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名盤 IN A DAY

4月17日(木)の名盤は…

今日はヒューマン・リーグの「愛の残り火」を紹介しました。

1977年、イギリスの工業都市シェフィールドで、2人のコンピュータ技師が、

楽器を触ったこともないのにバンドを結成しました。

自慢のコンピュータで実験してみたかったんですね。

そこで学生時代の友人でルックスの良いフィル・オーキーに

ヴォーカルを頼みます。彼も音楽は素人でしたが、定職を捨てて参加。

さらにステージ上での見栄えの為に、もう1人やはり素人同然の男を加え、

4人組でスタートしたのがヒューマン・リーグです。

素人ならではの斬新なアイデアとコンピュータの実験的サウンドが話題となり、

1979年にデビュー。それほど売れませんでしたが、マニアには高く評価され、

今後が期待された矢先に、

最初の2人が「バンド名は君たちにやるよ。俺たちはもっと実験的なことがしたい。」と、

あっさり辞めてしまいます。

音楽は素人とはいえ、この2人はプログラミングのプロ。

残ったのは本当の素人の2人です。

でも、ツアー契約が残っていて、キャンセルすれば莫大な違約金が発生するので、

解散する訳にはいきません。

困った2人はプロの演奏家を2人、

そしてディスコでナンパした素人の女子高生を2人、

強引にメンバーに引き込み、なんとか契約を消化しました。

ところがこれが好評で、この6人で新しくレコーディングの話が決まり、

制作されたのが「愛の残り火」です。

初期ヒューマン・リーグの実験性は微塵もない、

まったく別モノの下世話なディスコ・ポップのこの曲が世界的に大ヒット。

フィル・オーキーは音楽的素人のまま、しかも自分の意志とは無関係に

ポップ・スターに成り上がってしまったのでした。

この後、彼は芸能界の浮き沈みを身をもって体験、

最後は素人の限界を思い知らされたようにフェード・アウトしていきました。

果たして、彼の人生は幸せだったのでしょうか…?

4月10日(木)の名盤は…

2008年初め、サンプラザ中野が“サンプラザ中野くん“に改名したと、

小さなニュースがありました。

去年は千葉真一が“JJサニー千葉”に改名するという話が、

これまた小さく取り上げられました。

“大人の遊び”とでもいうような洒落っ気が感じられますが、

一般的に改名する場合というのは、芸風を大きく変える時か、

「生まれ変わった気になって、一からやり直そう」という時などでしょうか。

さて、アメリカにジョン・メレンキャンプという、

非常に優れたロックン・ローラーがいますが、

この人の場合、なんだかよく分からないんです。

1976年のデビュー以来、

ジョニー・クーガー⇒ジョン・クーガー⇒ジョン・クーガー・メレンキャンプ⇒

ジョン・メレンキャンプと、現在の名前(=本名)まで3回名前を変えました。

音楽はまったく変わっていません。

じゃあ、売れなかったのかと言えば、とんでもない。

2番目のジョン・クーガー時代にすでに全米No.1を獲っているんです。

思うにこの人、クーガーという猛獣のニックネームが

嫌で嫌でたまらなかったんではないでしょうか?

だけどジョニー・クーガーがいきなりジョン・メレンキャンプになったら、

ファンが同一人物だと気づかないかもしれない。

それにクーガーという名前は嫌いだけど、

せっかくつけてくれた恩師に義理を欠くわけにもいかない。

よし、5ヵ年計画で少しずつ本名に近づけていこう・・・

なんて考えたのかどうかはまったく分かりませんが、

彼のひたむきで誠実で、義理人情の温かみを感じさせつつも

強い意志を持ったロックン・ロールを聴くと、

まったくのデタラメではないような気がしませんか?

4月3日(木)の名盤は…

4月2日は、

偉大なソウル・シンガーであり、作曲家でプロデューサーでもあった

マーヴィン・ゲイの誕生日でした。そしておとといの4月1日は、

彼が実の父親に射殺されるという

ショッキングな形で天に召された命日でもありました。

ということで、今日は、彼を追悼した、ある名曲をもって紹介します。

歌っているのはメイズというグループで、

彼らはマーヴィン・ゲイのプッシュにより世に出てきた、

いわば弟分にあたるグループで、シンガーでソングライターでもある

リーダー、フランキー・ビヴァリーは古き良き時代のソウルを感じさせる、

素晴らしい歌手です。

彼らがマーヴィンの死から5年を経た1989年にリリースした

「シルキー・ソウル」で、こう歌っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『絹のようになめらかなソウル・シンガーを知っている。

彼が僕らをどんなに感動させたか忘れない。

あの特別な男のことを覚えているか。

彼がどんなに多くのことを成し遂げたか。

僕には今も彼の甘い歌声が聴こえる。

絹のようになめらかなソウル・シンガー。

歌だけでなく、ダンスもスタイルも絹のような男。

でも最も素晴らしかったのは、内側にあったもの。

それは黄金のように無垢な心。その魔法は今も行き続け、

これからも決して古くならないと僕は信じている。』

途中でマーヴィンの代表曲のフレーズを挿入しながら、

見事に綴った名曲です。

「silky silky soul singer」という歌詞が「好き好きソウル・シンガー」と聴こえる

空耳ソングとしても日本では人気があります。

これを聴いて、何かが心に引っかかった人は、

廉価盤CDがいろいろ出ていますので、

マーヴィン・ゲイ本人を聴いてみてほしいと思います。

3月27日(木)の名盤は…

今日はシンプル・マインズの「ウォーターフロント」を紹介しました。

1980年代の音楽と言えば、皆さんどういったイメージを思い浮かべますか?

もちろん例外はありますが、一般的に言うと、独特のキラキラ感があって、

派手なサウンドが特徴だったと思います。

時代がバブリーで、そういった音を求めていたことや、

デジタル技術の台頭が要因と言われている訳ですが、

そんな派手な音を形成する典型が、シンセサイザーと、

個性的なドラムの音ではないでしょうか。

1980年、イギリスのスティーヴ・リリィホワイト、そしてヒュー・パジャムという、

どちらもプロデューサーであり、エンジニアでもある2人が、

世界中に革命を起こす発明をしました。

普通、ドラムの音は「ドッ・ドッ・タン、ドッ・ドッ・タン」と鳴るとします。

この「タン」にエコーをかけると、「ドッ・ドッ・ターン」となります。

ここまでは以前からありました。

彼ら2人はこの「ターン」の残響が自然に消えてしまう前に、

ノイズ・ゲートという機材でバッサリ切ったのです。

これによって「ドッ・ドッ・ター、ドッ・ドッ・ター」という、

それまで誰も聴いたことがなかったドラム・サウンドが誕生しました。

これをゲート・エコーと呼びます。

これを耳にした世界中のミュージシャンから2人に仕事のオファーが殺到、

一躍売れっ子のプロデューサーとなりました。

そうなると、他のエンジニアやスタジオも徹底的にゲート・エコーを研究し、

マネし始めるのは当然。猫も杓子もゲート・エコー。もうブームなんてものでなく、

80年代のドラム・サウンドを支配してしまいました。

冗談ではなく、この時代のヒット曲は、

ほとんどゲート・エコーが使われていますが、

90年代には飽きられ、その反動でナチュラルなドラムの音が流行しました。

「80年代の音楽が好きだなー」という人の多くは、

このゲート・エコーの音が好きなのかもしれませんね。

今日はその発明者に敬意を表して、

スティーヴ・リリィホワイトが手がけたシンプル・マインズ、

1983年のヒット曲「ウォーターフロント」をお届けしました。

3月20日(木)の名盤は…

突然ですが、実は僕、バンドを結成しました。

バンド名は“熊本”です・・・

なーんて言ったら、皆さんちょっと、いや、かなり引きますよね?

欧米にはシカゴ、カンサス、アメリカといった名前を臆面もなくつけちゃった

バンドが結構あるんです。

どういう気持ちでつけたのか、聞いてみたいですね~。

今日はそんなバンドの一つ、ボストンを紹介しました。

名前もすごいですけど、中身はもっと凄いんです、このバンド。

まず、バンドと言ってもバンドじゃないんです。

超名門マサチューセッツ工科大学卒のトム・シュルツという男性、

実質的には彼一人のバンドです。

メンバーはライブのために集められた人達で、

ほとんどはトムが全部レコーディングしています。

さらにこのトム、自分のギターは自分で作ります。

さらに自分のブランドで販売もやっています。

「これ1台でボストンと同じ分厚いギターの音が出せます」という

エフェクターを販売、相当儲かっているようです。

他にも本当かどうか、“絶対にチューニングの狂わないギター”や、

“留守中の植物への水やり機”などの特許を取っているらしいです。

そんな超理系人間ですが、コンピューターは大嫌いで、

現在もなお作品には一切使用していないのも凄い。

さらにさらに凄いのは、1976年のデビュー作から2ndまでは2年でしたが、

3rdは8年後の1986年、また8年後の1994年に4作目、

そして2002年に5作目がまた8年ぶりに発売と、

8年に一度しか働かないんです。32年の活動で5枚しか出していないんです。

次は2010年に出るんだか出ないんだか。

でも本当の本当に一番凄いのは、32年間音楽性がまったく、

1ミリも変わってないことです。

「ボストンってどんなバンド?」と聞かれたら、

この1976年のデビュー曲を聴かせればいいです。

「今もまったく同じだよ」と。

3月13日(木)の名盤は…

今日取り上げたのは元ちとせの「ワダツミの木」です。

この曲をはじめ、多くの元ちとせのヒット曲の作詞・作曲・編曲を

手がけたプロデューサーで、元レピッシュの上田現が、

3月9日、肺がんの為、47歳の若さで亡くなりました。

かなり大きく報じられたので、それだけビッグになっていたんだなーと

改めて感じた方も多かったかもしれません。

また、昔からのファンの人にとっては、もしかしたら今回の扱いに

どこか違和感を持ったという人もいらっしゃるのではないでしょうか。

その感覚を例えるなら、強いて言えば、今から20年ほど前になりますが、

漫画家の手塚治虫氏が亡くなった時に感じたものに近いかもしれません。

あの時の報道でも、故人の代表作として挙がったのは「鉄腕アトム」や、

「ジャングル大帝」といった子ども向けのものばかりだったように思います。

「きりひと讃歌」や「MW(ムウ)」などの、

人間の魂の暗闇の部分を描いた作品には触れず、

“日本から夢と勇気が消えた”なんていうコピーで訃報を伝える姿勢に、

疑問を感じたファンも少なくなかったのではないでしょうか。

手塚治虫の作品を読めば読むほど、

彼は愛、夢、希望、勇気といったものを一番疑っていた、

だからこそ大切にした表現者だったんじゃないかと思うんです。

そして、上田現もレピッシュ時代からソロまで一貫して、

殺伐とした人間の暗闇の部分を鋭くえぐり続けた表現者だったんです。

例えば、“恋人に早く会いたいから、車で人をはねたけど逃げた男“や、

“誘拐犯にそのまま育てられた子ども”とか“妻に逃げられ、子どもを手放し、

30歳の誕生日に自分の家に火をつけた男“のことなど。

上田現の作る歌はそんな歌ばかりだったんですね。

しかも最後に希望を匂わせることもなく、何も解決をつけずに、

まるで救いがないまま放り出して、聴き手に問いかけてくるんです。

そんな彼が、人間をドス黒い裏側から掘り続けて、掘り続けて、

こちら側に突き抜けた愛の歌が、

元ちとせの一連の作品ではないでしょうか。

「ワダツミの木」が限りなく美しいのは、彼女の歌の力はもちろんですが、

上田現が人間を掘り続けた、その道のりが美しいのかもしれませんね。

3月6日の名盤は…

今日は「ブロンディ」を紹介しました。

1974年にニューヨークで結成され、最初はパンク・バンドでしたが、

徐々に音楽性の幅を広げ、紅一点のボーカリスト、デボラ・ハリーの

セクシーな魅力を最大限に活かしたヒット曲をたくさん生み出しました。

1998年に15年ぶりに活動を再開し、現在も活動中です。

ホントに多くの名曲があるのですが、今回は1980年の大ヒット、

「ラプチュア」をご紹介しましょう。

ブロンディの代表曲の中でも、少し毛色の違うこのナンバー、

実は世界の音楽の歴史を変えた、最重要曲のひとつなのです。

あまり大きく語られないのが不思議でならないのですが、

これは白人ロック・ミュージシャンによる、世界初のラップ・ミュージックなんです。

まったくの偶然で、ほとんど同時期にイギリスでは、

クラッシュが「七人の偉人」という全編ラップの曲を発表しており、

この2曲が同時に世界初の称賛を受けるべきですが、

世界的なヒットの規模からすると、ブロンディの功績が

はるかに大きいのは間違いないでしょう。

ニューヨーク、ハーレムの黒人たちがラップ・ミュージックを発明したのが、

1970年後半と言われています。

そしてラップが初めてレコード化されたのが、

1979年、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズディライト」。

ここからわずか1年でブロンディとクラッシュはラップを取り入れているのですから、

その早さには驚かされます。

当時の黒人ラップはアンダーグラウンドなもので、

ごく一部のマニアにしか聴かれておらず、

当然ながらラジオなんかでもON AIRされるはずもありませんでした。

そういったことを考えると、当時、世界中の音楽ファンのほとんどは、

この曲でラップ初体験だったと言っても過言ではないでしょう。

今日は、「白人初のラップ」どころか、「世界初のラップ・ヒット」、

「ラプチュア」を紹介しました。

2月28日(木)の名盤は…

今日紹介したのは「10cc」です。10ccと言えば、これはもう何と言っても

“ロックの歴史の中で最も美しいナンバーのひとつ”と称される、

不朽の名曲、1975年の世界的大ヒット「アイム・ノット・イン・ラヴ」が有名ですが、

この曲のイメージだけで彼らの全体像を捕えようとすると大間違いです。

もっと幅広い音楽性と批評性を持ったユニークな、

いや、はっきり言って変態的なバンドなんです。

1970年にイギリスで結成された4人組で、1972年にデビュー。

この曲からして、ビートルズの名曲「オー・ダーリン」を

徹底的に茶化したパロディでした。

その後も、とても美しいメロディのポップ・チューンかと思えば、

途中からいきなりオペラのような歌い方になったり、

キレイな曲調に似合わない、妙な音色の演奏が絡んだりと、

変な曲ばかり発表します。

ファンにとっては、そんな変態っぷりがたまらないのですが、

これには理由がありました。

4人のメンバーのうち、2人はポップ職人とも言える優れた作曲家で、

残る2人はユーモアとか毒気担当と言えるぶっ飛んだ人たち。

この正反対の特徴を持つ2組が緊張感を保ちながら同居していたのです。

そのせめぎあいの中で化学変化が起こり、

何とも言えぬ魅力が曲の中に宿った訳です。

まさしくバンド・マジックの神秘と言えます。

「アイム・ノット・イン・ラヴ」もよく聴くと構成や音の仕掛けはかなり変ですし、

美しいコーラスも狂気と紙一重なのが感じられます。

しかし、そんな危うい緊張関係が長く続くはずもなく、

1976年にポップ職人組とぶっ飛び組の2派に分裂。

どちらももう二度とマジックを生み出すことができぬまま失速してしまいます。

バンドには解散してしまわない程度の

対立関係があったほうがいいのかもしれませんね。

2月21日(木)の名盤は…

今日は大ヒット・ライヴ・アルバム「チープ・トリックat武道館」の

発売30周年記念として、この4月に同じ日本武道館で、

30年前とまったく同じセット・リストでライヴを行うと発表した、

チープ・トリックの、しかも日本が生んだライヴ名盤をご紹介しましょう。

彼らは1977年にデビューしますが、

最初の2枚のアルバムは本国アメリカでも、イギリスでも

さっぱり売れませんでした。

ところが世界中で唯一、日本だけでとても人気が出たのです。

“金髪の王子”、“黒髪のイケメン”、そしてこう言っては何ですが、

まぁ、“ただのおっさん”、と“ちょっとアブない人”という

4人のキャラが立っていたことと、ビートルズをルーツとする音楽性が、

日本人の好みに合ったのでしょう。

1978年4月に3rdアルバム発売ツアーで初来日を果たした彼らは、

想像を絶する日本のファンの熱烈な歓迎ぶりに驚き、感激し、

武道館公演を録音して日本だけで限定発売しました。

これが「チープ・トリックat武道館」です。

さて、ツアーを終え、帰国した彼らを待っていたのは、

3rdアルバムもアメリカではたいして売れなかったという現実でした。

けれども、ここで奇跡が起きます。ラジオのDJたちが、どこで手に入れたのか、

武道館音源をON AIRし始めたのです。これにリスナーが反応。

日本からの逆輸入盤が、通常の2倍以上の値段にも関わらず、

飛ぶように売れ出します。

翌年1979年2月には正式にアメリカ盤も発売され、

最終的に300万枚のビッグ・ヒットとなったのです。

これを機に、過去の作品も火がつき、彼らはトップ・バンドに成り上がりました。

例えばクイーンも日本で最初に売れたわけですが、

チープ・トリックのように日本人が本国のファンにその良さを教え、

日本のファンと共に成長したバンドは他にありません。

「at武道館」というアルバムを日本のロック・ファンは誇りに思ってもいいでしょう。

2月14日(木)の名盤は…

今日はELOことエレクトリック・ライト・オーケストラを紹介しました。

1971年にイギリスで結成されたELOは、

その名の通りチェロ2本とヴァイオリンの3名の弦楽奏者をメンバーに加えた

“世界で最小のオーケストラ”と呼ばれたロック・バンド゙です。

最初のうちはシンフォニックでプログレッシヴな大作志向でしたが、

2代目リーダー、ジェフ・リンのポップな音楽性が

どんどん前面に押し出されるようになって、

本国イギリスはもちろん、アメリカや日本でもヒットを連発します。

このジェフ・リンという人、60年代ポップスや、

何と言ってもビートルズの影響が大きいなんていうものではなく、

“研究家”と言っても過言ではないほど。

その情熱を本家にも認められて、ジョージ・ハリスンのアルバムや、

“ビートルズ25年ぶりの新曲”と話題になった

「フリー・アズ・ア・バード」のプロデュースを任せられています。

今日紹介した”ホレスの日記”は、彼らがセールス的に絶頂期だった

1979年の全英トップ10ヒットです。グズで冴えないモテない男が、

一目惚れした女の子に、ありったけの勇気を振りしぼって告白し、

想いが叶うというハッピーなラヴ・ソングです。

現実には歌のようにうまくいくとは限りませんが、

うまくいかせるためには勇気が必要なのは確かです。

この歌では彼がウジウジしている時、こんな天の声が聞こえてきます。

「恐がらないで、ドアをノックしてごらん。これは君の人生なのです。

さあ、自分の力で、しっかり大地を踏みしめて。

そうすれば必ず素晴らしい人生が待っています。

君にならできる。さあ、がんばって。」

今日はValentine's Day…♪

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