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マツザキ・レコード

2月26日のマツザキ・レコードは

今日は、 

リバー・ディープ・マウンテン・ハイ  / アイク&ティナ・ターナー

を紹介しました。テネシー州出身で、1960年代から1970年代にかけて

アイク&ティナ・ターナーとして活躍、1980年代に奇跡的な復活を遂げた彼女。

旧姓アンナ・メイ・ブロック。後に夫となるアイク・ターナーに見出され、

1960年にアイク&ティナ・ターナーとしてデビュー。

野生的でパワフルな歌唱と激しいステージングで人気を博し、

R&B界で多くのヒットを飛ばす。

ティナのダイナマイトな歌唱とアイクが指揮するタイトなバンド・アンサンブルに

よるステージは、ジェイムズ・ブラウンのそれと並び

「最高のソウル・レビュー」とまで言われまして、1971年には、

CCRのカヴァー曲「プラウド・メアリー」がポップチャートでも大ヒット。

しかし、やがて夫アイクの暴力や麻薬中毒が深刻になり離婚。

契約上の問題からアイク&ティナ・ターナー時代の曲を歌うことが

できなかったこともあり、ソロ活動もぱっとせず、

1970年代後半は不遇をかこっていた。

1984年、アルバム「プライヴェート・ダンサー」からシングルカットされた

「愛の魔力」が全米1位を記録。グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、

最優秀女性ポップボーカル賞に輝きトップスターとして華麗なる復活を遂げた。

今日は、ロック、R&B、微妙にカントリー、

いろんな要素が取り込まれていてノリのいい楽曲をお届けしました。

2月19日のマツザキ・レコードは

今日は、 

アイ・ガット・ユー  / ジェームス・ブラウン を紹介しました。

「ファンクの帝王」「ゴッドファーザー オブ ソウル」

「ミスターダイナマイト」など 数え切れないほどの称号をもつ、

ジェームス・ブラウンですが、この方ほど文字通りの

破天荒な人生を送った方もいないでしょうね!

幼い頃から天才的な歌の才能を発揮していたようですが、

16歳の頃、窃盗事件で 救護院に服役します。

そこでの出逢いから、音楽の道に進みまして、

1955年バンド「フェイマス・フレイムズ」としてデビューします。

1曲目はヒットしたのですが、その後が続きませんでした。

JBも最初から売れまくってた訳ではないんですね・・・。

60年代に入ってからの活躍は、その称号の通り、

ソウル・ファンクの第一人者として ヒット曲を連発します。

65年には、今日紹介した「I GOT YOU」が全米NO3の大ヒット。

70年に入り、その人気にも少しかげりが見え始めますが、

時はディスコ時代! やはり、そのルーツミュージックとして、

JBは再びフィーチャーされます。

その後、86年には「リビング イン アメリカ」をヒットさせます。

僕はこの頃、JBと出会うことになるのですが・・・、

そこから少しづつ過去のJBを 聞き込んでいくことになるんです・・・

例えば、同じ頃に聞き始めたビートルズとの出逢いを

「感動」という言葉で表すなら、 JBとの出逢いはまさに「衝撃」でしたね。

こんなの、日本人はぜーーーたい真似出来ないと 思いました。

世界中のファンを魅了する不世出のアーティストですよね。

その証拠に、晩年も婦人とのイザコザで、何度もの事件を起こしますが、

グラミー賞、他 様々な音楽賞も受賞しています。

マイケルもプリンスも彼の影響を大きく受けていることを

公言しています。一言では言い表せない、とにかく偉大な人ですね。

2月12日のマツザキ・レコードは

今日は、 

ファンタスティック・ヴォヤージ  / レイクサイド を紹介しました。

彼らは69年に、オハイオ・プレイヤーズやオージェイズらを輩出した

オハイオで結成された9人組のグループです。グループ名にあるように、

オハイオはソウルやファンク色が強い土地ですからね。

レイクサイドは、ヴォーカルと演奏陣を明確に独立させることで、

サウンドだけでなく”歌”でも感動させる魅力をそなえたファンク・バンドです。

バリトン、ファルセット、テナーの三枚仕立てからなるリードは、

本格的なヴォーカル・グループ並で、当時のまわりのバンドを見渡しても、

それは贅沢な構成だったと思います。

結成後10年近くは、不遇の時代をすごしていたバンドでしたが、

レーベルを移ってからのエレクトロニックの大幅な導入で、

革新的なファンク・サウンドを創り出し、ついに80年代ファンクの幕開けとも

いえる「ファンタスティック・ボヤージ」をリリースします。

ベースのグルーヴ感と、シルクのように滑らかなファルセット、

さらにラップまでも絡めた、この曲は大ヒットとなり、

ディスコのみならず人気グループへとのぼりつめ、激震ファンクから

スローなバラードまで、計算されたヴォーカル・ワークで繰り広げていった

レイクサイドはディスコ新時代を築いていきます。

その後、ますますテクノサウンド、いわゆる「打ち込み」を多用した曲が

主流になっていくんです。

レイクサイドがひとつの形を作ったのは間違いないでしょうね!

2月5日のマツザキ・レコードは

今日は、 

ナイト・トゥ・リメンバー  / シャラマー を紹介しました。

シャラマーはあのアメリカの人気TV番組 『ソウル・トレイン』の出演を

きっかけにデビューした、男女混成バンド。

番組の司会者ドン・コーネリアスが、同番組のダンサーだった

ジョディ・ワトリーと ジェフリー・ダニエルズ、そして音楽面を

担当するメンバーの3人によって結成させたグループなんです。

番組で人気のダンサーをヴォーカルに起用するという手法は、

どこかで聞いたような手法ですが・・・

それはともかく、まさに、ソウルからディスコに流れていく時代に、

生まれるべくして、生まれたというか、

メディアの申し子というか、その存在は必然だったのかもしれませんね。

デビューを果たしたのは77年。

79年に「セカンド・タイム・アラウンド」という大ヒット曲を放ち

軌道に乗ったシャラマーは、アルバム・リリースを重ねるごとに、

着実にシーンのトップ・グループへと のし上がっていきました。

そんな彼らの魅力は、間違いなくジョディとハワードの

ツイン・リード・ヴォーカル・スタイル。 ダンス・クラシックスとして

数々のカヴァーを生んだ「ナイト・トゥ・リメンバー」は、

彼らのキャリアの頂点に位置する絶品ナンバーです。

1月29日のマツザキ・レコードは

今日は、 

リライアント・マイ・ファイヤー  / ダン・ハートマン 

を紹介しました。

彼はアメリカの出身で、13歳の時に兄「デイブ」に才能を見出され、

兄のバンドに加入します。

そこからプロミュージシャンとしての道がスタート。

その才能は高く評価され、他のバンドへも曲を提供するほどで、

その内、彼はソロのシンガー・ソングライターとして独立し、

76年にアルバムを発表します。

彼の最大のヒット曲であり、彼の名を日本の洋楽ファンのあいだにも

広く知らしめることとなった名曲が、1984年の「I Can Dream About You」

(邦題:「あなたを夢見て」)です。

ダイアン・レイン主演の映画『ストリート・オブ・ファイヤー』の劇中歌としても

使用され大ヒットを記録します。 その後、ダン・ハートマンは、

さらに他のアーティストのプロデュースや楽曲提供も

多く手がけるようになりました。中でも有名なのが、

ジェームズ・ブラウンの1986年の大ヒット曲 「Living In America」。

シルヴェスター・スタローンの映画『ロッキー4』の挿入曲であり、

全米最高4位を記録しました。

他にも、ティナ・ターナーやジョー・コッカー、ポール・ヤング、

スティーヴ・ウィンウッドといった大物アーティストとコラボレーションを

行なっています。 松田聖子の初の英語アルバム『Sound Of My Heart』には、

ダンが提供した ゴスペル風のラヴ・バラッド「Love Is Never Over」が

収録されています。 あれこれ名曲もあるんですが・・・

今日お届けする曲は、彼の出世作のひとつで 1979年の3rd アルバム

『リライト・マイ・ファイヤー』から そのタイトル曲の「リライト・マイ・ファイヤー」。

この曲は、ダンスクラシックとして 今でもよく耳にする曲ですね。

僕の時代にもよくかかっていました!ちなみにこの曲は、

様々なところでサンプリングやカヴァーされたりしてまして、

その中でも1993年には、テイク・ザットがこの曲をカカヴァーして、

全英 No.1ヒットを記録しています。

1月22日のマツザキ・レコードは

今日は、ジャマイカで1960年代から活動し、1973年にデビューした

ソウル・レゲエ・バンド「サード・ワールド」を紹介しました。

サード・ワールド人気は日本では特に高いですよね。

レゲエの神様「ボブ・マーリィ」他界後は、

当時のレゲエ・ブームの中心的存在を果たしていたのではないでしょうか。

1975年にはそのボブ・マーリィのロンドン公演で、

サポート役を努めたことで一躍世界的に 名を知られるようになりました。

サード・ワールドのレゲエは「Now That We‘ve Found Love」、

「Dancing On The Floor」、など、

彼等のヒット曲でもわかるようにジャマイカで根ざし息づいてきた、

レゲエのルーツを基盤にしてソウル・ミュージックと融合させた、

セクシーで メロディアスなサウンドで、世界中の様々な音楽ファンに

受け入れやすい曲作りをしており、 レゲエ・ファンに限らず、

ソウル・ファンやロック・ファンからも高い評価を受けていますよね。

他のレゲエ・ミュージシャンとは一味違う、

レゲエ・バンドであると言えるかもしれませんね。

そんな彼等の1982年リリースのアルバム『You‘ve Got The Power』。

当時の世界的レゲエ・ブームの流れの中で、

そのブームを担ったアルバムと言っても 過言ではないでしょう。

その中でも、天才メロディ・メイカー「スティーヴィー・ワンダー」の

大ヒット曲『Try Jah Love~ラブ・アイランド~』のカバーは、

僕も子供の頃にCMで聞いて以来 ずっと頭に残っている、

印象的な曲ですね。 僕はその後ディスコでこの曲に出会いまして、

この辺くらいからレゲエにも 興味を持っていくわけですね。

ソウルとレゲエ・・・、

僕にとってはハンバーグとエビフライのセットぐらい、そそられますな・・・。

1月15日のマツザキ・レコードは

今日は、 

プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック  / ワイルド・チェリー 

を紹介しました。現在でもダンス・フロアを熱狂の渦に巻き込む、

永遠のディスコ・クラシック 「Play That Funky Music」で有名な

ワイルド・チェリーですが、オハイオ・プレイヤーズや

ザップを育んだファンクの名産地として知られるオハイオの出身です。

黒人グループと思われがちですが、メンバー全員白人で、

もともとはハード・ロック志向の グループだったらしいです。驚きですね!

70年代初頭に結成され、初期こそクラブ廻りに甘んじていたんですが、

折からのディスコ・ブームを 迎えまして、時代に合わせるべく

ファンキーなサウンドに転換します。

その結果、めでたく大ヒットを飛ばすことになるんですが、

その後はメンバー交代などが続き、 セールス的にもパッとせず、

そのまま解散への道を歩んでしまいました・・・。

この曲を聴くととても残念ですね、

うまくいけばディスコとロックのスーパーバンドに 成れたのでは!?

なーんて思ってしまいます。 「一発屋」なんて言われ方もしますが、

この時代のディスコは謎の一発屋だらけですよ。

1月8日(火)マツザキ・レコードは

今日は、 

シンギング・ハレルヤ  / クイーン・サマンサ を紹介しました。

正直、彼女たちの素性は不明なのですが、

70年代後半から80年代前半に活動していた グループで、

フランスの女性シンガーを中心としたユニットのようです。

曲はまさにディスコ路線一直線といった感じで、

ブラスやシンセを使ったファンキーな 感じでもあります。

ヴォーカルはちょっとファルセット気味のソフトな感じです。

活動歴はかなり長くて、「瞳にファンタジー」のような

ハイエナジー系の曲もリリースしています。 この曲は様々なユーロビートの

コンピレーションアルバムにも収録されていましたね。

それにしても、名前が凄いですよね!「クイーン」と「サマンサ」・・・、

当時はロックバンドのクイーンが いてバリバリに活動してましたし、

「サマンサ」だってサマンサ・フォックスとか魔女のサマンサとか

有名人の女性の名前として当時はやっていた名前ですね。

それを二つともくっつけちゃうという、素晴らしいネーミング!

曲もそつなくディスコの雰囲気を出しております、聞けば結構ノレる曲です。

この辺りは流石です!

謎のミュージシャンやユニットが多いのも、ディスコの面白いところですね

まぁ、アーティストの名前とか、正直、そんなの関係なかったんですよね

僕もディスコに行かなくなってから、沢山のアーティストを知りましたし・・・

12月25日のマツザキ・レコードは

今日は、 

トゥウィンクル・トゥウィンクル・リトル・ミー  / 

ダイアナ・ロス & ザ・スプリームス を紹介しました。

1960年代、当時のアメリカの中で唯一、ビートルズに対抗できたグループ、

とも言われるグループ。60年代に12曲ものNo.1ヒットを放つという

偉業を成し遂げたのはスプリームスだけ!

今日お届けしたのは彼女たちのクリスマスソングですが、

なんとも甘く切ない。。。さすが、ダイアナ・ロスですね!

みなさんも穏やかなクリスマス過ごしてますか♪???

12月18日のマツザキ・レコードは

今日は、 

リトル・クリスマス・ツリー  / マイケル・ジャクソン

を紹介しました。”キング・オブ・ポップ”なんて呼ばれたりもします、

まさに唯一無二のシンガーではないでしょうか?

ジャクソンファイブで12歳でデビューしてから、1971年にはソロ活動。

ダイアナ・ロス主演の”The Wiz”でのスクリーンデビューをした時、

そのスコアを手がけていたプロデューサーの

クインシー・ジョーンズと出会ったところから始まり、

No.1ヒットを連発。音楽シーンに衝撃を与えましたね。

その後この黄金コンビは数々の実績を残していきましたが、

しだいにプライベートでのゴシップが先行し、

彼自身大変な状況に置かれてるとは思います…。

とは言え、彼の影響下にあるアーティスト達が現在のシーンを一翼を

担っている次代でもあるだけに、今後もマイケルが関わる作品は、

音楽シーンと人々に常に影響を与えていくでしょうね。

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