師となったそうですが、「三十三年の夢」について、
この本は中国の革命においてどんな役割を果たしたのでしょうか?
自分が革命の途中で挫折(革命自体も)し、
運動から少しはなれた時に生活費稼ぎで浪曲師になったわけですが、
その時に三十三年間歩んできた反省を紹介したわけです、
それが当時1万人いたという中国の留学生らの中で注目され、
孫文のことを求めて滔天のところをたずねるきっかけとなりました。
結果、孫文をリーダーとする中国同盟会が成立し、
その後辛亥革命が成功しました。
ということは、滔天の存在がなければ、孫文とのつながりもなく、
そうでなければ辛亥革命の成功もあり得なかったと思います。
荒尾市にある宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館では
どんなものを見ることができますか?
来週10月10日(月・祝)、荒尾総合文化センター 大ホールで
「辛亥革命100周年記念事業
宮崎滔天と孫文~荒尾の偉人をたずねて~」という
創作ステージが行われます。
案内人として安田館長と、「県庁ダイアリー」でおなじみの
橋本絵鯉子さんが出演されます。
宮崎兄弟についてより深く触れたい方はぜひ足を運んでください。
ステージは午後1時30分開場、2時開演。
チケットは前売り 一般1,000円、高校生以下500円。(当日は各200円増し)
また荒尾市宮崎兄弟の生家・宮崎兄弟資料館は荒尾市荒尾949-1
荒尾駅や荒尾市役所の近くにあります。
午前9時30分から午後5時まで開館していますので、
こちらも訪ねてみてください。
荒尾市のHPより
http://www.city.arao.lg.jp/kihon/pub/default.aspx?c_id=66
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓
RN「とんま」さんが出会った
メジャーリーガー ノーラン・ライアンの「魔法のことば」。
「一番よりも、”唯一”という言葉のほうが僕の人生では
大切な位置を占めてきた。」
今日は、「森永ミルクキャラメル」のヒミツに迫りました。
ご出演は、森永製菓株式会社の森崎高志さんです。
~~~~~森永製菓株式会社 会社概要~~~~~
本社は東京都にありまして、
創業は1899(明治32)年、
森永太一郎がアメリカから帰国し、「森永西洋菓子製造所」設立。
事業内容 当社は菓子(キャラメル・ビスケット・チョコレート等)、
食品(ココア・ケーキミックス等)、冷菓(アイスクリーム等)、
健康(ゼリー飲料等)の製造、
仕入れ及び販売を主要な事業としております。
<主要商品> ハイチュウ、チョコボール、おっとっと、ダース、
小枝、ミルクキャラメル、森永ビスケット(マリー、チョイス、ムーンライト)、
ミルクココア、ホットケーキ、甘酒、
チョコモナカジャンボ、 ウイダーインゼリーなど。
「森永ミルクキャラメル」というと有名なロングセラー商品ですが、
この商品の開発時のエピソードを詳しく教えてください。
創業当初からキャラメルは製造していました。
当時のキャラメルは、横浜に住んでいる外国人や、
福沢諭吉など海外からの帰国者たちの注文で少量製造するくらいで、
なかなか一般の日本人の嗜好には合いませんでした。
当時のキャラメルは創業者の森永太一郎がアメリカで覚えたままの
仕込みだったので、バターやミルクが大量に使用され、
乳製品の風味が強く日本人にはなじみがうすいものだったので、
なかなか受け入れられなかったのです。
また、当時のキャラメルは、湿度の高い日本の気候では
保存性にも問題がありました。
そこで、ミルクの強い味に柑橘系の香りを利かせたり、
煮詰め温度を工夫し、溶けにくい品質にしました。
流通段階での衛生面にも配慮してワックスペーパーに包んで
ブリキ缶に入れるなど、改良していきました。
改良を重ねて実際にヒットしたのはいつ頃だったのでしょうか?
大正時代に入ってから、乳製品の栄養価値が注目され、
バターやミルクが愛好されはじめたことから、
原料の乳製品の配合を増やし、
1913年(大正2年)「ミルクキャラメル」として発売しました。
そして翌年の1914年に、ポケット用・紙サック入りのキャラメルを開発し、
東京・上野公園で開催された大正博覧会の特設売場で販売したことが、
ヒットしたきっかけでした。
また、紙サック入りとなり、手に入れやすい価格ということや、
さらに携帯しやすく、保存性も良くなり品質も向上することにより、
このミルクキャラメルは爆発的にヒットしたのでした。
「森永ミルクキャラメル」の開発のポイントはどこでしょうか?
こだわりは、煮釜でじっくり煮込むことによるキャラメルのコクと
本物の練乳を使っているミルク感。
ミルクとバターの複雑な組成のフレーバーも美味しさのポイントです。
味や風味は発売された時と同じなんですか?
発売当初は、米あめを使用していたので独特の「あめっぽい」風味が
あったのではないかと思います。
また、オレンジのフレーバーを使用していたので、
今の風味とは随分違うと思います。
さらに、今はビタミン、ミネラルを栄養強化目的で添加しています。
また、少しずつ軟らかくなっています。
「森永ミルクキャラメル」の広報戦略は、
当初からさまざまな方法が試みられたそうですね。
詳しくご紹介ください。(日本で初めての自動車でのキャンペーンなど)
明治45年(1912)、自動車はまだまだ珍しい存在で、
走るだけで人目を集めるほどだった。
その自動車の車体に商品名を大書し、
小売店に品物を配送するサービスカーとして使っていたが、
自動車宣伝隊はこの自動車を宣伝目的で全国に出動させたのである。
また、音楽宣伝隊を編成し、
行進曲風の音楽を奏でながら市中を派手にパレードした。
昭和六年(1931)に展開した「森永キャラメル飛行機セール」は、
大人の間でも子供たちの間でも大変な話題を呼び、
一大ヒットを飛ばしたキャンペーンとなった。
九州から北海道に至る主要都市を空から訪問する全日本縦断飛行と、
「森永ミルクキャラメル三〇銭分お買い上げごとに
紙製飛行機模型一組進呈」した消費者キャンペーンだった。
森永号は上空から、五色のビラやキャラメル引換券、
小さな宣伝用パラシュートなどを投下して盛り上げた。
昭和七年(1932)、森永キャラメルなどの空箱加工による
図画工作展「キャラメル芸術」を募集開始。約56万点もの応募があった。
オススメの商品を教えて下さい。
「生ラムネ」
http://www.morinaga.co.jp/namaramune/
①森永独自の製法により、ラムネ菓子と同様の成分でありながら、
全く新しい食感を実現いたしました。
しっとりシャリシャリでさらっと口どける新食感です。さわやかなラムネ味。
②ピンク色のハート型生ラムネ(ラッキーハート)が入っていたらラッキーです。
「チョコボール」
“金なら1枚、銀なら5枚”でおなじみ「森永チョコボール」のおもちゃの
カンヅメ「宇宙缶」に、9月21日(水)より新たに「地球缶」を加え、
選ぶことができるようになりました。
今回で24代目となる新おもちゃのカンヅメ「地球缶」は、
地球をテーマに物理の力を利用したおもちゃの詰合せです。
森永製菓 HP http://www.morinaga.co.jp/
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
詳しくはここ↓