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名盤 IN A DAY

7月12日(木)の名盤は…

今日は「アラン・パーソンズ・プロジェクト」を紹介しました。

ビートルズで有名なイギリスのアビー・ロード・スタジオで、エンジニアを務め、

そのビートルズのアルバム「アビー・ロード」や、

ピンク・フロイドの名作「狂気」などを手がけた職人、アラン・パーソンズと、

同じくアビー・ロード・スタジオで作曲家として働いていた

エリック・ウォルフソンの2人を中心に、1975年に結成されたのが、

このアラン・パーソンズ・プロジェクトです。

バンドとかグループではなく、この2人以外のメンバーは固定されておらず、

リード・シンガーさえも作品ごとにゲストを呼んで適材適所で対応する、

文字通りプロジェクト・ユニットで、初期の内はいかにもエンジニア出身らしく、

スタジオ技術を駆使しての凝った音作りで、

プログレッシヴ・ロック色の濃い、ドラマチックな大作主義だったのですが、

徐々にポップな傾向を強めて、80年代に入った頃からは、

シングルヒットも数多く生まれ、

いわゆる「ラジオ・フレンドリー」なサウンドへと変化しました。

今日紹介した「ドント・アンサー・ミー」は、1984年のヒット曲。

日本ではおそらく一番人気の高い曲ではないでしょうか?

ちょっとノスタルジックなオールディーズ調のメロディや、

フィル・スペクター風のサウンドの中にも、イギリスらしい湿り気や、

ヒネリの効いたポップ・センスが、日本人の心の琴線に触れることと、

ビデオ・クリップがよく出来ていたことが、人気の理由でしょうかね?

7月5日(木)の名盤は…

今週も雨にちなんだ名盤を紹介しました。

今年3月14日に、60才の若さで亡くなった鈴木ヒロミツさんが在籍していた、

モップスの「たどりついたらいつも雨ふり」。

モップス、当時テレビでは、GS、グループ・サウンズと紹介されていました。

それは間違ってはいないのですが…厳密に言うと、GS後期に登場して、

他のタイガース、スパイダーズといった面々が解散した後も生き残って、

70年代のロック・バンド゙へ橋渡しした、アイドルやブームとは距離を置いた、

日本初の本格的ロックバンドだったんです。

メンバーには後の日本ロックを裏から支えることになる

名アレンジャー、星勝がいたことも実力を裏付けています。

そして、鈴木ヒロミツのボーカルが素晴らしかったこと。

評論家の渋谷陽一氏や、ミュージシャンのサエキけんぞう氏などのように、

今なお「歴代最強のロック歌手は鈴木ヒロミツ」と断言する人も多いのです。

ユーミンがモップスの追っかけだったのは有名な話ですし、

この曲は吉田拓郎が提供した1972年のもので、

多くのアーティストから愛される存在でした。

6月28日(木)の名盤は…

ある世代には懐かしく、

またある世代には新鮮に響く名盤の数々を紹介する「名盤iNaDAY」。

”梅雨”、先週に引き続き雨にちなんだ名盤を紹介しました。

今日紹介したのは、ボブ・ディランの「雨の日の女」。

ボブ・ディランは今年でキャリア45年、

長きにわたって第一線で活躍しているアーティストですが、

「雨の日の女」は、彼の数多いヒット曲の中でも、

1966年に全米2位のヒットとなった代表作の一つです。

マーチ風のリズムは楽しげなものの、ほとんどメロディのない、

しゃべるような歌なのに、よく全米2位になったな、と感じてしまいます。

同時代のもう一人のアメリカの天才、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンが、

この曲について「確かに詩的だが、音楽を破壊するものだ」と評しています。

逆に言うと、それぐらい革命的だったわけです。

そんな彼は今でも現役で活動を続け、

なんと、 去年リリースしたアルバム「モダン・タイムズ」は、全米No.1に輝いています!

6月21日(木)の名盤は…

ある世代には懐かしく、

またある世代には新鮮に響く名盤の数々を紹介する「名盤iNaDAY」。

”梅雨”ということで、今週から雨にちなんだ名盤を紹介していきます。

今日はザ・ドラマティックスの「イン・ザ・レイン」をピックアップ。

ザ・ドラマティックスは、

1960年代半ばにデトロイトで結成された黒人ボーカル・グループで、

その人気、実績、実力、すべてにおいて、

ソウル・ボーカル・グループの最高峰の一つとして、

多方面からリスペクトされています。

この「イン・ザ・レイン」は1972年に全米5位、

R&Bチャートでは4週連続1位を記録した、

彼ら最大のヒット曲で、これまでに数多くのアーティストからカバーされ、

90年代にはヒップホップのネタとして、たくさんサンプリングされています。

この曲、まずは雷と豪雨のSEから始まるのが当時かなり衝撃的でしたが、

それを割って入る、ハッキリ言ってエッチ~ぃギターとパーカッションのイントロだけで、

もう歌の世界へ引きずり込まれます。

そして歌。リード・シンガーの力量が素晴らしいのはもちろん、

途中まで「ソロ歌手だっけ?」というくらい、コーラスが出てきません。

中盤からボーカル・グループらしくなりますが、これ見よがしにハモったりせず、

必要最小限で絶妙に絡んできます。

さらに歌詞。「ひどいどしゃ降りだけど、僕は外に出て行きたい。

何故なら泣いてるのを君に見られたくないから。」 殆どこれの繰り返し。

にも関わらず、僕と君がどういう関係なのか、そして今どんな状態なのかが

痛いほど伝わってきます。

楽曲、アレンジ、歌唱、三位一体となった表現力見事ですね。

6月14日(木)の名盤は…

ある世代には懐かしく、

またある世代には新鮮に響く名盤の数々をご紹介する「名盤iNaDAY」。

今日はMR.BIGを取り上げました。

MR.BIGと言えば、1992年の全米No.1ヒット「To Be With You」で有名な、

90年代アメリカを代表するスーパー・バンド、ではなくて…

皆さんは、あのMR.BIGの前に同じ名前の別のバンドが、

ひっそりと存在していたことをご存知でしょうか?

1975年にデビューして、2枚のアルバムを残しただけでどこかへ…

そんなイギリスのMR.BIG

もっとも、デビューする時はそれなりに注目され、

ドラマチックな構成のハード・ロック・サウンドは、

クイーンの再来”などと呼ばれ、

実際にクイーンの前座を務めたこともあります。

ここ日本でも当時かなりレコード会社がプッシュしていたにも関わらず、

ほとんど売れなかった悲運のバンドと言えるかもしれません。

彼らは、クイーンに例えられたこと以外に、2つの大きな特徴がありました。

1つは、ツイン・ドラム編成、つまりドラマーが2人いたこと。

ツイン・ドラム自体はそれほど珍しくないのですが、

彼らの場合は4人しかいないのに、うち2人がドラム。

ギターの人が歌も兼ねて、ベースがいて、ドラムが2人。

もう1つは、中華風アレンジの曲があったこと。

実はアルバムに1曲だけ、そういう曲があっただけなんですが、

日本では「中華ロック」のレッテルを貼られ、

ラジオでもその曲ばかりかかっていたのです。

それですっかり“色モノ”扱いされてしまったのが、不運だったのでしょうが、

いろんな音楽のミクスチャーが浸透した今こそ、

30年前の無謀な試みが再評価されるかもしれません!!

6月7日(木)の名盤は…

今日は「ダイアー・ストレイツ」をピックアップしました。

1978年、ニュー・ウェイブ旋風吹き荒れるイギリスで、時代錯誤とも思える、

と言うよりもむしろ時代を超越したかのようなアメリカン・テイストの

渋いブルース・ルーツのロックンロール・サウンドでデビューして以来、

本国イギリスでは国民的人気バンドとなり、アメリカでも1985年、

スティングと共演した「マネー・フォー・ナッシング」で全米No.1となり、

グラミー賞獲得と、80年代を代表するロック・グループといえる彼ら。

彼らの代表曲と言えば、その「マネー・フォー・ナッシング」か、

「悲しきサルタン」というのが王道でしょうが、

実は本国イギリスで最もチャート的に上位を獲得したのは、これらではなく、

紹介しました「哀しみのダイアリー」という、1982年のナンバーなのです。

ちなみにアメリカや日本ではまったくヒットしていません。

おそらく世界数百カ国全てのナショナルチャートでトップ3に入った曲の中で、

歴史上最も地味な名盤ではないかと思うほど地味な曲です。。。

この曲を2位にさせるイギリス人ってすごいですね!?

5月31日(木)の名盤は

今日紹介したのは1980年代に数多くのヒット曲を放った女性グループ

「バングルス」

ロサンゼルスで結成された女性4人組のバンドで、

何度かバンド名を改名したり、

メンバー・チェンジして、1984年にメジャー・デビュー。

60年代のガールズ・グループは、職業作曲家の書いた曲を

プロの演奏家に合わせて歌うだけだったのに対し、

バングルスは自分達で曲を作り、楽器ももちろん自分達で演奏する、

”ロック・バンド”の形を取っていました。 

彼女達には、バンドでありながらも60年代の先輩達に通ずる楽曲の良さ、

ノスタルジー、そして存在のキュートさがあったからこそ、

ガールズ・グループの伝統をリスナーに思い出させたのでしょう。

彼女達の代表曲と言えば、全米1位の「エジプシャン」か、

同じく1位で結婚式の定番ソングともなっている名バラード

「胸いっぱいの愛」などもあります。

今日は1986年、彼女達の初ヒットとなった「マニック・マンデイ」をOA。

曲を書いたのは、なんとプリンス。しかもカバーではなく、

彼女達のファンだというプリンスが、

書き下ろしてプレゼントしたのだそうです♪

5月24日の名盤は

今日紹介したのはフライング・キッズの「幸せであるように」。

今年8月の「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」で何と9年ぶりに、

ほぼオリジナル・メンバーで再結成を果たすそうです!

彼らは平成元年に爆発的ブームとなったテレビ番組「いかすバンド天国」、

いわゆる「イカ天」で5週勝ち抜き、

初代グランド・イカ天キングとなってメジャーデビューしました。

もちろん実力派のフライングキッズ!

「イカ天が生んだ」とか「90年代の」とかではなく、

もう「23世紀まで歌い継ぎたい名曲」ではないでしょうか?

5月17日の名盤は

今日は「クロコダイル・ロック/エルトン・ジョン」をピックアップ。

ちょうど10年前、あのダイアナ妃追悼曲としてリリースされた

「キャンドル・イン・ザ・ウインド‘97」は全世界でなんと3,300万枚も売れ、

シングル売り上げではダントツの歴代1位の記録で、

これはもう二度と破れないとも言われています。

日本での彼のイメージは

「切々とバラードを歌い綴るピアノマン」という感じですが、

派手で激しいロック・ナンバーも、バラードとおなじくらい

イギリス、アメリカではたくさんヒットしているのです。

今日紹介した”クロコダイル・ロック”は、

1973年に全英5位、全米では1位の大ヒットとなったロックン・ロール・チューン。

バラード・シンガーとしてではない、

幅広い意味での世紀のエンターテイナーぶりがうかがえます。

5月10日(木)名盤 IN A DAY

ある世代には懐かしく、またある世代には新鮮に響く

名盤の数々をご紹介する「名盤 IN A DAY」

今日紹介したのは「キープ・オン・ラヴィン・ユー/REOスピードワゴン」。

1960年代の終わりに結成、1971年にレコード・デビュー。

年間300本近いライブを行い、

ライヴ・バンドとして一部の評価は得ていたものの、

初期のうちはごくローカルな人気にとどまっていました。

その間もメンバーはライブを地道に続け、

音楽への熱意を失うことなく、決してあきらめませんでした。

そして1980年末にリリースした曲が「キープ・オン・ラヴィング・ユー」。

ハード・ロックのダイナミズムを残しながらも、マイルドで

メランコリックな味わいのあるポップでドラマチックなバラードのこの曲は、

813月にはなんと全米No.1を獲得。

続くアルバムも1位となり、一躍スターダムへとのし上がったのでした。

デビューから10年。メンバーも皆30を過ぎての遅咲きのブレイク。

ちなみに中心メンバーの名前はケヴィン・クローニン。

まさしく「ロック界の苦労人」の諦めない心が生んだ名盤といえるでしょう。

売れないバンドを10年間見守り続けたレコード会社…。

23年ヒットがなければすぐリストラされる

今のシステムでは起こりえないサクセスストーリーですね。

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