7月17日(木)の名盤は…
先週は黒人差別が根強く残っているアメリカ南部、
特にアラバマ州と州知事のウォーレスを批判したニール・ヤングの
「サザン・マン」を紹介しました。
当然ながら、南部の人々は怒り、反撃しました。
そして“歌には歌で”と、アンサーソングを返したバンドが登場します。
レーナード・スキナードです。この7人組、実はアラバマ出身ではなく、
フロリダのバンドなのですが、アラバマのマッスルショールズ・スタジオを
本拠地としており、アラバマを悪く言われたことにガマンが
ならなかったのでしょう。
彼らが1974年にリリースし、大ヒットした「スウィート・ホーム・アラバマ」は、
こんな内容です。
~ああ、Mr.ヤングがアラバマについて歌うのは聴いたよ。
うん、あのおじさんはアラバマを叩いていたな。 ニール・ヤングには覚えておいてほしいね。
サザンマンにとっては、あんたなんか知ったこっちゃないって。~
理性的に諭そうとしたニール・ヤングに対して、こちらは名指しで感情的。
しかもこの後に、
~みんな州知事を愛している。最善を尽くしたんだ。 楽しい我が家アラバマ。どこまでも青い空~
なんていう歌詞が続くわけですから、能天気と言われても
仕方がないかもしれません。
でも彼らは人種差別を否定も肯定もしている訳ではありません。
彼らの本拠地マッスルショールズ・スタジオは、
古くからソウル音楽の名作をたくさん生み出した名門で、
そこでは白人も黒人も同じように活動していました。
そんな良い環境のスタジオ内しか見ていない
フロリダ人の彼らにしてみれば、ニール・ヤングの批判は
ピンとこなかったのかもしれませんね。
ところで“人種差別は永遠だ”と宣言したアラバマ州のウォーレス知事、
先週お話したように、1970年にニール・ヤングが「サザン・マン」という歌で
異議を申し立てた後の、
1972年に大統領予備選に出馬。この時に銃撃され半身不随になり、
差別主義政策を公式に謝罪しました。
謝罪した後は黒人支持も上昇し、結局ウォーレスさんはこの後4期、
知事を務めたということも付け加えておきたいと思います。