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2008年5月

イラストレーター「智」さん

今日は、現在equipment:FLOORで個展「pyocolate chip」を開催中の

イラストレーター“智”さんをご紹介しました。

Photo

智さんの作品のうちの1つがこちらです↓

Photo_2

この絵は、“決別エネミー”というタイトルが付けられた絵なんですが、

どんなメッセージが込められていますか?

皆が持っている二面性を出したかった。

その他にもこちらにいくつか作品をお持ちいただいていますが、

ミラーボール涙という作品がこちらです。

涙がミラーボールみたいになっていますが、

泣いた後にも楽しい事があるよというような事を表現したかったんです。

智さんの絵には“女の子”がよく描かれていますね、

その女の子が持つ影のようなものが含まれていますが、それは?

狙って描いています。

そういう少し毒のようなものを入れるのが好きでした。

音楽とか映画とかの影響を受けたのかもしれません。

絵に対して、自分でここ3、4年で変わってきたと感じる事などありますか?

その時々で描く画材が違うですが、昔の方が線をはっきり描いていました。

最近は、輪郭をボヤーっと描くのが好きです。

智さんの絵に出てくる女の子は智さん自身を表現しているんですか?

そういうわけではありません(笑)

今回初めて1人で個展をされるという事でしたが、いかがですか?

毎日色んな人が見てくれて、いろんな感想を聞けて、嬉しいです。

今後どのような作品を手掛けていきたいですか?智さんの夢は何ですか?

もっと大きな絵も描きたいし、もっと描いた事のない物にも描いてみたいです。

そんな中にもチラリと毒は入れたいです。

Photo_3

☆智 個展☆『 pyocolate chip』  へたくそなおくちのかわり。

2008  05/14(水)~5/22(木)  in equipment:FLOOR

*ちなみに equipment:FLOOR 20日(火)はお休みです。

智さんのHPはこちらです ⇒ http://hecolipter.pupu.jp/top.html

5月20日のマツザキ・レコードは

今日は、 

カンフー・ファイティング  / カール・ダグラス を紹介しました。

(74'年 全米・全英チャートそれぞれ1位)

世界を席巻したブルース・リーのカンフーブームに乗って

特大ヒットになった一品、ディスコブームの先駆的作品にもなりました。

彼はこれがデビュー曲なんですが、実は、

この曲はB面用にジョークとして即席で作られ、

しかもスタジオの使用時間の制限があったため、

10分足らずで録音されたとの逸話が残っています。

レコード会社側が出来上がった曲を聴いて

「カンフーブームだし、これはA面でイケるゾ」と思い、

急遽A面に変更して発売したところ、予想以上のヒットになったそうです。

この曲では、おなじみの「フッ! ハッ!」の掛け声に加えて、

随所でオリエンタルな 雰囲気を醸し出す

「レレレレド、ド、ラ、ラ、ド~♪」のメロディーが

小粋かつ間抜けに流れてきます。

欧米人はこれを聞くと中国や日本を思い起こすのだそうです。

映画「サタデーナイト・フィーバー」にもそんな場面がありましたが、

欧米人は当時、 カンフー術を操るブルースリー、

さらにはアジア人全体に妙な好奇心を抱いたようですね

“奇天烈系ディスコ”にとっては、格好のテーマになったのだと思われます。

実際、翌75年にも

「バンザイ」という変な日本風の名前のフランスのグループが、

「チャイニーズ・カンフー」 というディスコ曲をヒットさせています。

この人のCDはいくつか出ています。

通して聴いてみると、なんと意外にソウルフルな感じです。

まあ一発屋ということで片付けられるアーチストではありますが、

聞き返すと結構いい感じです。

ちなみに、90年代後半には、Bus Stopという英国のアーチストが

「カンフー・ファイティング」を ラップ&テクノ調にリミックスしていて、

PVではカールさん本人も出演しています。

5月19日(月)魔法のことば

ラジオネーム「マンハッタン・ラプソディ」さんが、

友人からかけてもらった「魔法のことば」。

「幸せでも不幸でも、人生は一回きりだ

「キーパーに聞く」

今年は特別企画として毎月一回、あらゆるスポーツのゴールキーパーに

スポットを当てていきたいと思います。

題して「キーパーに聞く」

コートやグラウンドを走り回ることなく、

ひたすらゴールを守るゴールキーパー。

当然ながら試合に同時に二人以上出場出来ないので、

フィールドプレーヤーに比べて、圧倒的にポジション争いも熾烈な訳ですよね。

なぜそんなゴールキーパーを志したのか、

疑問をぶつけていきたいと思います。

今日登場したのは、バサジィ大分GK「青柳佳祐」選手です。

好きなスポーツ選手を教えてください。

最近、イチローの語録を読んでいまして…イチロー選手が好きです。

極めてしまった後の言葉、これから極めていく選手達に残していく言葉、

すごいですね。

好きな言葉は何ですか?

「いいパフォーマンスをしても普通だよ。」

いいパフォーマンスと思われるプレイが普通に出来るようにならないとな、

という風に思っています。

ゴールキーパーになったきっかけは何だったんでしょうか。

約3年前からGKをやっていますが、実は、

小学校からずっとサッカーでフィールドプレイヤーとしてやっていました、

2年ぐらいはフットサルでもフィールドでしたが、

限界を感じたというのと、たまたまキーパーをやってみたら面白くて、

また、その時に確かな手応えを感じたので。

ゴールを守って得点されることを防ぐ以外に

ゴールキーパーの仕事を教えてください。

フットサルのキーパーの特殊な点は、

キーパーも攻撃に参加できるという一面です。

コートも狭いので簡単にハーフコートまで上がってシュートしたり、

ゴール前で、キャッチしたボールを蹴ったらゴールに入ることもあります。

ボールを止めて、そしてシュートもするという、

試合でもキーを握る存在です。

フィールドプレーヤー出身ならではの、

青柳選手のセールスポイントは何ですか?

足元の技術だけなら他のGKに負ける気がしないですね。

あとは、止めるという技術をあげていければ、

攻撃もできて守りもできるというGKになれると思うんで、

頑張りたいです。

さて、青柳選手はフィールドプレーヤーから転向されましたが、

ゴールキーパーに向き、不向きはあるんでしょうか?

僕の中では、ボールを怖がらなければキーパーになれると思う。

GKに入りたいという気持ちがあれば、誰でも出来る

ボールからも敵からも逃げることはできませんが怖くないですか?

そうですね、キーパーコーチから言われてた言葉に、

「一瞬の痛みより一点の痛みの方が大きい」というのがあるんですが、

本当にその通りですね。

フットサルは至近距離ですし、当たるとやっぱり痛いですが、

その分フィールドプレイヤーも動いて頑張ってくれてますからね。

サッカー、ハンドボール、アイスホッケーでは、

どのキーパーが怖いと思いますか?

僕アイスホッケーはテレビでしか見た事がないんですが、

どんなシュートが飛んでくるのかわかんないし、

体のぶつかりも激しいし、そういった意味ではアイスホッケーが怖いかな。

シュートは目線より下から来ると怖くないんですが、

ホッケーやハンドボールは上からも来ますからね。。。

もし野球をするとしたら、どのポジションをやってみたいですか?

キャッチャーですかね。

でも僕は肩も強いんで、レフト?いや、あんまりボールがこないライトかな。

生まれ変わって、またサッカーをするとしてもGKをやりたいですか?

いや、フィールドがしたいです。

GKが嫌(きらい)なんじゃないですよ。

でもやっぱりフィールドがしたいですね。

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青柳選手は個人のブログで日々の様子なんかも書かれていますので、

そちらもぜひご覧ください。

バサジィ大分 HP http://www.vasagey.com/

青柳選手 ブログ http://www.vasagey.com/

藤澤ノリマサ

今日は「藤澤ノリマサ」をブックマーク。

まずプロフィールからご紹介しますと、1983年3月8日生まれの25歳。

お父さんがクラシックの声楽家、

お母さんが歌の先生という環境で生まれ育ちます。

そして武蔵野音楽大学を卒業。

4月30日にシングル「ダッタン人の踊り」でデビューしました。

「ダッタン人の踊り」といいますと、クラシック音楽ファンのみならずとも、

オペラの曲として、タイトルは聞いたことがあるという方も多いと思いますので、

ここまで聞くとクラシックのアーティストが、

クラシックの曲でデビューしたんだな、と思いますよね?

ところがこの藤澤ノリマサは、クラシックの曲をアレンジして歌い上げ、

「クラシック」ではなく、「ポップオペラ」というジャンルを打ち出しているんです。

そもそもオペラは大学の時に歌ったことがあったそうで、

将来ポップスに進むか、オペラに進むか悩み、

「両方やりたい」と思った結果、この現在のスタイルに至ったそうです。

こういったクラシック以外のファンにもアプローチし、

受け入れられてきたシンガーとしては、

これまでにもサラ・ブライトマンやアンドレア・ボチェッリもいますし、

またアジアでも、過去に紅白歌合戦で松任谷由実とも共演したことのある、

韓国のイム・ヒョンジュという若手の男性歌手が、

「ポッペラ」という、やはりポップスとオペラを合成したスタイルで、

一足先に認知されていますが、日本からもいよいよ登場、

ということで期待したいところです。

25歳。ルックスも堅苦しくなく好青年という感じですので、

ぜひオフィシャルウェブサイトもチェックしてみてください。

www.fujisawanorimasa.net です。

5月15日(木)魔法のことば

RN「パワー力」さんが出会った、

メジャーリーガー バリー・ボンズの「魔法のことば」。

「自分を向上させる事に手一杯で、

ライバルは見ていない。」

「plenus」の名前のヒミツ

今日5月15日から「ほっともっと」を展開する”plenus”の

名前の由来に迫りました。

ご出演は株式会社プレナス営業企画課山田かつひこさんです。

plenusは、1960年に創業し、1980年に持ち帰り弁当事業に参入、

「ほっかほっか亭」を九州・東日本地区で運営。

また、定食のお店「やよい軒」も全国で150店舗展開。

そして5月15日(木)、プレナスが運営する「ほっかほっか亭」は、

もっとお客様に愛されるお店を目指し、「ほっともっと」に変わりました。

「ほっともっと」は熊本県内だけでも、現在100店舗、

全国では2,000店舗を超えるお店があります。

plenusの名前の由来について教えて下さい。

『プレナス(PLENUS)』とは、ラテン語で「充分な・充たされた・満足な・

豊富な・全部揃った・完全な・よく響く」といった意味を表す言葉です。

豊かな暮らし、満足のゆく暮らしを提案・提供していく決意を表したもので、

当社の発展が地域社会の豊かさにつながるように、

との願いを込めた社名です。

「ほっともっと」の名前の由来について教えて下さい。

新しいブランド名の「ほっと」は2つの解釈があります。

1つは、あたたかいの「HOT」   

もう1つは、「ほっとする」の「ほっと」です。

つくりたてのあたたかいお弁当を、  

ほっとできる真心のこもった、安心できるお弁当を、

もっともっと多くの人に届けたいと願う、その想いを託したネーミングです。

シンボルは、ツヤツヤと輝くお米をモチーフにし、

親しみやすく良質な印象を与えるよう開発しました。

それは、「ほっともっと」のご飯に対するこだわりと想い、

そしてプライドを象徴しています。

キーカラーの黄色は、稲穂の色であり、健康的で元気あふれる毎日を表し、

赤色はつくりたてのあたたかさ、人の心のあたたかさ、

そして、美味しさを追求する「ほっともっと」の情熱を表しています。

オススメの商品を教えて下さい。

「ほっともっと」では、これまで同様、人気のメニューが楽しめます。

ふっくらごはんの上にのりを敷き、サクサクの白身フライや

もっちりとした食感がたまらないちくわ天がのった「のり弁当」や

ジューシーな「から揚弁当」、その他にも約40種類のお弁当があります。

また、旬を取り入れた期間限定メニューや新たなキャンペーンも

続々登場予定です。是非お近くの「ほっともっと」をご利用ください。

plenusのHP http://www.plenus.co.jp/index.php

あのアーティストに影響を与えた…

今日はあるエピソードから紹介します。

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1960年代初頭のアメリカ。

ある少年がラジオから流れるロックン・ロールに夢中になりました。

まだビートルズ登場前。

当時のスターはエルヴィスにバディ・ホリー、チャック・ベリーなどなど。

でも、少年には彼らと同じくらい好きな、自分だけのヒーローがいました。

「あの人みたいになりたい。」少年はギターを覚え、歌い始めます。

ヒーローは1960年~1962年の間に8曲をヒットさせるも、

それ以降はパッとせず、名前を耳にすることもなくなってしまいましたが、

少年にとってのヒーローの地位は揺らぐことはありませんでした。

やがて時は流れ、少年は夢を叶え、プロのロックン・ローラーとなりました。

彼の名前は「ブルース・スプリングスティーン」

1980年代に突入しようかというある時、

すでにスターになっていたブルースは、

全米ツアーの移動中に立ち寄った田舎町の場末のバーで、

まばらな観客を前に歌っている中年の黒人を目撃します。

声を聴いただけで彼の正体がわかったブルースは、

震えながら楽屋を訪ねます。

「ゲイリー・U.S.ボンドさんですね。

僕と一緒にレコードを作って下さいませんか?」

しかし、彼はショー・ビジネスの世界に嫌気が差していて、

ブルースのことも知らないほどに業界から離れていたため、

なかなか首を縦に振りません。

そこでブルースはギターを借り、歌い始めます。

それは目の前の中年男性の

唯一の全米No.1ヒット「クォーター・トゥ・スリー」でした。

男性は言いました。「あんた、なんでこんな古い歌を知ってるんだ?」

ブルースは答えます。

「あなたは僕のヒーローなんです。この仕事を続けていれば、

いつかお会いできると信じて、ずっとステージで歌ってるんです」。

この言葉に復帰を決意した彼は、

ブルースの全面バック・アップの下、アルバムを制作。

シングル「いかしたあの娘」で、

1981年に20年ぶりにヒット・チャートに返り咲きました。

20年に亘るブルース・スプリングスティーンの一方的な師弟関係は、

世代を超えた男の友情となったのでした。

5月14日(水)魔法のことば

RN「北海どぅ~」さんが雷鼓の歌の中で出会った「魔法のことば」。

「誰だって失敗はするんだ 恥ずかしいことじゃない

この傷を無駄にしないで 笑って歩ければいい」

ラジオな人々「橋本久美」さん

ラジオ業界のプロフェッショナルたちの仕事ぶりに迫るこのコーナー。

今回のゲストは・・・何万枚とあるCDやレコードの中から

オンエアするためのサウンドを探してくれるFMKレコード室のスタッフ。

番組スタッフの無理難題にも、対応してくれる、

FMKの音楽的司令塔といえばこの方「橋本久美」さんです。

~~~~~~~~~~~~プロフィール~~~~~~~~~~~~

1985年  音楽専門学校を卒業後、レコード店で働き始める。                                                           
1996年  FMKの番組スタッフとなる。
        POWER REDIO 「MORNING WALKER」                                                      
                 POWER REDIO 「D.D.4to7」のスタッフを担当。                                                   
1998年以降は、FMKのレコード室を担当、現在に至る。                                                    

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
FMKのレコード室の仕事を教えてください。

番組で使用したCDの返却、レコード会社から届いた新譜を、

番組スタッフが使用できる状態にする(読み方の確認や、CDの補強、

OAに関して解禁などがかかっていないかどうかなどをチェック)

紙資料を整理など、レコード会社から届いた音源を放送に繋がるように

作業して、管理すること」がレコード室の毎日の基本の仕事です。

いまの仕事の一番面白いところはどこですか?

レコード会社から届くアーティストの新しい作品、

その作品の情報に仕事を通して、日々触れることができるところが

一番面白いです。又、その作品を通して、レコード室のスタッフや

番組スタッフと会話が弾むところも楽しみのひとつです。

いまの仕事の一番難しいところはどこですか?

レコード室には現在、レコードとコンパクト・ディスクを合わせると、

10万枚程の作品が在庫として在ります。

それらの在庫を管理していくことはスペースなどの物理的に厳しく、

やむを得ず「棚卸し」の作業を行っているんですが、

番組での使用頻度、発売当時の話題性やセールスデータ、

音楽の歴史上必要かどうかなど・・いくつかの基準を設けて進めていますが、

毎回、難しいと感じています。

あなたにとってラジオとは何ですか?

楽しみのきっかけをつくってくれる「楽しみ案内人」です。                                                        

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