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マツザキ・レコード

9月30日のマツザキ・レコードは…

今日は、

Raindrops  /  Dee Clark を紹介しました。
 
1938年アーカンソー州生まれのR&B系の男性シンガーで、

当初Goldentonesというグループを 率いて活動していました、

その後ソロとして、「Nobody But You」が初めてTop40入り。

次の代表曲は1961年のNo.2ヒット「Raindrops」でしょう。

出世作となった「Nobody But You」は、肩に力の入らない

軽快なポップナンバーとして 楽しく聴くことが出来る曲ですが、

今日お届けした「Raindrops」はまた雰囲気の違う曲なんです。

60年代初期のRock‘n Pop風の作品で、ギターをベースに、

夕立のような雨音や ストリングスが巧くアレンジされている佳曲です。

曲の冒頭からいきなり轟く雷には 驚かされますが…。

この作品などは、古き良き時代のポップのセンスを詰め合わせた、

ある意味オーソドックスで、

とてもスタンダードなナンバーのような気がしますね。

ちなみに歌詞は・・・ 突如降り始めた激しい雨。

しかし、それは「僕の瞳からこぼれ落ちる大粒の涙だった…」、

というお決まりの歌詞が唄われています。 曲の最後の方では、

雨への願いを盛り上げるかのように、すべてを洗い流せと

言わんばかりの 音割れしそうなほどの雷鳴が鳴り響きます。

激しい夕立にあったときに、作った曲と聞いていますが、

歌い上げる感じは流石です。

9月23日(火)今日のマツザキレコードは…

今日はファンキー・タウン/リップスを紹介しました。

リップスは「一発屋」ということで、
なにかと軽視されているディスコアーチストだと思います。
「音が軽いねぇ」・・・てな声が聞こえてきそうですが、
それはそれ、結構僕は好きです。
まず、リリースされたのが1980年! 
この年はアメリカでディスコが終わったと 言われている年なんです。
そもそも、この曲、よ~く聴いてみると、なかなかに完成度が高い。
意外とビートはしっかりしているし、ボーカルはちゃんと上手。
誰でも踊りやすいという魅力もある。よ~く聴けば聴くほど、味わいを感じます。
F.O.で終わるんですが、もう少し聞きたい・・・
曲のヤマバまで作って聞かせろ~! と、思わず思ってしまいます。
この曲、ファンキー・タウンがCDソングや色んな番組のBGMとして
よく使われるのも、シンプルながら耳に残るそんな良さからかもしれません・・・。
ファンキータウンは、そんなシンプル・イズ・ベストな感覚を
思い起こさせてくれる一品。
一応、というか、スゴイことに一般チャート、ディスコチャートともに
4週連続1位を 獲得しています。
R&Bチャートでも最高2位を記録した超特大ヒットだっだのです。

ただし、バンド名「リップス」が、「リップシンク=Lip-sync=口パク」から
来ているだけあって、いかがわしさも満点。本国の米国以外では、
金髪白人女性がボーカルのふりをしてTV番組などに登場しているのが
普通なのでした。
本当は歌唱力に定評のあった黒人女性歌手(シンシア・ジョンソンという人)が
リードボーカルだったのです。

でも、いかがわしさはディスコの大事な要素ですし、
ここでこだわるのは野暮というもの。
しかも、「ファンキー・タウン」以外の曲でも、
けっこうR&Bもしくは 「ファンク」している名作があります。
気になるあなたは、ベスト版がCDで出ております。
探してみてください!

9月16日(火)今日のマツザキ・レコードは…

今日はJump To It /アレサ・フランクリンを紹介しました。


彼女はメンフィス生まれのデトロイト育ち、言い換えれば「R&B生まれのゴスペル育ち」
って感じでしょうか!?
ビルボードR&B1位獲得曲20曲、グラミー賞ノミネート40回以上!獲得は20回!!
押しも押されぬ“クイーン・オブ・ソウル”です。

60年代のソウル時代はもちろん、あらためて調べてみましても、ディスコ全盛期にも
ソウルな姿勢を崩しておりません。アルバムも77年の「Sweet Passion」、
78年の「Almighty Fire」ともに、R&B1位となった「Break It To Me Gently」を
はじめとする格調高いバラードや、彼女らしいゴスペルシャウト調の正統派な曲が多いですね。
まだ10代だった60年代初頭からずっと、トップスターとして君臨してきただけに、
風格を感じさせる人です。
ところが、本国アメリカでのディスコブームが終わった80年以降、
なぜかディスコに開眼したのがアレサさんであります。

私が最初に感激したのは、今日お届けする82年の「Jump To It」ですね。
続いて83年には、アゲアゲ調の「Get It Right」が発売され、
「アレサのディスコワールド」が確立します。
その後も勢いは止まらず、№1ディスコヒットを生み出します。
もはや「いまさらのディスコ・クイーン」状態であったかもしれません。
これだけイケルなら、もっと早くディスコやればよかったのに・・・
なんて思ったりもしますが、ソウル/ゴスペルクイーンの名前が許さなかったのか?
いずれにせよ、アレサの60~70年代は不動のソウル女王、
80年代以降はディスコ/クラブシーンを舞台にした、
最後のディスコクイーン・・・ということが言えそうですね。

9月9日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

エンドレス・ラブ  /  ダイアナ・ロス&ライオネルリッチー

を紹介しました。

ダイアナ・ロス、このコーナー、

1番登場回数が多いのではないでしょうか!?

70年代はマーヴィン・ゲイと一緒に、

80年代にはライオネル・リッチーと一緒に、

その辺の流れをつかむという意味でもすごい女性ですよね!

バラードでも定評のあるライオネルリッチーとのこの曲、

夏が終わって秋が染み込んでくるこの季節に…ピッタリですよね♪

9月2日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

サティスファクション  /  オーティス・レディング

を紹介しました。

音楽のイチジャンルだったリズム&ブルースが、

60年代に入り“ソウル”に変わっていきます。

そのきっかけとしては、当時のシンガー達がゴスペルを取り入れた、

バラードを歌い始めたことと、 アメリカの公民権運動などに見られる、

黒人の意識の高まりが関係していると言われています。

中々自由に出来ない時代でしたから、

色んな思いや伝えたい事を歌にする。

つまり魂を歌に込めるのが、ズバリ「ソウル・ミュージック」

60年代のソウル・ミュージックにおいて間違いなく最高のシンガーで

パフォーマーだったのが オーティス・レディングでしょう。

今日お届けしたのは、僕が最初に聞いた彼の曲、

「サティスファクション」です。最初に僕が彼の音楽に触れ、

映像を見たのは中学生くらい だったと思いますが、

そりゃもう「衝撃」でした!

「魂」を込め、自分の命を削るかのごとく、全身から搾り出すように歌う姿。

もちろん歌詞の意味はわかりませんでしたが、

これが「ソウル」なのかと感動しましたね。
 

彼の歌う姿は、幸いなことに映像としても残されています。

そして、その姿は、まさに 「魂の熱唱」と呼ぶのにふさわしいものです。

彼は、飛行機事故の直前に喉にできたポリープの

除去手術を受けていますが、やはりその強烈な発声が原因だったようです。

彼はビートルズやアレサ・フランクリンらの曲など、

他のアーティストのカバー曲を かなり発表しており、

その多くは原曲以上に仕上がっているモノも多いと思います。

しかし、その逆に、オーティスの曲をカバーしたアーティストは、

あまりいないんですね。

イメージが強烈だから・・・と言ってしまえばそれまでですが。

彼の曲は、彼の「魂の声」によってのみ、

その輝きを放つのかもしれませんね。

8月26日のマツザキ・レコードは

今日は、

夏のスキップ  /  フェニス・ヘンダーソン

を紹介しました。

もともとはシカゴのボーカルだった彼ですが、AOR界では有名な方です。

彼の特徴は声質の幅でしょう!

うらやましいくらいのキーの広さと歌で使い分ける声ですね!

キレイなファルセットから、結構太い声で歌うロックテイストのソウルまで

幅広くこなしています。

AOR、アーバンコンテンポラリーのボーカリストして80年代は

数多くのヒットを飛ばしています。

当然、「大人のディスコ」としてもヒットとしていますね!

まさに今日の曲なんかは火照った体をクールダウン・・・・・

なーんて時にもってこいです。

今なら、夏の夕暮れサンセットドライブで聞くもよし、

夜のバーで聞くもよし アダルトな大人におススメの一曲です。

実際にディスコで聞いてた頃は、そんなのが似合う大人になるんだと、

憧れだけが先行してましたね 現実にアーバンぶるのは結構大変です。。

8月19日(火)マツザキ・レコードは

今日は、

愛のステップ  /  バリー・ホワイト

ソウル界イチといってもいいかもしれません。

大人な男の声をもつ、バリー・ホワイトを紹介しました。

太くて低いヴォーカルに濃厚なバリトンのつぶやき声を絡ませるのが

彼の曲の特徴なんです。

バリーは軽快でメロディアスなディスコ・チューンにエロティックな

語りを織り交ぜた曲で 人々を心酔させ、

70年代にはヒット・ナンバーを立て続けに飛ばしていきました。

その声の人気は当時女性に絶大な人気を誇りまして、

楽曲のよさもあってグラミー賞も受賞しております。

音楽プロヂューサーとしても活動していたのですが、

この声で指示されたら 何でも言う事聞いちゃいそうです。

そのなかでも74年に発表された、バリーのセックス・アピールの

集大成というべき 「愛のテーマ」は彼の代表曲です。

男が聞いてもそのセクシーさは十分感じると思います。

夏のディスコの終わりがけ、少しけだるい頃、

耳と体にしっくりなじむそんな曲です。

今なら、海の帰りのたそがれのひと時にバリーの曲は、

より一層ロマンティックに 響くんではないですかね!?

マツザキレコード

今日は、

コンガ  / マイアミ・サウンド・マシーン

を紹介しました。現在でもラテンポップを代表する、

印象的なボーカリストのグロリア・エステファン。

彼女はキューバ生まれで、1960年に家族と共にマイアミに移住します。

キューバ移民であるために生活は苦しかったそうですが、

奨学金を得てマイアミ大学に入学しています。

1975年に、後の夫となるエミリオ・エステファンが 率いるバンド

「マイアミ・ラテン・ボーイズ」に参加し、1978年にエミリオと結婚します。

ちなみに新婚旅行は熱海温泉だそうで、理由はわかりませんが・・・

「マイアミ」と「熱海」・・・保養地つながりですかね!?

バンドはマイアミ・サウンド・マシーンと改名して

1980年代後半に数々のヒットを飛ばしますが、

実はこの頃には、すでにマイアミでは人気・実力共にNo.1といえるほどの

人気バンドだったそうです。

その後、1988年にはグロリア・エステファン&ザ・マイアミ・サウンド・マシーンと

表記するようになります。

今日の曲は、特にディスコを意識した楽曲と言うわけではないと思いますが、

ラテンの軽いノリと速いテンポ、そして、シンセのマッチングが最高ですね。

よくディスコでもかかっていました。特に夏場にピタリとはまりますね!

思わず体が動き出すって感じです。

予断ですが、同じ時期に放映されていたアメリカのTVドラマに

「マイアミヴァイス」ってのが ありましたね!?

今思うとマイアミブームだったんでしょうか?

8月5日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、

Do You Love What You Feel  /  ルーファス・feat.チャカ・カーン

を紹介しました。欧米の歌手たち、特に黒人ソウルシンガーたちの中には、

差別や世の中に対しての アンチテーゼとなる歌を歌う人が

けっこう多いのですが、その中でも彼女は本物です。

チャカ・カーンは1953年米イリノイ州生まれで、

後にシカゴに移り住みました。

本名はイベット・スチーブンスといいます。

幼いころに父親が家を出て行ったため、

母親に育てられることになりました。

早くから彼女の才能を見抜いていた母親は、

かなりのステージママだったそうです。

父親は、65年のマルコムⅩ暗殺後、60年代後半から

70年代にかけて反政府活動を行った黒人過激派組織

「ブラック・パンサー(黒豹)党」の元メンバーでした。

彼女自身16歳のころに自らブラックパンサー党のメンバーとなり、

黒人の貧しい子供たちに朝食を 配る運動に関わります。

同時に、アフリカの言語で「炎」を意味するチャカ(Chaka)を使い、

チャカ・カーン(Chaka Khan)と名乗るようになりました。

ステージ活動と政治活動で多忙になった彼女は、高校も中退しました。

そしてその才能からシカゴの人種混成の男性バンドである

「ルーファス」にメーンボーカリストとして参加し、

メジャー歌手としての道を歩み始めます。

「You Got The Love」(74年、ビルボード全米R&Bチャート1位)、

「Sweet Thing」(75年、同1位)など、

立て続けに特大ヒットを繰り出すようになりました。

彼女の声は、何と言っても広い音域が最大の特徴ですね。

若き日の「タフ」な暮らしがその後の彼女の

数々のヒット曲につながったかどうかは定かではありませんが、

ディスコブームの勢いにも乗って、「I‘m Every Woman」(78年、同1位)や

「Do You Love What You Feel」(79年、同1位)といった

ダンスクラシックの大定番を世に送り出していますね。

7月29日のマツザキ・レコードは

今日は、

Don't Leave Me This Way  /  テルマ・ヒューストン を紹介しました。

アメリカのソウル・シンガー、ディスコ・クィーンの一人。

’77年に「ジス・ウェイ(Don‘t Leave Me This Way)」が

全米No.1を記録し、 ディスコ・チャートにおいても大ヒットとなりました。

当時のディスコ・クイーンと言えばグロリア・ゲイナー、ドナ・サマー、

キャロル・ダグラスが 挙げられますが、

この方も意外とディスコ系ヒットが多く、

アメリカでは女王のひとりとして知られています。

今日の曲はもともと、男性ソウルグループ、

ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツの曲を カバーした物でして、

彼女の歌とアレンジでディスコ・ソングとして大ヒットします。

伸びがあって、ノリのいいヴォーカル、

ディスコフロアにもってこいの曲に仕上がっておりますね。

サビの盛り上がり感はたまらない物がありますね。

発売後すぐ、ヨーロッパでコピーと言うより、

パクられたようにそっくりの曲も 別グループが発売しております。

その真意は定かではありませんが、「いい物はいい」というこですかね。

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