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名盤 IN A DAY

9月20日(木)の名盤は

今日は「レッド・ツェッペリン」を紹介しました。

先週発表されたニュースで、生きているオリジナル・メンバー3人と、

1980年に亡くなったドラマーのジョン・ボーナムの代わりに

実の息子ジェイソンを加えて再結成、

11月に一夜限りの復活を果たすというものがありました。

ロックが生まれて50年、偉大なバンドを10組選ぶなら…

ディープ・パープルもクイーンもエアロスミスもキッスも入らないけど、

ビートルズとストーンズとツェッペリンは入る!程のバンドではないでしょうか?

今日は1976年リリースにリリースされた、

今から31年も前のものとは思えない、ロックの最高峰のひとつ

「アキレス最後の戦い」をお届けしました。

9月13日(木)の名盤は

今日は1980年代に、本国イギリスはもちろん、アメリカや日本でも

とても人気の高かったハワード・ジョーンズを紹介しました。

彼が登場した1982年から83年当時というのは、ニュー・ウェイヴ全盛期、

特にエレクトロニクスを多用したテクノ・ポップ、エレクトロ・ポップと呼ばれる

音楽が大人気で、そういったスタイルの音楽が得意なイギリス勢が市場を席巻、

アメリカのチャートでさえイギリス勢が上位を独占するという、

いわゆる「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」といわれた時期でした。

(ちなみに第1次はビートルズなどが活躍した1960年代中期)。

そんな中、1983年にデビューしたハワード・ジョーンズも

シンセサイザーを駆使して、ほとんどすべてのサウンドを、

たった一人で作り上げた、典型的なエレクトロ・ポップで、

いきなりヒットチャートの常連となりました。

ただこの人の場合はスタイルこそ典型的でしたが、音の作り方に関しては、

他のエレ・ポップ勢とは決定的に違うものがあったんです。

普通はシンセを使うと、ある種の無機質なクールさが前面に出てきて、

そこに近未来的なカッコよさが当時は感じられたのですが、

この人のシンセは人懐こい、ヒューマンな温かみが持ち味で、

これは当時としては、かなり衝撃的でした。

音に負けない楽曲の良さと、適切なアレンジ、

そしてセンスの良い、愛情を持った演奏があれば、

シンセでも充分に人間的な暖かさを表現することができるんですね。

はじめにエレクトロニクスありき、ではなく、おそらく10年早かったら

ピアノで弾き語るシンガー・ソングライターになっていたはずの人が、

たまたまシンセがあったから使った、というのが真相なのかもしれませんね。

9月6日(木)の名盤は

突然ですが「イギリスが生んだ三大ギタリスト」と言われたら、

皆さん3人の名前を挙げることができますか?

正解はエリック・クラプトン、そしてジェフ・ベック、最後にジミー・ペイジ。

今日は「ジェフ・ベック」を紹介しました。

実はこの3人とも、ヤードバーズというバンド出身で、

「三大ギタリスト」としてクラプトン、ベック、ペイジと順番が決まっているのは、

腕前の順ではなく、このヤードバーズのリード・ギタリストを務めた順番なのです。

このバンドを抜けた後、彼はジェフ・ベック・グループ、

そしてメンバーを全員チェンジした第2期ジェフ・ベック・グループ、

さらにロック史上最強のトリオと呼ばれたベック、ボガート&アピスと、

3つのバンドをすべてアルバム2枚だけ作っては解散させるほど、

気難しいというか頑固というか、天才肌の人と言えるのでしょう。

そして自分がバンドの一員には向いていないと自覚したのか、

ソロ活動に入ります。ここからが彼らしい頑固さですが、

歌を入れるのをやめてしまうんです。

“俺のギターに歌は要らない”とばかりにインスト路線に走ります。

クラプトンが今や味わい深いシンガーとして、

ペイジはツェッペリン時代から作曲&アレンジの名手として評価が上がり、

一言でギタリストと言えなくなった後も、

ベックだけはひたすら生涯一ギタリストである道を歩み続けています。

ジャズ/フュージョンぽいインストで、バックもその系統の一流ばかりの中、

それをブチ壊すベックのギターは圧倒的にロック。

他の二人に知名度と収入では圧倒的大差をつけられてしまっても、

ギター・キッズからは一番支持されているのではないでしょうか。

8月30日(木)の名盤は

「夏休み特別企画」!!

~「この曲はこの人のオリジナルと思われているけど、
本当はあの人の曲なんです」シリーズ~。<番外編!>

今日紹介したのは、

サイモン&ガーファンクルの大ヒットした「サウンド・オブ・サイレンス」。

この曲、正真正銘、彼らのオリジナルなのですが、

ヒットしたバージョンとは別に、実は原曲があるんです。

もともとこの曲は1964年発表のデビュー・アルバム「水曜の朝、午前3時」の

1曲として初めて世に出ました。

ここでは完全にアコースティック楽器のみのフォーク・スタイルでの演奏が

収録されています。ところがこのアルバムさっぱり売れず、

サイモンはイギリスへ渡り、ガーファンクルは大学へ戻りと

ほぼ解散状態になっていた時に、マジックが起きます。

1965年6月15日。この日、彼らのデビュー作のプロデューサー、

トム・ウィルソンは、ボブ・ディランの新曲を録音していました。

終了後、その場にいたディランのバンドに「もう1曲だけ付き合って欲しい」

と頼み、「サウンド・オブ・サイレンス」を聴かせて、

その場でエレキ・ギター、ベース、ドラムを上からかぶせてしまったんです。

そしてサイモンにもガーファンクルにも無断でシングル・カットされてしまった

ニュー・バージョンのこの曲が売れに売れ、翌年、1966年の1月、

ついに全米No.1となりました。

これが皆さんがよくご存知のバージョンという訳です。

イギリスでこの話を聞いたサイモンは烈火のごとく怒ったそうですが、

結果的に活動を再開、ポップス史上に輝く名グループ、

サイモン&ガーファンクルの快進撃が始まったのです。

そしてこの出来事は音楽史上最大の魔法として語り継がれています。

8月23日(木)の名盤は…

「夏休み特別企画」!!

~「この曲はこの人のオリジナルと思われているけど、
本当はあの人の曲なんです」シリーズ~。<最終回!>

今日は「愛のコリーダ」を紹介しました。

1981年、クインシー・ジョーンズのヒットで知られ、

今なおダンスクラシックとして人気の高いDJご用達のこの曲。

オリジナルはイギリスのパンク/ニューウェイブの雄、

イアン・デュリー&ザ・ブロックヘッズに在籍する白人マルチ・プレイヤー、

チャス・ジャンケルがソロとして、1980年にイギリスでヒットさせました。

作曲もチャス本人。

大島渚監督の例の映画に感動して、タイトルだけいただいたというこの曲、

クインシー版のヒット後、チャスのレコードもすぐに日本で発売されましたが、

まったく話題になりませんでした。クインシー版の圧勝でした…!

だけど、チャス本人にしてみれば、それはどうでもいいことなのかな?

ブロックヘッズというバンドはファンクやレゲエといった黒人音楽を、

白人ならではのぎこちなさで再構築するのではなく、

黒人と同じ土俵で競い合える唯一のイギリスバンドと評価されています。

「でも実際の黒人達は、俺らのことをどう思ってんのよ?」と思ったチャスは、

この曲をクインシーへ売り込みに行きます。

それが気に入られて、しかもチャスのアレンジをほぼそのままに、

黒人音楽界の頂点ともいえるクインシー・ジョーンズがカバーしたことで、

ある意味でチャスの勝ちだった。んでしょうか?

彼は、再びパンク/ニューウェイブの世界へ戻っていったのでした。 

8月16日(木)の名盤は…

「夏休み特別企画」!!

~「この曲はこの人のオリジナルと思われているけど、
本当はあの人の曲なんです」シリーズ~。

第2弾♪今週は「ベティ・デイヴィスの瞳」を紹介しました。

この曲は、1981年にキム・カーンズが歌って、5週連続、

そして1週陥落したものの、翌週からまた4週連続で全米1位のヒット、

その年の年間チャートで2位、そして80年代の10年間のチャートでも2位、

まさに1980年代を代表するウルトラ・メガ・ヒットを記録して、

今でもよくRADIOでON AIRされていますね!

このキム・カーンズの「ベティ・デイヴィスの瞳」が実はカバーなんです。

最初に歌ったのは、ジャッキー・デシャノンという人で、1975年のこと。

作曲したのもデシャノン。この事は当時のレコードにも書いてありましたが、

大きな話題にはなりませんでした。

普通、カバー曲が流行ると、原曲もラジオでかかったりするものですが、

全然ありませんでした。

なぜかというと、ジャッキー・デシャノンのこの曲が入ったアルバムは

ほとんど売れないまま、81年当時、すでに廃盤になっていたんです。

そして1995年に日本で世界初CD化されるまで「幻の名盤」として、

コレクターズ・アイテムとなっていて、世界中でもごくわずかなマニアしか

原曲を聴いたことがなかったからです。

彼女は60年代から多くのロックンロール、ポップスのヒットを作った

作曲家として、ポップスの歴史に残る偉人の一人です。

でもCD化されて初めてこの原曲に触れた方は、

キム・カーンズのバージョンとの違いに驚いたんじゃないでしょうか。

原曲の素晴らしさはもちろんですが、

これを聴いてよくあのアレンジが思い浮かんだものだと、

キム・カーンズ版のプロデューサーとアレンジャーの素晴らしさも伺えます。

8月9日(木)の名盤は…

「夏休み特別企画」!!

~「この曲はこの人のオリジナルと思われているけど、本当はあの人の曲なんです」シリーズ~。

1994年にマライア・キャリーが歌って、

全米3位のヒットとなった「ウィズアウト・ユー」。

さすがにこの曲、マライアがオリジナルと思っている方は少ないと思います。

CDの解説にも書いてありますし、当時、ラジオのDJも言っていました。

「1972年、ニルソンの全米No.1ヒットのカバー」である、と。

それは間違ってはいないんですが、実はニルソンもカバーなんです。

本当のオリジナルはイギリスのロック・バンド『バッドフィンガー』で、

1970年に発表したアルバム「ノー・ダイス」の中の1曲。

作曲したのもメンバーの2人、ピート・ハムと、トム・エヴァンス。

こちらはヒットするどころか、シングル・カットすらされていないので、

「ニルソンのNo.1ヒット」と言ったほうが説明しやすいのは分かりますが、

これは意地でも言っておきたいと思います。

バッドフィンガーというバンドは、ビートルズの弟分として、

アップル・レコードからデビュー。このため注目もされましたが、

逆に「小型ビートルズ」と言われ続ける不幸にも見舞われ、

さらにアップルのゴタゴタで、70年代後期から80年代を通して、

15年間ほど世界的に廃盤の憂き目にあい、

さらにマネージャーにだまされて、正当な報酬を手にすることができず、

絶望したメンバー2人、奇しくも「ウィズアウト・ユー」を作った

ピートとトムの2人が、相次いで自殺してしまうという

悲惨な末路をたどった不運のバンドです。

おそらくこの印税もまともに手にしていないでしょう…。

私達にできることは、正しい真実を心に刻んで、

末永くこの曲を愛することだけでしょうかね。

8月2日(木)の名盤は

今日は、1990年のナンバー、しかも初めてのHip Hopを紹介しました。

今日紹介したのは、陽気なパーティ・ラップを得意とする

「DJ.ジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンス」です。

このラッパーのフレッシュ・プリンスとは、

現在はハリウッドの大スターとなったウィル・スミス、その人です。

このグループは、政治性皆無で、ごく普通の若者の日常を

ダラダラとしゃべくることと、超有名な曲のおいしいフレーズをサンプリング、

いわゆる「大ネタ使い」と呼ばれる親しみやすいサウンドです。

中でも1991年の大ヒット曲「サマータイム」ですが、

これはクール&ザ・ギャングが1974年に発表した

ジャジーなインスト・ナンバー「サマー・マッドネス」をサンプリングというより、

そのままカラオケにして、若者なら男女を問わず誰でも考えるであろう、

夏休みの下心というか、ひと夏の経験への憧れと期待を綴った名曲です。

7月26日(木)の名盤は…

今日は「エイジア」を紹介しました。エイジアは、

元イエスのスティーヴ・ハウ、同じく元イエスのジェフリー・ダウンズ、

元キング・クリムゾンのジョーン・ウエットン、

元ELPのカール・パーマーという、70年代イギリスを代表する

プログレッシヴ・ロック界の猛者4人で結成された

80年代のスーパー・グループです。

このプログレッシヴ・ロック(略してプログレ)は、

クラシックやジャズなどの要素を取り入れた、非常に複雑な構成の

ドラマティックな大作主義のロックで、

これを80年代風に曲をコンパクトにまとめ、ドラマティックさはそのままに、

わかりやすくキャッチーなメロディで仕上げる、

というコンセプトで出発したのがエイジアでした。

その結果、70年代には考えられなかったシングル・ヒットを生み、

初めて世界的な一般大衆人気を獲得することとなったわけです。

中でも1982年のデビュー・シングル「ヒート・オブ・ザ・モーメント」は、

全米4位を記録する大ヒット・ナンバーです。

ちなみにこの曲の出だしとサビメロ、

バグルズの「ラジオ・スターの悲劇」という曲にそっくりなんです。

それもそのはず、この曲の作者、元イエスのジェフリー・ダウンズは、

その前はバグルズのメンバーで、

「ラジオスターの悲劇」の作者の一人でもあるのです。

この2つの曲、もちろん歌詞は全然違いますが、

構成的にはほぼ同じ曲と言い切ってもいいと思います。

同じ曲がアレンジを変えるだけで、まったく別物に仕上がってしまう。

ある意味、音楽のマジックと言えそうですね。

7月19日(木)の名盤は…

今日は爽やかな女性ボーカル「シーナ・イーストン」の

”9to5(モーニング・トレイン)を紹介しました。

最近では深夜のテレビショッピング番組の司会として、

目にする機会も多い彼女ですが、

彼女は1980年代に世界的にすごく人気の高かったシンガーです。

出身はイギリス。スコットランドはグラスゴー近郊で、

学生時代からバンド活動し、歌手を目指していたところ、

1979年、20歳の時にBBCEMIが企画したポップスターを目指す

新人歌手を追うドキュメンタリー番組のオーディションに合格。

シングル「モダン・ガール」で翌年80年にデビューしましたが、

まだ番組放送前だったため、全英56位にとどまりました。

2ndシングル「9to5」は番組放送に合わせてリリースされ、

あっという間に全英3位の大ヒットとなり、一躍トップ・スターになります。

日本やアメリカでは翌年の1981年に紹介され、最初から大ヒット。

アメリカではちょうど同じ頃ドリー・パートンの「9to5」という曲が

ヒットしていたので、9to5(モーニング・トレイン)」とタイトルを改め、

見事全米1位に輝いています。

短い髪に大きな瞳が印象的なルックスの良さももちろんですが、

確かな歌唱力と声の良さ、ポップスの伝統を感じさせる楽曲の良さで、

80年代を通して長く愛されたシンガーです。

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