7月1日(火)魔法のことば
RN「ハートウォーム」さんが、
小説「宮本武蔵」の中で出会った「魔法のことば」。
「人のあたたかさは、
自分の心があたたかでいなければ分かる筈もない。」
RN「ハートウォーム」さんが、
小説「宮本武蔵」の中で出会った「魔法のことば」。
「人のあたたかさは、
自分の心があたたかでいなければ分かる筈もない。」
さまざまなアートの話題をお届けしています「アートなくらし」。
現在現代美術館では「ピクニックあるいは回遊」が開催されています。
九州、熊本に縁のある作家に注目した展覧会で、彫刻、写真、絵画など、
あらゆる表現方法の19人の作家の作品を一堂に見ることができます。
19人の作家の中から毎月お二人ずつインタビューをお送りしてきましたが、
今日が最終回でした。
お一人目は熊本県出身の冨永剛さん。
冨永さんの作品はいったいどのようなものですか?
「土壁です。僕は生まれが熊本なんですが、生まれた町のすぐ近くの
知り合いの畑の土を使って作っています。
大きさとしては横9m50cm、縦4m50cmぐらいで、
作り方は昔の土壁とまったく同じです。」
美術館の中にはいろいろな方々の作品が白い壁に展示してあります。
その中を迷路のように歩きながら作品を見てまわる訳ですが、
ある場所の角をまがると土壁が現れます。
美術館の白い壁だと思っていたものは、
実は冨永さんの巨大な土壁という作品の裏側なんですよ!
どこに土壁があるのかを楽しみに館内を巡ってみてください。
どうして土壁という作品を制作されるようになったんでしょうか。
知り合いの畑が親戚の畑で、そのおじいちゃんが竹山をもっていたので、
初めは竹を使った作品を作っていました。
そうすると今度は畑があったんで、その畑の土と竹を使って
壁を作ろうと思いました。もともと絵を描くのは好きでしたが、
自分の身の回りにあるものを使っていたら、いつの間にか、
土壁になっていました。
「ピクニックあるいは回遊」という作品展の名前にちなんで、
冨永さんにとってわくわくする場所を聞いてみました。
わりと何てことない日常の景色などに気づかされる事が多くて、
わくわくする事もその中にあります。
2人目は大分県出身の西野正将さんです。
西野さんは大分の短大を卒業された後、
崇城大学のデザイン学科に編入されたので、熊本とも縁のある方です。
今回僕は、美術館に2箇所トイレがあるんですが、
そこの廊下を利用して製作しました。
まず、現代美術館のトイレの前にはテレビモニターが
備え付けがあるので、そこでは1分間の短いショートムービーを15本、
そしてトイレまでの廊下のカーペットも使いました。
普段生活していてカーペットの焦げ跡が気になる事があって、
その焦げ跡を”星座”にしてみたら?などと思ったのがきっかけ。
そしてその焦げに関連した写真作品を廊下の壁に展示しています。
お分かりいただけたでしょうか?
最後に「ピクニック あるいは回遊」という作品展のタイトルにちなんで、
落ち着ける場所、好きな場所を聞いてみました。
自分の部屋が一番落ち着きます。
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「ピクニック あるいは回遊」は
熊本市現代美術館で7月6日まで開催中です。
今日ご紹介した西野さんの作品をはじめ、いくつかの作家さんの作品は
無料で見ることのできるスペースにも展示してあります。
実際に見てみると、美術、アートといっても、表現方法は本当にさまざまで、
型にとらわれず、自由な発想でいいんだなと、新たな発見があると思います。
雨がシトシトと降る日に。ふと目にとまった紫陽花です。
本当に雨がよく似合う花ですね。
今日は、
ゴーストバスターズ / レイ・パーカーJR. を紹介しました。
本来はアーバンでメロウなおしゃれな曲をたくさん歌っている方ですが、
この曲は中でも異色な曲で。
本人もPVに出て楽しく歌っているんですが、
この後はなかなかヒット曲も出ず、
この曲が1番売れた曲というのが…悲しいですね。
RN「ロッソ松本」さんが先生からかけてもらった「魔法のことば」。
「人間の脳には1000億個の細胞があるんだ。
天才もお前もたいした差はない。
要はやるかやらないかだ。」
今日は、“ビーチサッカー”を紹介しました。
5月に芦北町の御立岬海水浴場で行われたビーチサッカーの会場には、
選手・観客を含めて1000人を超える人が集まったり、
また、6月7日にはビーチサッカーの九州リーグが開幕したりと、
熊本でも、今まさに注目のスポーツです。
今日お話を伺ったのは
JAPAN ビーチサッカーネットワーク 事務局長
(財)日本サッカー協会 ビーチサッカー部会員「伊藤寛之」さんです。
ビーチサッカーの魅力とはどんなところですか?
ビーチサッカーに出会った10年前、とっても衝撃的で新鮮でした。
それは、誰もが楽しんでいるからです!
そして海や砂浜や空や浜風などが、気持ちよかったからです!
年数を重ねるたびに、選手もスタッフも審判も家族のように、
仲良くなっていくのが、手に取るように感じました。
この素晴らしい自然と仲間に感謝して、
去年から「エコプレ&フェアプレイこそ真のスポーツマンシップだ!」を合言葉に、
次のステップへ歩み始めだしました。
また、サッカーが上手くなりたいというこれからの世代には、
ビーチサッカーは最適です。なぜならば、ブラジルの選手たちは、
殆どが小さいころからビーチサッカーを経験しています。
特に、ビッグクラブには、専用のコートがあり、毎週数日間のプログラムを組み、
ユース年代では、ビーチで11人制も行っています。
裸足でボールを蹴ると、なかなか上手く蹴ることができません。
芝ピッチと違い、砂の上はデコボコです。
体のバランスや浮き球のコントロールが上達し、負荷の多い砂地を走ることで、
フィジカルも脅威的にアップします。
“ビーチサッカー”について教えて下さい。
○ゴールキーパーを含めて 5人。何回でも自由に交代できます。
○コートは37m×28mのサイズで、40cmの柔らかで、
異物を含まない砂で構成されます。
ゴールは、幅5.5m、高さ2.2mの蛍光イエローが使用されます。
○12分の3ピリオド。インターバルは3分。プレイングタイム。
○キーパーへのバックパスが使えます。
○サイドラインからのリスタートは、キックインかスローインを選べます。
○リスターとやペナルティーエリア内のボールキープは、
5秒ルールが適用されます。
7月17日からは、ビーチサッカーのワールドカップ
“FIFA ビーチサッカーワールドカップ 2008 マルセイユ”が行われます。
日本は2005年の第一回大会から4大会連続出場。
その大会に向けての予選から伊藤さんは現地(ドバイ)に行って
ご覧になられたそうですが、
今回の日本チームはどのようなチームに仕上がっていますか?
よく走るチームですね。また、精神的にもチームが一体化している
という意味では今までで1番良い状態だと思います。
予選では、UAEにファイナルで負けましたが、
組織力としては日本が1枚上手でした!
世界でも必ずベスト8に入るのではないでしょうか?
同じグループにブラジルとメキシコ、スペインという
強豪国が並んでいますのでそこを突破してもらいたいですね!
ワールドカップマルセイユ2008 日本選手の活躍を楽しみにしています!
JAPANビーチサッカーネットワーク HP ⇒ http://www.jbsn.jp/
今日は福岡出身のシンガー「手嶌葵」をブックマーク。
2006年に公開された映画「ゲド戦記」で、
挿入歌「テルーの唄」を歌っただけでなく、
ヒロイン「テルー」の声まで務めるという大抜擢で、
私達の前に登場したことは、記憶に新しいと思います。
その後、去年10月にリリースされた2ndシングル「奇跡の星」は、
これまた映画「北極のナヌー」のテーマソングということで、
この番組の「キネマのススメ」でもご紹介しましたが、
6月4日にリリースされた3rdシングル「虹」も、
なんと映画「西の魔女が死んだ」の主題歌になっています。
この映画は児童文学のベストセラー、梨木香穂さんの
「西の魔女が死んだ」を映画化した作品です。
主人公は中学生の少女”まい”。中学に入学して間もない頃、
学校へ行くことが苦痛になってしまったまいは、お母さんの提案で、
おばあちゃんの元で過ごすことになります。
おばあちゃんとの生活の中で自然に触れあい、
生きる楽しさを見つけていくというストーリーなんですが、
自分の命も他人の命も粗末にするような痛ましい事件が多い最近、
「生きる」という感覚が何となく希薄になってきているのかなとすら
感じてしまうんですが、そんな今だからこそおすすめの一本です。
そして映画をさらに引き立てているのが、
手嶌葵の歌う主題歌なんですね。
この映画「西の魔女が死んだ」は、
シネプレックス熊本、ワーナー・マイカル・シネマズ熊本・クレア、
TOHOシネマズ光の森で現在公開中です。
RN「キャッチャー志望」さんが出会った糸井重里の「魔法のことば」。
「自分のじゃまをするやつとは、たいてい自分なのだ。」
今日は、マツザキさんも大好き”シーチキン”の「はごろもフーズ」の
名前のヒミツに迫りました。
ご出演は、はごろもフーズ株式会社 家庭用営業部の間真司さんです。
はごろもフーズ株式会社は、
「シーチキン」を代表とする各種缶詰・レトルトパウチ、サラスパを代表とする
パスタ、パパッとライスの無菌米飯、業務用食品、ペットフードなど
1,000種類以上の製品を製造販売している企業です。
「はごろもフーズ」の名前の由来について教えて下さい。
1931年「後藤缶詰所」として創業、まぐろ油漬缶詰の製造・販売を開始。
会社のある静岡県清水市には「羽衣天女の伝説」というものがあり、
美しく空に舞う天女は平和と繁栄に通じるイメージということから、
商標に「羽衣」、缶のデザインにも天女が用いられることになったんです。
時代とともにデザインは「天女」から衣が舞っているのを模した
「矢羽根」 に変化し、商標もやがて「はごろも」ブランドとして
多くのみなさんに知られるようになりました。
1969年に社名を「はごろも缶詰株式会社」と改称、
さらに1987年には、現在の「はごろもフーズ株式会社」と改称しました 。
おすすめの商品を教えて下さい。
3月に発売したシーチキンPLUSです。
ツナと相性の良いコーン、ポテト、大豆をミックスし、便利でおいしく、
健康によい、新しいコンセプトのシーチキンです。
はごろもフーズ HP ⇒ http://www.hagoromofoods.co.jp/
今日はドゥービー・ブラザーズを紹介しました。
長く活動を続けるバンドだったら、ファンの年代層によって、
言い換えれば、どの時代を熱心に聴いたかによって、
バンドのイメージが変わることは多少なりともあるものです。
しかし、このバンドほど真っ二つに分かれるのも珍しいのではないでしょうか。
というよりも、ドゥービー・ブラザーズという名前の違うバンドが2組あった、
と考えるべきなのかもしれません。
もともとはツイン・ドラム編成に黒人ベーシストによる力強くて
ファンキーなリズムを土台にした、野性味溢れるギター・ロックで、
「ロング・トレイン・ランニン」や「チャイナ・グローブ」といった名曲を生み出し、
1970年代ウエスト・コーストをイーグルスと並んで代表するバンドでした。
ところが、途中でリーダーのトム・ジョンストンが体調不良で
休業(結局戻らず、脱退)したため、代役として元スティーリー・ダンの
マイケル・マクドナルドが加入。ここが運命の分かれ道でした。
スティーリー・ダンからはもう1人参加しており、
まさにスティーリー・ダンに乗っ取られたような形で音楽性が変化。
ジャジーで都会的に洗練された
AOR/シティ・ポップスになってしまったのです。
そしてこの路線で、バンド初期以上の成功を勝ち取り、
グラミー賞まで独占したのです。
70年代後期から80年代前半まで、ドゥービーズと言えば、圧倒的にこちら。
後期を指しました。
しかし90年代は初期メンバーで再結成し、
また、初期のファンキー・ロックがDJ達に再評価され、
後期ドゥービーズの印象も若干薄れた感があります。
今日お届けしたのは、後期の名曲。1978年の全米No.1ヒット曲。
「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」。
ドゥービー・ブラザーズというバンド名、
実は直訳すると「麻薬兄弟」なんですが、
そんなバンド名が全然似合わない、おしゃれなAORです。