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マツザキ・レコード

10月2日のマツザキ・レコードは

今日紹介したのは、 

ワッツ・ゴーイン・オン / マーヴィン・ゲイ

かつてローリング・ストーン誌は、70年代を代表するベスト・アルバムに

彼の「ワッツ・ゴーイン・オン」を選びました。

モータウン・レコードにとっても史上最高の売上を記録した作品であると同時に、

初のトータル・コンセプト・アルバムでもありました。

彼はワシントンDCでキリスト教のカリスマ的牧師として知られる父親の

もとに生まれました。家庭環境の影響もあり、常に自信なさで不安定だった

といいますが、同時に彼にはたくさんの才能が与えられていました。

歌やピアノ、ドラムスなどの音楽的才能だけでなく、

アメリカン・フットボールなど運動のセンスもずば抜けていました。

しかし、プロ・スポーツ選手になる夢は、父親の反対で早々と絶たれた為、

ますます音楽”R&B”にのめり込んだと言われています。

僕にとっては、

「歌」にはパワーがある、そんな事を教えてくれた1人が彼です。

9月25日(火)のマツザキ・レコードは

今日紹介したのは、 

エブリバディ・プレイ・ザ・フール / メイン・イングリーディエント

NY出身の3人組、人気R&Bヴォーカル・グループで、

1972年にリリースしたこの曲が全米で3位の大ヒットとなり、活躍。

1976年からはメインボーカルの「キューバ・グディング」が

ソロとして活動。AORなソウルシンガーとしてさらに人気となります。

ちなみに彼は人気俳優”キューバ・グディング・ジュニア”の実父。

**”星の王子ニューヨークへ行く””ボーイズ’ン・ザ・フッド” などに出演**

それにしてもこの曲は、聞きやすくて良いですね♪

こんな曲がフロアで流れると、自然にさりげな~く女性に近づけたりして、

いや~いい店ですね、ディスコって。(笑)

9月18日のマツザキ・レコードは

今日紹介したのは、 

妖精のメロディー /  ヴィッキー・スー・ロビンソン

初期のディスコ時代に人気が出た女性アーチストで、

この曲は1976年にリリースされ、ビルボードのディスコチャートで

4週連続第1位、一般チャートでも最高4位を記録しました。

売れないミュージカル俳優の黒人の父尾と、無名の白人フォークシンガーの母の

間に生まれた彼女は、幼いころから母と一緒にステージに立つうちに、

才能が認められ、16歳でブロードウェイミュージカルに出演。

その後にレコード会社と契約という形になったわけですが、

さすがに歌唱力が抜群ですね!歌に迫力があります。

この曲は後にグロリア・エステファンにカヴァーされていますが、

聞き比べてみるとそれぞれの持ち味があって、どちらも好きです!

この頃、ディスコって僕にとっては少し背伸びして

「大人」になる場所だったのかな…。

9月11日のマツザキ・レコードは

今日紹介したのは、 

カー・ウォッシュ /  ローズ・ロイス

アメリカの男女混合9人組の黒人ソウル・ポップ・グループ。

’76年に公開された映画「カー・ウォッシュ」のサントラでデビュー。

この曲は全米で大ヒットとなり、その後も洗練された完成度の高い

作品でヒットを連発。特にイギリスでは人気が高かったようです。

軽快でメロディアスな曲が多く、エレガントな雰囲気を合わせもった、

ちょっと気取って踊りたい時なんかにオススメかも♪

実際、気取って踊ってました!今思うと少し恥ずかしいですな…。

9月4日のマツザキ・レコードは

今日紹介したのは、 

ミラクルズ /  ジャクソン・シスターズ

その名の通りジャクソン5へのガールズ・サイドからのアンサー的な。

敏腕プロデュースといわれるジョニー・ブリストルが手掛け、

76年にデビュー。キッズ・グループらしく若さ溢れる彼女達でした。

結局アルバム1枚で解散してしまったんですが、

その後90年代に入ると、再び脚光をあび、

現在でもクラブの定番としてフロアで流れています♪

とここで、僕の知っているディスコ伝説を1つ…。

30年以上前の話です、これは実在の人物(今も熊本にいらっしゃる)

ディスコの黒服さん(従業員さん)のお話で、

その黒服さんのトークがとにかくおもしろい!!

その人がしゃべり出すと、ディスコなのにフロアで誰も踊らない!?という

おもしろい現象が起きていました。ちなみにその人は、

モノマネタレント”コロッケ”さんのライバルとも言われていた程なんです!

ディスコっていろんな人を受け入れる場所だったなぁ~。

8月28日(火)のマツザキ・レコードは

今日紹介したのは、 

ハロー・ミスター・モンキー /  アラベスク

1977年、西ドイツの事業家であるヴォルフガング・メーヴェスが、

当時ヒットしていたボニーMに触発され、

自分もボニーMのようなプロジェクトを作りたいと思い、

傘下の音楽出版社でプロジェクトチームを組み、

プロトタイプとして「ハロー・ミスター・モンキー」を制作しました。

この曲は日本でも大ヒット、それまでいろいろな人物が入れ替っていた

アラベスクも、サンドラ・アン・ラウアー、ミシェーラ・ローズ、

ジャスミン・エリザベス・フェッターという固定したメンバーとなりました。

特に1979年から加入しメインボーカルを担当したサンドラ(当時17歳)は

美貌かつ小顔で手足が長いモデル体型の美女で、

日本でもアイドル的な存在でした♪

8月21日(火)マツザキ・レコード

1970年代後半から1980年前半にかけて人気を得た、

イギリス(生まれはアイルランド)の姉妹グループです。

日本では1980年に”ダンシング・スター”が1位になり大ヒット!

アルバム「恋のハッピー・デート」も1位となり、

オリコンの洋楽では初めてシングル、LP、カセットの三冠王を記録!

そんな彼女達の楽曲の中でも僕が好きなのは、

セクシー・ミュージック /   ノーランズ

まぁ少年時代…「セクシーナントカ…」という言葉に、

意味も分からず興奮していたのかも知れません(笑)

ルックスもかわいらしい彼女達のファンでしたね~☆

もちろんディスコでもよくかかっていましたよ♪

8月14日(火)のマツザキ・レコードは

今日はなんとなく”特別”ヴァージョン。誰もが知ってるこの曲を。

       ダンシング・クイーン /  アバ

スウェーデンが生んだ世界的人気グループで、

1974年から1982年までの約8年間で、シングル・アルバム合わせて

2億5千万枚以上のセールスをあげるという記録を残しています!

多くの音楽関係者からも再結成が望まれている彼らですが、

2000年には10億ドル(1062億円!?)という高額での

再結成のオファーも断ったそうです。

今日紹介した”ダンシングクイーン”は、

聞けば聞くほどよく出来た曲だなと思います♪

初めて聞いても踊りたくなる、踊れる!?名曲ですね。

8月7日(火)のマツザキ・レコードは

若き日ソウル・ミュージック、レゲエに傾倒していた松﨑ひろゆきが

充実のマイ・レコード棚から厳選したナンバーをオンエア。

今日お届けしたのは、 ファイアー / オハイオ・プレイヤーズ です。

60年代に結成されたオハイオ・プレイヤーズは、

70年代を代表するストリートファンクのバンドで、彼らのメンフィスサウンドに

影響を受けたファンクサウンドは、リズミカルで感情的、みだらで

気だるいサウンドは70年代当初に既に確立されたと言われています。

僕がディスコに通っていた頃、時代はユーロービートに移り変わって

いましたが、僕はやっぱり「クラシックソウルデイ」が好きでしたね♪

このあたりの曲が僕の音楽のベースになっています!

判りやすい音楽ってのが肌に合うんでしょうね!

7月31日(火)のマツザキ・レコードは

若き日ソウル・ミュージック、レゲエに傾倒していた松﨑ひろゆきが

充実のマイ・レコード棚から厳選したナンバーをオンエア。

今日お届けしたのは、 

Never Can Say Goodbye(さよならは言わないで)/ グロリア・ゲイナー

ドナ・サマーらと並ぶ、ディスコ時代を代表する女性シンガー。

彼女のヒット曲には”恋のサーヴァイヴ”などがあります。

今日紹介したこの曲は、ジャクソン5のカヴァー。この曲で彼女の存在は

急浮上、そして”恋のサーヴァイヴ”の大ヒットとつながったんです。

そんなこの曲は僕の中ではある意味、とても印象的な曲でもありました。

というのも、ディスコが最大の盛り上がりを見せるラストソングのあと、

お客さんの送り出しなんかにかかっていた記憶があります。

まだ帰りたくない人はこの曲でもうひと踊り…的な感じでしたが、

僕はもちろん早々に引き上げてましたよ!

その後は女の子とデートが待ってますから…なんてね。

ほとんど男友達と帰ってましたよ、はい。(笑)

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