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マツザキ・レコード

5月13日のマツザキ・レコードは

今日は、 

O-H-I-O  / オハイオ・プレイヤーズ を紹介しました。

オハイオ・プレイヤーズは、オハイオ州デイトン出身の仲間達によって

結成されました。リロイ”シュガーフット”ボナーを看板として、

一時代を築いた名ファンクグループです。

1971年にウエストバンドレコードからデビューしましたが、

今いちパッとせず、マーキュリーレコードに移籍すると同時に、

ヒットを量産するようになりました。

特徴は、独特の「ヴォーカル」と「大きくゆったりとグループ」する曲の

スタイル。そして「色気タップリ」のアルバムジャケット。

「街のギャング集団」のようなイメージ戦略も功を奏したのでしょうか!?

ヒットの出なくなった80年代末に新生オハイオプレイヤーズとして再起し、

彼等が作ったギャングイメージは後進の黒人バンドに多く流用されています。

1976年には、オハイオ州デイトン市が毎年5月16日を

「オハイオプレイヤーズの日」とすることを宣言しています。

そのグループの名前が記念日になるなんてすごいですね。

5月6日のマツザキ・レコードは

今日は、 

Y.M.C.A.  / ビレッジ・ピープル を紹介しました。

このコーナーでは2回目の登場になります。

ヴィレッジ・ピープルは1977年にアメリカで結成。

もともとはフランスの作曲家であるジャック・モラリが作り上げたグループで、

ニューヨークのウエスト・ヴィレッジのゲイ・ディスコで

踊っていた男達をイメージしたそうです。

と言うことで、メンバーの服装はバラバラなんですね!

最初のアルバム「サンフランシスコ」がディスコで

いきなり爆発的なヒットとなります。

その後の活躍はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、

シングル「マッチョ・マン」が全米No.25、

「Y・M・C・A」は全米No.2、全英No.1、

「イン・ザ・ネイヴィー」も全米No.3、 全英No.2の大ヒットとなり

一躍ディスコ界のスーパー・スターとなりました。

確かに、久しぶりに聞いてみると、よく出来た楽曲ですよ

是非モノのホーンセクションとノリのいいベースライン、

ツボはしっかり押さえてますよね!

日本でも西条秀樹やピンクレディーのカバーが大ヒット、

海外でもペット・ショップ・ボーイズがカバーをしてヒットしたりと

およそ4年間の活動ながら、彼らが全世界で売り上げたレコードは

なんと5,000万枚と言われています。

キングオブディスコ、ディスコの為のディスコグループ、

それがヴィレッジ・ピープルでした!

4月22日のマツザキ・レコードは

今日は、 

スーパーフライ  / カーティス・メイフィールド を紹介しました。

60年代に活躍したソウルマンたち、例えばマーヴィン・ゲイ、

ダニー・ハザウェイ、 そして今日紹介するカーティス・メイフィールド。

ハイライトは、やはり70年代だと言えるでしょうね。

70年代以降のミュージック・シーンに対して与えた、大きな影響を考えると、

彼らが残した功績は余りにも大きいでしょう。

日本でも、山下達郎が大きな影響を受けたと言われています。

R&Bヴォーカル・グループ、インプレッションズで活動していたカーティスは、

70年にアルバム『カーティス』でソロ・デビュー。

これは、当時盛り上がっていた公民権運動や ヴェトナム反戦などを背景に

メッセージ色の強いアルバムに仕上げています。

72年に、最高の出来と言われる

サウンド・トラック『スーパー・フライ』をリリースします。

小気味よいラテン・パーカッションが緊張感を演出し、

ビートの狭間を乗りこなすような カーティスのファルセット-ヴォイスは、

とてもクールなファンクですね。

その後も脂に乗ったカーティスの音楽は、たくさんの名作を作っています。

70年代後半を迎えると、カーティスも時代の流れに逆らうことはできず、

ラヴ・ソングが大半を占めるようになります。

ラブソングも素晴らしいのです!

そして90年、カーティスはリハーサル中に落ちた照明器具が直撃するという、

悲劇的な事故に見舞われ、結果、寝たきり生活になります。

再起不能とまで噂されますが、96年に見事に復活し全音楽ファンに

多大な勇気を与えました。

しかし残念ながら99年に57歳の若さで亡くなっています。

4月15日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、 

めざせモスクワ(79’)  / ジンギスカン を紹介しました。

ジンギスカンは、1979年から80年代前半にかけて活躍した

ドイツ出身の男女6人組の 音楽アーティストグループです。

『ジンギスカン』が特に有名で世界的に大ヒットしましたね。

今日紹介するのは、「めざせモスクワ」 です。

ソビエト連邦(現在のロシア)のモスクワがモデルですね。

これが縁で1980年のモスクワオリンピックに招待されましたが、

当時の西ドイツはオリンピックをボイコットしています。

(ちなみに日本もボイコットしてますよね。)

日本ではダークダックスと バオバブシガーズによってカバーしました。

彼らの曲名がまたユニークで「サムライ」「ツタンカーメン」

「チャイナボーイ」など誰かをテーマにしたものや、

「インカ」「メキシコ」「マダガスカル」「シェラネバダ」「サハラ」など、

国や地域をテーマにした 曲名も多く、国際色豊かです。

また2005年、歌詞が日本語に聴こえるという空耳ソング

「もすかう」としてインターネットを中心にブームとなり、

シングルカットすることになったりと、

最近まで話題になるなんて、ホント凄いグループです。

1985年に一度解散しましたが、

2005年12月、2006年から20年ぶりに活動を再開させることが報道され、

1993年に他界したルイスと、調整がつかなかったレスリーを除く4人に

ゲストダンサー3人を加えたメンバーによる初のライブが

12月17日にモスクワのオリンピックアリーナで行われてます。

なんと、17000人、動員したそうです!さすが、ジンギスカンは永遠です。

4月8日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、 

Rockit  / Herbie Hancock を紹介しました。

ハービー・ハンコックは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の

ジャズ・ピアニストで 作曲家としても活躍してます。

1960年代以降のジャズ・シーンをリードするジャズの第一人者であり、

ストレートアヘッド・ジャズ、フュージョン、ジャズ・ファンクなど

多彩なジャズ・スタイルの最先端を走っている方ですね。

彼の歴史を簡単に振り返ると、1960年プロとしてデビュー。

1963~68年はマイルス・デイビス・クインテットのメンバーとして活躍。

70年代以降もジャズ・ファンクの『ヘッド・ハンターズ』、

アコースティック・ジャズ人気を復活させたVSOPクインテットの各作品や

ジャズとヒップホップを合わせた作品『フューチャー・ショック』など、

ジャズの新しい時代を切り開く 話題作を発表してきました。

音楽と電子工学で博士号を持つ彼ですが、JAZZミュージシャンとして

また、電子音楽の第一人者として、今でも音楽を追求しています。

今日お届けしたのは、83年の発表のその『フューチャー・ショック』からですが、

グランドミキサーDSTのDJスクラッチを取り入れたこのフレーズは

世界中で大ヒットし、 今でもいろんな番組で使われてますので、

聞き覚えがある方も多いでしょう。

このスタイルは、この後のクラブ・ミュージックの方向性を

決定付けたのではないでしょうか?

4月1日のマツザキ・レコードは

今日は、 

Getaway  / Earth,Wind & Fire を紹介しました。

70~80年代のディスコ/ファンク・ミュージックを代表するグループ、

アース・ウインド&ファイアを 紹介しました。

モーリス・ホワイトによって‘69年にシカゴで結成され、

’70年にデビュー、大きな成功を得られないまま、

‘72年に大幅なメンバー・チェンジを行い、リード・シンガーとして

フィリップ・ベイリーを迎え、ギタリストとしてアル・マッケイ等が参加することで、

最強のファンク、ディスコバンドとして、グループが出来上がってきます。

そして'74年『太陽の化身』でブレイクした後は次々にヒット作を連発、

‘77年には傑作『太陽神』を発表しその人気と実力は絶頂期を迎えます。

モーリスの作り出す、アフリカン・ラテン・ソウル・ファンク、

そして史上最強とも言われた ホーンセクションなど、

多様な音楽性は時代的にもディスコの大流行と重なったのか、重ねたのか、

彼等のダンサブル・チューンは熱狂的な支持を受けました。

特に日本での熱狂振りは本国アメリカを完全にしのいでいますね!

また、ライヴで見せる迫力と楽しさ溢れるステージは、

支持者をどんどん増やしていきました。

しかしながら、80年代も半ばに差し掛かるとメンバーの交代や

モーリス自身の 健康上の理由などにより、

残念ながらパワーダウンをしてしまいました。

90年以降はホーンセクションを取りやめ、打ち込みを大きく取り入れたりと

時代を追いかける彼らなんですが、70年代~80年代が良すぎたのか、

大きいヒットには 恵まれていませんね・・・。

とはいえ、永遠のダンスチューンを数多く排出し、

ライブに様々なエンターテイメント性を持ち込んだ

彼らの功績はとても大きいですね!

3月25日のマツザキ・レコードは

今日は、 

Shine On  / George Duke を紹介しました。

ヴォーカリスト、キーボード、プロデューサーとマルチな才能を持つ彼。

60年代はJAZZ・フュージョンをやっていた彼なんですが、

70年代に入ると、フランク・ザッパ達と活動をしていたという、

ディスコ界では変り種と いえるかも知れませんね。

その後は、プロデューサーとしてディー・ディー・ブリッジ・ウォーターや

このコーナーでも紹介した、テイスト・オブ・ハニー等を手がけています。

様々なジャンルを網羅する彼の曲の中で最もディスコティックなナンバー、

それが シャイン・オンではないでしょうか?

この曲はファルセット・ヴォイスとクロスオーバーな部分で

ちょいと聞くとみんな、アース・ウィンド&ファイアーを思わせるような、

ツボを押さえたかっこいい曲です。

曲とは関係ありませんが、見た目はパパイヤ鈴木にそっくりです!!

いや、パパイヤ鈴木がジョージ・デュークにそっくりなのか!?

3月18日のマツザキ・レコードは

今日は、 

Baby Don't Cry  / Third Guitar を紹介しました。

今日紹介する曲は、厳密にはディスコとは言えないかもしれませんが、

ディスコに大きな影響を与えた、フロリダ系のファンク。

JBを思わせるような走るヴォーカル、かっこいいギター、

ノリのいいホーンセクション。とてもよく出来ています。

ソウル・ファンクにラテンの血が混じった感じがたまりませんね。

フロリダ辺りのビーチで聞くと最高なんでしょうね…

3月11日のマツザキ・レコードは

今日は、 

ディスコ・ナイツ  / GQ を紹介しました。

ディスコ全盛期の’79年に、その名もズバリの「ディスコ・ナイツ」という

曲を大ヒットさせたグループ、GQです。

当時としてはちょっと都会的でスタイリッシュなサウンドとノリのよいリズムで

人気を博しました。アルバム・ジャケットも高級車やドレス、スーツ姿が多く

ハイソなディスコご用達って感じでしたね。

ちなみに「GQ」とは「Good Quality(高品質)」の略だそうです。

先週紹介した、テイスト・オブ・ハニーの大ヒット「今夜はブギ・ウギ・ウギ」の

カバーもやってます。何枚かアルバムは発売されていたようです。

全般的にノリやすい曲が多いですね。

ジャケットの写真やオビにあえて、「DISCO」と入れるグループが

この辺りから多くなっていくようなんですが、実はモータウンのイメージがある

「SOUL」という言葉をだんだん使わなくなっていくんですね。

正確な理由は分かりませんが、「SOUL=黒人音楽」という印象から脱却したかった

んですかね!?確かに70年代後半はアメリカだけでなく、

ヨーロッパ・日本とディスコは世界の音楽になっていきますからね。

いろんな見方があると思いますが、

DISCOは人種や国境を超えた音楽なんですよね。

3月4日(火)のマツザキ・レコードは

今日は、 

レスキュー・ミー  / テイスト・オブ・ハニー を紹介しました。

78年に、ディスコ・フィーバー真っ只なかのアメリカに、

爆裂曲「今夜はブギ・ウギ・ウギ」を投下したガールズ・グループ。

フロントを務めるのはセクシーなネエさんふたり、

ヘイゼル・ペインとジャニス・ジョンソン。

現在は、ジャニス・マリー(ジャニス・ジョンソンから改名)

=テイスト・オブ・ハニーとして活動を継続しています。

彼女たちは、一発屋ではなく、後にオールドスクール・ラップの名曲

「ザッツ・ザ・ジョイント」の元ネタになった「レスキュー・ミー」のほか、

一般チャート3位までかけ上ったスローバラード「スキヤキ」を

世に送り出しています。*スキヤキは坂本九が歌った63年全米No.1のヒット曲。

ただし、歌詞はジャニスが創作。80年ごろの来日時には、

坂本九と一緒にツアーを回ったこともあるようです。

アメリカだけでなく、日本、イギリスでも人気の高かったグループですよ。

昔やってた、東京音楽祭(懐かしい!)でも金賞を受賞しています!!

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