4月7日(火)魔法のことば
RN「みどり」さんが出会った、哲学者 森信三の「魔法のことば」。
「人間は、
一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」
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RN「みどり」さんが出会った、哲学者 森信三の「魔法のことば」。
「人間は、
一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」
今日は、西原村在住の写真家 宮井正樹さんを紹介しました。
自然や花、それとは対照的なビルなどをモチーフに、
まるで絵画のような独特の色彩が印象的な写真を撮られています。
ちょうど1年前、4月に熊本市現代美術館で行われた
「ピクニックあるいは回遊」展の時にインタビューをお届けしましたが、
スタジオゲストとしては初登場でした。
宮井さんが写真を撮り始めたきっかけを教えてください。
父親が写真家(宮井政次さん)だったので、
小さい時から父親が写真を撮るのについて行ってたんです。
父親に憧れて写真家になったんだと思います。
父が他の職業だったら写真じゃなかったかもしれません。
実際にご自分が写真家になられて、お父さんはどんな存在ですか?
非常に偉大で、20代の頃は追いつきたいなと思ってたんですが、
今は、ほんとかなわないなぁと感じる部分があります。
一緒に写真を撮りに行ったりするんですが、
同じものをとると負けちゃうんで、別々のものを撮ります(笑)
宮井さんの作品にはどんなシリーズ作品があるか教えて下さい。
「Tree」や「ゴフル場」「Building」の他、
「花」シリーズもあって、最近は生花だけでなく枯れた花を
撮ったりもしています。たまたま生花をとったままにしていたら、
枯れてしまったんですがそれがまたキレイだったので。
また、花を活ける花瓶なんですが、実は洗剤の容器だったりもします。
これもまたたまたま目に入った洗剤の容器の光のあたり具合などが
おもしろいなと思いまして。家中の容器を集めました(笑)
去年から作品に変化も見られるようですが、
花以外の背景の色も増え、よりヴィヴィッドな感じになっているような。
実は、ちょっと地味かなと思いまして…。(笑)
PCの技術を使っているかともよく聞かれるんですが、
PCの技術があまりないので、殆ど手を加えていないんですよ。
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宮井さんの作品をご覧になりたい方はぜひ、
「MASAKI MIYAI Photo Exhibition 写真の領域」にお出かけください。
4月10日(金)から20日(月)まで熊本市錦ヶ丘にある
「はじめギャラリー」で開催される宮井さんの個展です。
このタイトルに込められた意味は?
この個展を企画して下さった方が付けてくれたネーミングなんですが、
僕の写真は絵か写真か分からないような作品ですが、
写真ですよ。という意味だと思います。
はじめギャラリー
営業時間は午前11時から午後6時まで。
水曜定休となっています。
はじめギャラリー (問い合わせ) 096-365-0363
今日は、
スタッフ・ライク・ザット / クインシー・ジョーンズ を紹介しました。
プロデューサーとして、数々のアーティストを手がけたクインシーですが、
自身の アルバムの製作の際には、
多数の有名アーティストが協力してくれたようです。
さらに、 それらをサポートするスタジオミュージシャンも
凄腕ばかりだったと言われております。
ちなみに、アーティストでは、ハービー・ハンコック、チャカ・カーン、
マイケル・ブレッカー等豪華参加、クインシーならではの最高の
アレンジによる ブラック・コンテンポラリーの傑作ですね。
是非、アルバムで聞いていただきたい作品です。
RN「あんみつ」さんが「ドラえもん」の中で出会った「魔法のことば」。
「無理しないで、
自分の力で出来ることをやってみようよ。」
今日はバスケットボールのトップリーグJBLに参戦している
神奈川県にあるチーム、「東芝ブレイブサンダース」の
節政貴弘選手と石崎巧選手のインタビューをお送りしました。
節政選手は鹿児島県出身、180cmというバスケットボール選手としては、
決して大きくはない身長ながら、36歳で現役、
日本代表経験もあるベテランです。
石崎選手は福井県出身の24歳。
「学生のためのオリンピック」であるユニバーシアードで、
日本チームが世界4位という素晴らしい成績を残した
2007年大会の代表でもあります。
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先月、東海大学熊本総合体育館で行われた、
バスケットボールの講習会に講師として参加された際にお話を伺いました。
自己紹介とバスケットボールを始めたきっかけを教えて下さい。
節政選手「2つ上の兄がバスケットを始めたので、
自分も一緒に、小学校4年生から始めることにしました。
スポーツは全般的に好きだったので抵抗なく入れました。」
石崎選手「母親がミニバスケットの監督をしていたので、
保育園を卒業した頃から連れて行かれていました。
学校では皆とサッカーしたり友達と野球をしたりしてましたね。
中学校行くときは野球部入ろうかなとも思ったんですが、
いろんな人から説得されバスケットに落ち着きましたね。」
節政選手の身長は180cmということで、
バスケの選手としては大きいほうではありません。
それをカバーするためにどんな努力をされたのでしょうか。
「チームでも日本代表でも常に1番小さかったです。
だから、横の動きやスピード、ルーズボールをとりにいく動きなどに
体をはってきたし、利き腕でない”左手”でのドリブルを
小学校の頃から練習していました。
歌を歌いながら利き腕でない方でドリブルするというような練習があって、
すごく難しかったんですが、今では左手のドリブルの方が得意になったほど。
あの頃やっていたことは無駄じゃなかったと身に沁みて感じます。」
36歳の節政選手はトップリーグのJBLでは、ベテランの選手です。
これまでの長い選手生活の中で、いろいろなことがあったと思いますが、
どうやって困難な時期を乗り越えてこられたのでしょうか。
「足首や膝の手術をしたんですが、チームメイトが来てくれたり、
ミスした時も、言い争うのではなくポジティブにもっていくように話、
皆で一緒に困難に向かって乗り越えたと思います。
チームメイトからかけられる一つの言葉を幅広く理解して
やってきたつもりなんで、いろんな勇気をもらいました」
このインタビューを行った日は学生と即席のチームを
組んで試合が行われました。初めて顔を合わせる人たちとチームで
何かをしなければいけないという状況は、
仕事の場面などでもよくありますが、スポーツの場合、
即席のチームでプレーする時、プロの選手はどんな点に注意して
プレーされているのでしょうか。
節政選手「スポーツなんで全体を見るのも大事ですが、
今入ってきた選手がどこを見ているか”目”の動きで、
この人が何をするか予測してプレイしました。
目を見れば何をしたいかだんだん分かってきます。」
石崎選手「事前に試合を見ていたりして相手の良いところを
引き出せるように、彼らのプレイスタイルに合わせられるように
心がけて試合をしました」
この時期、新しい環境で生活を始めている方も多いと思います。
36歳の節政選手は社会人としては、部下もいて、上司もいて、という立場、
そしてバスケのチームの方ではベテランながら「いじられキャラ」と
言われるぐらい若手からも親しまれている節政選手に、
コミュニケーションを上手に取るためのアドバイスをいただきました。
「堅くならないというのがいいと思うし、その人の持ち味を探すのには
時間がかかるとは思いますが、先輩から声をかけてあげると
下の子たちもコミュニケーションとれやすいんじゃないですかね。
ガチガチの先輩後輩みたいなのはいやですから。
練習を一緒にしたり合宿をしたりするにつれ仲良くなってきますし、
いい意味で友達みたいになりたいなと。
そいういう関係がチームにも反映されているんじゃないかと思います」
石崎選手はこの4月から社会人3年目に入ったところ。
学生時代は東海大学という強豪校で積み上げてきたものがありながら、
実業団となると学生時代とは違いもあったと思います。
実業団に入って心がけたことを聞きました。
「大学までやってたことと、チームとしてのスタイルが違う部分も多いですが、
違うからといって”自分はそのままでいい”と思っていては先に進めない
と思います。その中に順応していけるように。求められる事をこなした上で、
自分のやりたい事を主張するといった感じですかね。」
最後に節政選手からのメッセージです。
「バスケットは、点をとるというエキサイティングなスポーツなんで
ぜひ会場に試合を見に来て下さい!」
石崎選手からはバスケをやってみたいけど、
迷っているという人へのメッセージです。
「仲間とのコミュニケーション、絆、が深まるスポーツです。
スポーツとして楽しいだけでなく、
人間としても成長できるスポーツだと思います!」
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お二人が所属する東芝ブレイブサンダースは神奈川県川崎市にあります。
トップリーグのJBLは現在オフシーズンに入っていますが、
シーズン中は熊本で試合が行われることもありますので、
また情報をお伝えしていきたいと思います。
今日は「YOUNGSHIM」(ヨンシン)をブックマーク。
大阪出身、地元を中心に活動しているR&B女性シンガーですが、
実は
日本のレゲエシーンを引っ張る女性シンガー、PUSHIMの妹なんです。
力強いイメージのPUSHIMに対して、YOUNGSHIMはジャンルも
R&Bということもあって、
しっとりとした歌が魅力の一つだと言えると思います。
そんなYOUNGSHIM、
2008年6月にミニ・アルバム「Love Rain」でメジャーデビュー。
4月15日にいよいよ1stフル・アルバム「Distance」がリリースされます。
R&Bシンガーと言いましたが、プロデューサー陣の顔ぶれを見てみますと、
BACK DROP BOMBの白川貴善や、餓鬼レンジャーのGREEN PEEACE、
そしてCHABEこと松田岳二などなど、ロック、ヒップ・ホップ、ポップスと
ジャンルを超えて多岐にわたっています。
アルバムは全体的に割と落ち着いた感じ、
いわゆる「アーバン」な感じと言いますか・・・(笑)、
20代だけでなく、「アーバン」という言葉に懐かしさを感じる
30代以上の方にもおすすめの聴きやすい1枚になっていると思います。
そんな中PUSHIMが書き下ろし、
プロデュースも手掛けたダンスホールチューンが1曲収録されていまして、
こちらはさすがにPUSHIM、踊れるアッパーな仕上がりになっていますので、
R&Bファンだけでなくレゲエファンもぜひチェックしてみてください。
6月5日(金)には地元、大阪で初のワンマンライブが決定しています。
今のところそんな情報は発表されていませんが、
PUSHIMとの姉妹共演とか見てみたいですね♪
YOUNGSHIM HP http://www.artimage.co.jp/artist/youngshim/top.html
今日は、RN「すべりのクロスカウンター」さんが出会った、
マンガ「スラムダンク」の中で出会った「魔法のことば」。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
今日は「ツバメノート」の名前のヒミツに迫りました。
ご出演は専務取締役 渡辺精二さんです。
ツバメノート株式会社は昭和23年2月に設立、
企業向けのノートを主力に、販促用、
紙製品の製造・販売を行っている会社です。
そんな「ツバメノート」の由来について教えて下さい。
創業当時、営業に「燕」という社員が居りまして、
その人がお客様から大変慕われていて、
よくお客さんから「燕さん」「燕さんのノート」と親しみを込めて
呼ばれていたんです、それを知った当時の社長が、
そんなにお客様に親しまれているのならと、
社名を「ツバメノート」にしようと決めたそうです。
創業者の名前を社名にするというのは、よく聞く話ですが、
社員の名前が社名になったというのは、珍しいケースではないでしょうか。
オススメの商品を教えて下さい。
筆記用紙では最高級紙の「ツバメフールス紙」と
1952年以来変わっていない表紙デザインの大学ノートです。
A5判とB5判があって、渡辺初三郎のイニシャル「H.W」という箔押しが
あって、これが私の創ったノートだという気魂が今も伝えられています。
また、平成9年2月に発売したクリーム用紙のノートもあります。
ツバメノートHP http://www.tsubamenote.co.jp/
今日は”バンド名”をテーマにお送りしました。
以前、本来外国語の固有名詞であるバンド名を
日本でカタカナ表記することの難しさについてはお話しましたが、
今日は英語を母国語とする人たちにとってはどんな感じに聴こえるのか、
そしてそれはカッコいいのか?ということをちょっと考えてみました。
例えば「シカゴ」、「ボストン」といった地名をグループ名とするバンド。
これを日本語に当てはめて考えてみましょう。
地名のグループ名と言えば「平川地一丁目」という名前がありますね。
次に「ヴァン・ヘイレン」や「ネヴィル・ブラザーズ」。
これを日本語で考えて見ますと、バンドじゃありませんが、
「中川家」とか「吉田兄弟」といった感じでしょうか。
それから「エヴリシング・バット・ザ・ガール」とか
「フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド」などの、
ほとんど文章になっているバンド名は、
「勝手にしやがれ」とか「それでよかったのか?」というのに近いですね。
この辺りまでは案外、英語を母国語をとするネイティヴな人達にも
違和感はないのかもしれませんが、英語のバンド名と言いますと、
最もポピュラーだと思われるのは「ザ・何々ズ」という名前じゃないでしょうか。
例えばザ・ベンチャーズとかザ・モンキーズなど。
これが単に複数形のSだったら
日本ではいちいち複数と単数を区別しませんから、
名詞のグループ名「ケツメイシ」とか「キンモクセイ」なんかと
同じということになりますが、「ザ・~(なになに)ズ」というと、
一つの集団とかグループを表す意味合いが強いので、
「~団」とか「~組」とか「~軍」とかいう感じになると思うんです。
となると、日本でも「憂歌団」とか「竜童組」とか「ピンクリボン軍」とか
あるにはあるんですが、
英語の「ザ・~ズ」ほどポピュラーではないような気がしますね。
「ザ・モンキーズ」を日本語で考えると「猿軍団」とか「猿組」
といった感じになると思うのですが、
果たして英語圏の人達にとって、
こういった名前はカッコよく響いているのかどうか、
実際に聞いてみたいところです。
今日はそんな名前のグループの中から代表して、
アメリカの「ザ・カーズ」の”レッツ・ゴー”(1979年)を紹介しました。
「ザ・カーズ」、日本流に言えば「自動車団」…(?)
今日は、
RN「マメシバ」さんが出会った、エジソンの「魔法のことば」。
「成功するための最も最善の方法、
それはもう一度試みることである。」