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マツザキ・レコード

9月15日のマツザキ・レコードは

今日は、

レッツ・グルーヴ / アース・ウィンド&ファイアー を紹介しました。

というよりも、

僕がディスコに通っていた時代(二十数年前)のお話です。

80年代の前半から増えていった熊本のディスコ、

多いときは7件~8件ぐらいあったんじゃないかという話です。

それぞれのお店は、音楽性を分けたり、上手なDJを呼んだりと、

様々な特色がありました。

世の中はバブル全盛期、ディスコには平日でも夜遅くまで人がいました。

週末は入れないお店もあった程です。

そんな中ディスコの世界では、大人の中で流行ったものがだんだん

若い人に流行り始め、そして少しずつ人が減り始めたらしいです。

ディスコは、最初は大人が楽しむものだったんですね。

今日お届けしたアースの曲は、

ディスコと言えば!という僕の中での定番ソングです。

9月8日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

サニー / ボニーM を紹介しました。

この曲はもともとボビー・ヘブのオリジナル楽曲ですが、

様々なアーティストに(その数500以上)カバーされています。

フランク・シナトラ、スティービー・ワンダー、JB、マーヴィン・ゲイ、

日本でも勝新太郎や堺まさあき、奥田民生らがカバーしています。

その曲をディスコティックにカバーしたアーティストが、

今日紹介した「ボニーM」です。

ボニーMの音楽性の良さがにじみ出ているカバーになっています。

…そう感じるのは、単に僕がボニーMが好きだからですかね!?

9月1日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

ギャラクシー・オブ・ラブ / クラウン・ヘインツ・アフェア 

を紹介しました。

名前の由来は、NYのブルックリンの地名から。

シカゴや南部のもつファンクとは一味違う、

NY流の都会的な雰囲気を持つグループですね。

泥くさいファンクのイメージというよりは、

上手にダウンタウンのにおいに転化しているところが流石です。

そして、この頃から流行り始めたアース・ウィンド&ファイヤーを代表する

「ニューソウル」の流れをしっかりと組んでいます。

とくにモーリスホワイトやフィリップベイリー達のファルセットコーラスを

組み合わせたスタイル。

クラウン・ハインツ流にファンクのイメージを上手く残しつつ、

取り入れてホーンと組み合わせた曲作りの心地よさは、

NYだけでなく、やがて世界的に広がっていきます。

8月25日(火)マツザキ・レコード

今日は、

アイ・ノウ・アイム・ルージング・ユー / コモドアーズ 

を紹介しました。

70年代を代表するファンク・バンドの1つですよね。

さて、コモドアーズにライオネル・リッチーが在籍していたのは

皆さんご存知だと思いますが、

ではライオネル・リッチーがリード・ヴォーカルだったのか?というと、

実はそうではなく、彼らは、メンバー全員が曲を書いて持ち寄り、

作曲者が各々の曲でリードを取るというシステムだったんです。

やがてライオネルリッチーはソロシンガーとして活躍するようになりますが、

一方コモドアーズも様々な曲をチャートインさせていましたし、

本当にバンド自体に実力があったのでしょうね。

8月18日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

ホワッド・アイ・セイ / レイ・チャールズを紹介しました。

レイ・チャールズは1930年にアメリカ・ジョージア州出身、

R&Bやゴスペル、黒人霊歌やジャズなど、

黒人である自らのルーツを辿るなか、

「ソウルミュージック」という形で彼のスタイルを確立させました。

亡くなって5年経ちますが、今でも愛され続ける「ソウルの神様」ですよね。

もし僕に奇跡的なチャンスがあるなら、

一度でいいから会ってみたかった、そういうアーティストです。

8月11日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

ソウルシスター、ブラウンシュガー / サム&デイブ

を紹介しました。

この2人はR&B界においても本当に存在感のあるデュオでした。

独特の歌声とステージ・パフォーマンスでヒットを飛ばすものの、

レコード会社との契約のもつれから、解散してしまいました。

10年ぐらいの活躍だったんですが、

今でも彼らの曲は皆さん聞き覚えのあるという方が多いのではないでしょうか?

8月4日(火)マツザキ・レコード

今日は、

恋のサヴァイヴァル  / グロリア・ゲイナー を紹介しました。

彼女はドナ・サマーらと並ぶ、ディスコ時代を代表する女性シンガー

ではないかと思うのですが、

そんな彼女の「恋のサヴァイヴァル」は、

日本はもちろん全世界でヒットしました。

日本では布施明や麻生よう子がカバーしましたが、

実はグロリア・ゲイナーより布施明Verの方が売れたようです。

聞き比べると、布施さんのヴァージョンは、

日本語というのとその歌唱力からか、ちょっと泣かせる感じに仕上がっていて、

これもかなりいい感じなんです。

オリジナル楽曲のメロディーが日本人にも馴染む楽曲だったんでしょうね。

7月28日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

Keep It Comin' Love  / K.C.& The Sunshine Bandを紹介しました。

皆さんはディスコと聞いてどんな曲を思い出しますか?

僕は、あくまでソウル風だけど、ラテン的な明るさとノリを持ったような、

そんな曲たちですかね♪

K.C.&The Sunshine Bandは1973年に結成。

75年のセカンドアルバムでブレイク。

シングルカットされた「ゲット・ダウン・トゥナイト」と「ザッツ・ザ・ウェイ」が

それぞれビルボードのポップチャートと

R&Bチャートで堂々1位を獲得したのでした。

続く76年に発売された3作目「パート3」でも、「シェイク・ユア・ブーティ」や

「キープ・イット・カミング・ラブ」などのヒットを飛ばします。

この人たちの曲調は「明るいラテン」「南国調」。

それにモータウン伝統のダンス・ソウルサウンドが絡んだ幹事ですかね。

生音中心で、ライブを観ても実に楽しそうに歌い、演奏しています。

夏のこの時期、ピタっとくる曲もまだまだありますよ。

アレコレ探してみて下さいね♪

7月21日(火)のマツザキ・レコードは…

今日は、

ターン・オン・ザ・アクション / クインシー・ジョーンズ を紹介しました。

さて今回も先日亡くなりましたマイケルジャクソンを、

追悼する思いも込めてマイケルに影響を与えた偉大なミュージシャンの

曲をお届けしました。

POPS史上最大の売り上げを誇ったアルバムといえば、

マイケルの「スリラー」ですよね。

1億枚以上も1枚のアルバムで売り上げたとして認知されておりますが、

そのプロデューサーといえば、そう、クインシー・ジョーンズです。

彼とマイケルの関係でいきますと、

79年の「オフ・ザ・ウォール」、82年の「スリラー」、87年の「BAD」と

全盛期の3作品のプロデュースを手がけています。

実はマイケルとコンビを組んでいた10年弱の期間はクインシー自身も

最も忙しく売れていた時期でした。

「愛のコリーダ」もスリラーの前の年、81年の発表で、

まさにお互いの全盛期を共に過ごした居たわけですね。

そんなことからか、当時は「大統領の次に忙しい男」とも

呼ばれていたんだとか。

今日は81年のクインシーのクレジットのアルバムからお届けしました。

7月14日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

ヘル / ジェームス・ブラウン を紹介しました。

今日も、亡きマイケルジャクソンの歴史を振り返りつつ、

そのルーツを探っていきました。

もちろん始まりはジャクソン5。彼らのサウンドは1960年代の多くの

ビッグスターの影響を受けています。

スライ&ザ・ファミリー・ストーンや、アイズレー・ブラザーズ、

マーヴィン・ゲイ、フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ、

そしてウィルソン・ピケット、ジャッキー・ウィルソン、

スティーヴィー・ワンダー、ジェームス・ブラウンなどのソウル歌手の

影響を強く受けました。特にマイケルは、ジェームス・ブラウンの情熱的な

歌やダンスなど多くのことを取り入れてたようです。

ジェームス・ブラウンの葬儀の際、マイケルはJBの棺にキスをしたそうですが、

JB自身も亡くなる寸前まで「マイケルやプリンスとやらなければならない

ことがある」と言っていたそうです。

もし作品として2人が組んで曲を作っていたとすると…。

それはもう夢のまた夢となってしまいましたが、

想像するだけでも心躍りますよね!

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