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マツザキ・レコード

4月28日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

You're the First , the Last , My Everything /

バリー・ホワイト を紹介しました。

バリー・ホワイトの魅力は、セクシーなバリトン・ヴォイスと

華麗なストリングスサウンドです。

セクシーなのは歌声だけではなく、歌の歌詞とタイトルには、

「Love」や「Baby」がたくさん入っていて、

さびになると「Love」や「Baby」を必ずといっていいほどささやいてくれます。

元々は、作曲家・プロデューサーですから、どのアルバムも完成度の高い

作品ばかりで、中でも70年代の20thセンチュリー時代には、

珠玉の名盤が揃っています。

今日紹介したのは、74年に発表の「Can't Get  Enough」というアルバムからの

楽曲です。200万枚を売り上げて1位を獲得しました。

内容は、明るいダンス・クラシックが中心。

2曲のナンバー1ヒットを含んでいます。

そのうちの1曲は、聞き覚えのある方も多いはずです。

ドラマ「アリー・マイ・ラブ」でおなじみの、ジョンケイジが踊る”あの曲”です。

”You're The First , The Last , My Everything”。

4月21日のマツザキ・レコードは

今日は、

Right on time / ブラザーズ・ジョンソン を紹介しました。

ブラザーズ・ジョンソンは、兄ジョージ(ギター、ヴォーカル)と、

弟ルイス(ベース)のジョンソン兄弟からなるユニット。

名プロデューサー、クインシー・ジョーンズに認められて、

数々のレコーディングに参加しています。

ギターとヴォーカル担当のジョージ、そして怒涛のテクニカル・ベーシストとして

一世を風靡した弟のルイスからなるブラザーズ・ジョンソン。

70年代にクインシー・ジョーンズから評価を受け、

彼が手がけた数々の作品に関わり、70年代後期から80年代初頭にかけての

彼らの活躍はすごかったです。

彼らを思うにつけ実感するのは、クインシー・ジョーンズという男の恐ろしさですね。

なぜってクインシーがプロデュースを手がけた初期の4枚はどれも優秀で

大ヒットしたんですが、クインシー組から離脱した81年頃から

一気に状況が変化するんです。

とはいえ、その後もファンクの秀作を沢山世に送り出しています。

4月14日のマツザキ・レコード

今日は、

アイ・フィール・サンクティファイド / コモドアーズ を紹介しました。

モータウン出身のアーティストで、最も成功を収めたアーティスト

コモドアーズといえばバラードだ!という人もいれば、

「いやいや、コモドアーズはファンクだよ!」という人もいるだろう。

どちらの意見も正しいと思います。

「マシン・ガン」「ブリック・ハウス」に代表される

ブリブリのファンク・チューン、「イージー」「永遠の人に捧げる歌」で聴ける

大別すると2つのスタイルに分かれている彼らですが、

ソウルという本流からは決して外れない(ある時期までだが…)。

そして、ファンク・チューンにおけるリズム・セクションのタイトさは、

アース、ウィンド&ファイアと並び、70年代を代表するファンク・バンドといっても

過言ではないでしょう。しかし、バラード・ヒットを連発するようになると

徐々にファンク色が薄れだし、

黒人音楽がブラック・コンテンポラリー化していくのと

歩みを同じにしていったのです。

4月7日のマツザキ・レコードは

今日は、

スタッフ・ライク・ザット / クインシー・ジョーンズ を紹介しました。

プロデューサーとして、数々のアーティストを手がけたクインシーですが、

自身の アルバムの製作の際には、

多数の有名アーティストが協力してくれたようです。

さらに、 それらをサポートするスタジオミュージシャンも

凄腕ばかりだったと言われております。

ちなみに、アーティストでは、ハービー・ハンコック、チャカ・カーン、

マイケル・ブレッカー等豪華参加、クインシーならではの最高の

アレンジによる ブラック・コンテンポラリーの傑作ですね。

是非、アルバムで聞いていただきたい作品です。

3月31日のマツザキ・レコードは

今日は、

ディスコ・インフェルノ /  ザ・トランプス を紹介しました。

トランプスは、「ソウル・トレインのテーマ」で有名な

MFSB(Mother Father Sister Brother )

これはフィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオで働く

スタジオ・ミュージシャンによって結成されたグループなんですが、

これに参加していたメンバーに、主にリードを取るジミー・エリス等が

加わって新たに結成されたバンドです。

ある意味ディスコの主流と言えるかもしれません。

ジャケットにはヴォーカリスト5人の写真が使われることが多いので

ヴォーカル・グループかと思っていましたが、実は他に10数名の

メンバーを抱える大型グループです。

これはアルバム毎に変わってたのかもしれませんけど・・・。

トランプスと言えば、やはり曲の知名度から言えば断然大ヒットした

「ディスコ・インフェルノ」が代表曲でしょうか。

なかなかヴォーカルも力強く、パンチの効いたソウルに仕上がっています。

この曲は1年後にウルトラ・ヒットを記録した

映画『サタデー・ナイト・フィーヴァー』のサウンド・トラックに収録されたことで

より大衆的な人気を獲得しました。

3月24日のマツザキ・レコードは

今日は、

チェリッシュ /  クール&ザ・ギャング を紹介しました。

もともとは、ディスコ用のスタジオグループとして74年に、

ドイツのミュンヘンで結成。

この頃はよくあったんですが、プロデューサーがその都度、

同名のグループ名でシンガーを コーディネイトするってパターンです。

これが最初から上手くいって、

デビューシングル「セイブ・ミー」を欧米でヒットさせて います。

翌年の「フライ・ロビン・フライ」は世界中のディスコで大ヒットしました。

スターになるきっかけとなったフライ・ロビン・フライは75年発売で、

このときに女性トリオとして固定化しました。

ビルボードディスコチャートで3週連続1位となり、

グラミー賞まで受賞してしまいました。

その翌年に出したのが今日紹介した「恋のブギー」なんです。

大ヒットした「フライ・ロビン・フライ」の歌詞は

「フライ、ロビン、フライ、アップ、アップ、トゥ、ザ、スカイ」とこれだけで、

歌詞が少ないほうが「良い」と思ったのか、

選んだ3人の女性にあまり歌わせられなかったのか、

「恋のブギー」はさらに歌詞が 少なく、

「ゲラップ、アンド、ブギー」のみ。

他は男性の声で「ザッツライト」と合いの手が 入るだけなんですよ!

ちなみに、

このグループはこの後だんだんとディスコからフェードアウトしていきます。

3月17日(水)のマツザキ・レコードは

今日は、

チェリッシュ /  クール&ザ・ギャング を紹介しました。

このバンドもとてもキャリアの長いバンドですが、

70年代後半の映画「サタデーナイト・フィーバー」でも使われた

「オープン・セサミ」この辺のディスコヒットあたりから、

「ジェームス・テーラー」がメインボーカルとして加わってからの、

「レディースナイト」「セレブレーション」「ゲット・ダウン・オン・イット」

「フレッシュ」「ジョアンナ」「トゥナイト」「ミスレッド」…と、

80年代にかけて数え切れないほどヒット曲を連発するわけですね。

どれもファンク・ソウルをベースにディスコ・AORにアレンジし、

多様な顔を見せてくれますが、そんな中今日は「せつない系」の名曲を

お届けしました。ディスコのチークでもよく流れていたような曲です。

3月10日のマツザキ・レコードは

今日は、

スーパーパーティ /  ソウル・ハスラーズ を紹介しました。

今日は「ファンク」という音楽に注目したんですが、

もともと「ファンキー」という言葉は「野暮ったい」「土俗的」などの

意味を含む俗語で、語源としては「匂い」を指す言葉なんです。

「ファンキー」は元々はファンク・ミュージックが派生するより前に

ジャズに対して使われていた言葉で、ブルース色(土臭さ)、

ソウル色(ゴスペル)を指した意味だったそうです。

音楽的にはうねるようなベースラインにホーンセクションや

カッティングギターが絡み、楽器すべてがリズムにのって一体となるような

イメージでしょうか。当然、ノリがよくダンスミュージックのベースになりました。

ファンクは1960年代にミーターズやジェームス・ブラウンおよび彼のバンドの

メンバーを始祖として型が形成されたとされています。

その後、天才ベーシスト/ブーツィー・コリンズが、

ジョージ・クリントンによりPファンクにスカウトされ、Pファンク黄金時代を

築き上げました。一方1970年代初頭サンフランシスコから、

白人・黒人混成バンド”スライ&ザ・ファミリー・ストーン”が登場し、

彼らのロック的要素を取り入れたファンクが白人にも受け入れられるように

なりました。そして、ブラック・ミュージック、ソウル/R&Bを土台にし、

アフリカ音楽やジャズ的要素を取り入れて発展していったんですね。

いろんなファンクがありますが、やはり個人的に好きなのは、

疾走感のあるファンクですかね♪

3月3日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

The Lady Is A Tramp /  スプリームス を紹介しました。

今日お届けしたのは、「ロジャース&ハート」のスタンダードを

カバーしたアルバムからです。

先ずは「ロジャース」ですが、リチャード・ロジャースと言いまして、

彼がミュージカルに与えた貢献は計り知れません、

その影響は今では伝説になっています。

彼の活躍は1920年代から60年間に渡り、

その活躍の場はハリウッドの銀幕から ブロードウェイ、

ロンドンと世界をまたにかけておりました。

彼はピューリッツアー、トニー、オスカー、グラミー、

そしてエミー賞と数え切れない程の 賞を受賞しました。

出版された曲目は900作以上、そして40作にものぼる

ブロードウェイ・ミュージカルを残しました。

その相棒の作詞家が「ハート」。

ロレンツ・ハートの詞に彼は音楽を書きました。彼ら二人の活躍で、

アメリカの ミュージカルに黄金時代がやってきます。

さてご存知ダイアナ・ロス率いる「スプリームス」、

60年代のモータウンのスターとして、

数々のヒットを飛ばしたグループですよね。

スプリ-ムスが彼らの代表曲を企画モノとしてアルバム化しているんです。

60年代にオリジナル曲以外でこのような企画のレコードを出せるなんて、

本当に人気と実力が あったからこそでしょう。

ロジャースとハートのコンビによる楽曲は、ミュージカルから独立して、

実は ジャズアレンジされている物も多いのですが、

これらの曲も見事に歌いこなしています。

なんといってもダイアナ・ロスの繊細かつ

ハートフルな素敵ヴォイスがたまりません!

2月24日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

スキン・タイト /  オハイオ・プレイヤーズ を紹介しました。

彼らは、オハイオ州デイトン出身の仲間たちによって結成されました。

リロイ“シュガーフット”ボナー(ヴォーカル、ギター担当) を看板として、

一時代を築いた名ファンクグループですね。

ファンクの歴史に大きな足跡を残したグループです。

彼らの成功に触発されて、

出身地であるオハイオ州デイトンの一帯からは、

レイクサイド、ザップ、サンなど素晴らしいファンク・バンドが

次々と生まれました。そのムーヴメントは、やがて、

オハイオ・ファンクという一つのスタイルとなります。

スタイルといえば、彼らのジャケットの多くは

ヌーディーな女性が起用されているのも、 オハイオ流として印象的です。

現在、メンバーは完全に入れ替わっていますが、

バンドは存続し続けています。

今日はそんな彼らの代表曲、絶頂期1974年の曲をお届けしました。

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