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名盤 IN A DAY

9月4日(木)の名盤は…

今日は、1960年代末から70年代にかけて数多くのヒットを生み、

日本でもとても高い人気を誇ったスリー・ドッグ・ナイトを紹介しました

このグループ、実は他に類を見ないほどユニークなんです。

まず、バンド4人にヴォーカル3人の7人編成。

コーラスでハモるための3人ではなく、リード歌手が3人いて、

それぞれスタイルが違うんです。ということは7人組の1つのバンドではなく、

歌手の異なる5人組のバンドが3つあるのと同じと考えられます。

これによって激しいロックンロールから甘く美しいソフト・ロック、

さらにソウル/R&B調まで、幅広い楽曲を無理なく自然に

演奏することができたのです。

さらにユニークなのは、その幅広さとも関係が深いのですが、

ビートルズ以降、ロック・バンドは自作自演が当然、

それでこそロックという風潮が支配する中で、

彼らは自分達で曲を書かなかったんです。

もちろん、職業作家に発注して書き下ろしてもらう、

なんてアイドル歌手みたいなことはしません。

じゃあどうしたかというと、他人の曲をカバーしたのです。

「なーんだ、それじゃ、安直な企画バンドじゃん」と思わないで下さい。

ヒット曲は1曲もカバーしていません。

ヒットはしなかったものの隠れた名曲、まだ新人で無名で実績もない

優れたミュージシャンの楽曲などを掘り起こしたり、

青田買いしたりして、自分達の個性に合わせて息吹きを与え、

ヒットさせるのが彼らの喜びだったのです。ニルソン、ランディ・ニューマン、

ポール・ウィリアムスなどなど、彼らが取り上げたおかげで有名になり、

オリジナルもヒットするようになった例が山ほどあります。

無名の優れた楽曲を集めてくる選曲の確かさと、

それを自分のものにするアレンジ能力の秀逸さ。

これこそがスリー・ドッグ・ナイトのユニークな個性と言えるでしょう。

これって、今のクラブDJにとても近いと思いませんか?

8月28日(木)の名盤は…

来週からは新学期も始まります。夏が暑ければ暑かったほど、

楽しければ楽しかったほど、なーんか物悲しさを感じる時期ですが、

そんな夏休み最後のこのコーナーでご紹介するのは、

クリス・レインボーという人です。クリス・レアではありません。

このクリス・レインボーは、1975年から79年の間に

3枚のアルバムを発表していますが、ほとんど売れていません。

ヒット曲もありません。

日本では1993年にCD化されるまではレコードが出ていませんでした。

ただ、アラン・パーソンズ・プロジェクトでリード歌手を務めているため、

知らないうちに声を聴いたことがある人は多いかもしれませんね。

スコットランド出身ながら、ビーチ・ボーイズ・フリークで、

3枚のソロ作ではその影響を“一人多重コーラス”で再現しています。

本家のビーチ・ボーイズと言えば夏の代名詞ですが、

真夏の楽しさとともに夏の終わりの寂しさもたくさん楽曲にしています。

その部分を特に拡大解釈して、

イギリスならではの湿り気をさらに加えたのが、

このクリス・レインボーと言えるかもしれません。

今でこそ再評価され、フォロワーも多数存在する

ビーチ・ボーイズのこの側面ですが、70年代半ばは、

一番人気が低迷した時期。そんな時にこれをやっていたので、

売れなかったのも当然なのでしょうが、

見方を変えれば15年早過ぎたとも言えます。

今日お送りしたのは、「イズ・ザ・サマー・リアリー・オーヴァー」という

曲ですが、終わりゆく夏のせつなさが溢れた名盤です。

8月21日(木)の名盤は…

この世で最もたくさんカバー、リメイクされているのは、

ビートルズじゃないかと思うんですが、

さらに最もパロディの対象とされているのもビートルズでしょう。

ビートルズ・パロディの最高峰としては 「ラトルズ」というバンドが有名ですが、

まぁ、そんなパロディと呼べるほどの批評性はなく、

ただビートルズで遊びましたという感じで、

世界的に一番ヒットしたと思われる「スターズ・オン」を紹介しました。

オランダの有名プロデューサーが、ある日ふっと

「ビートルズの有名な曲をメドレーでつないでみたら面白いかも」と

思いついたんです。それから、いろいろな曲のテンポを合わせて、

それが不自然にならないように全体を一定のディスコ・ビートに乗せて、

ハンド・クラッピングをかぶせる。

・・・と、口で言うとこれだけの、だれでも考えそうな、安直な曲なんです。

実際、これと似たような企画は、

この数年前にフランスのカフェ・クリームというグループが

すでにやっていました。

恐らくここからヒントを得たんじゃないかと思いますが、

オランダのスターズ・オンの方が凄かったのは、その完成度の高さです。

まず、曲のつなぎの見事さ。必ずしも大ヒット曲、有名曲にこだわらず、

つなぎ重視の選曲が絶品です。

そして国内を代表する腕利きのスタジオミュージシャンを集めた

演奏コピーの忠実度の高さ。

さらに歌手にそっくりさんを持ってきたというアイデアが素晴らしかったんですね。

特にジョン・レノンの声は凄く似ています!

安直な企画でも、細部を煮詰めると名作になるという見本のようなものです。

当然のようにオランダはもちろん、全米でも1位、世界中で大ヒットとなりました。

この後を追うようにアバ、ローリング・ストーンズなど、

ジャズやクラシックまでメドレー・ブームが巻き起こりましたが、

ここまで完成度の高いものは出来るはずもなく、

あっという間にブームは終わりました。

今日お届けしたのは、1981年の曲「ショッキング・ビートルズ」でした。

8月14日(木)の名盤は…

今日はカトリーナ&ザ・ウェイヴスを紹介しました。

1985年の大ヒット曲、「ウォーキング・オン・サンシャイン」で有名なこのバンド、

ヴォーカルで紅一点のカトリーナがカンザス出身のアメリカ人、

ベーシストが沖縄生まれのアメリカ人、ギタリストとドラマーがイギリス人という、

アメリカ、イギリス混成の4人組です。

1981年に結成、4年間地道に活動を続け、初めてのヒットとなったのが、

この「ウォーキング・オン・サンシャイン」です。

「ドッ・ドッ・ドー、ドッ・ドッ・ドドー」という、

いわゆるモータウン・ビートと呼ばれるリズムを使用した

明るく爽やかなロックンロールのこの曲。

もうこのリズムだけで決まり、という感じで、名曲であることが

約束されているようなものです。

誰もがウキウキする、誰もが思わず腰でリズムを

とってしまうこのビートを使った曲には、名曲、ヒット曲が多いわけですが、

じゃあ、みんな使えばいいじゃん、というわけにもいきません。

しっかりしたメロディを乗せなければ、

楽曲がリズムに負けてしまうのです。

しかも、それほど有名かつ偉大なリズムですから、

下手に使うとリスナーに反発される恐れがあるんですね。

単なるヒット狙い、ウケ狙いの軽い気持ちでパクったヤツというのは、

何となく分かっちゃいますよね。

だからこそこのリズムを使うのは勇気がいるし、

名曲でなければ恥ずかしくて使えないというわけです。

その点、この曲はイントロのドラムの連打、それにうまく絡む

ホーン・セクション、ぴったりの歌詞、なによりカトリーナの歌唱力と、

偉大なリズムに負けない魅力を持った素晴らしいナンバーです。

なお、彼らはこの後ヒットが出ず、一発屋と呼ばれていましたが、

12年後の1997年、「ラヴ・シャイン・ア・ライト」という、

この曲をも超える大ヒットを生み出し、

一発屋というありがたくない看板を見事返上。

しかもこの間に一人もメンバーが変わっていませんでした。

信じるものがあったんでしょうね。

8月7日(木)の名盤は…

今週は、ある意味80年代を代表するポップ・スターといっても

過言ではないグループ、「ワム!」を紹介しました。

ワム!と言えば、80年代から90年代に世界を代表する

アーティストとなったジョージ・マイケルと、

今はどうしているのでしょうか?アンドリュー・リッジリーの2人でデビューした

イギリスのデュオ・ユニットです。

リアル・タイムで体験した人は思い出してほしいのですが、

最初は完全にアイドル扱いでした。

多分、あの時点でジョージが後にあんな大物になると想像した人は

ほとんどいなかったんじゃないかと思いますが・・・。

それどころか、ルックスのいいアンドリューのほうが人気があって、

プロモーション・ビデオを見てもただ歌っているだけのジョージより、

ギターを弾いているアンドリューの方が、

アーティスティックな感じさえしたのです。

もちろん歌はうまかったですし、

ほぼ全曲の作曲とプロデュースもジョージ本人と

クレジットはしてありましたから、

そこで素直にジョージの才能に気づくべきだったのでしょうが、

当時は通の音楽ファンほど

「絶対に黒幕(ゴーストライターとかプロデューサーとか)がいるはずだ」と

思っていたようです。

それくらいまったくの新人の、まだ若いイギリス人が作ったとは思えない、

ブラック・フィーリング溢れる楽曲と歌唱力だったのです。

「アイドルにこんな才能ある訳ない」と半信半疑だったマニアたちも、

2ndアルバムの頃には、「ひょっとしたら本物かも?」と冷や汗を流し、

3作目、そして解散後のジョージのソロとなる頃には、

「恐れいりました」と脱帽するしかありませんでした。

最初っから黒幕なんていなかったんですね。

25年経った今聴いてもまったく色あせないエヴァーグリーンなポップス。

90年代後半からは私生活で問題を起こして逮捕されるなど、

ゴシップが目立っていますが、そんなことがなければ、

音楽シーンにおける彼の存在は今頃どうなっていたことか・・・。

つい先日、テレビ番組「アメリカン・アイドル」のゲストとして

出演していたそうですが、才能は本物なのですから、

これからまた音楽の道で頑張って、作品を届けてほしいですね。

7月31日(木)の名盤は…

今週はニュー・オリンズ・ソウルを代表するグループ、

ネヴィル・ブラザーズを紹介しました。

一番古くは1950年代からホーケッツ、60年代にはミーターズ、

あるいはソロ歌手としてそれぞれ活動していた、

アート、チャールズ、アーロン、シリルのネヴィル4兄弟が、

1977年に集まって結成したのがこのネヴィル・ブラザーズです。

兄弟で組んでからも30年以上になる大御所です。

彼らの魅力といえば、アーロンのヨーデルを彷彿させる

甘い独特な美声を生かしたスウィートなバラードと、

もうひとつはなんといっても”セカンド・ライン・ビート”と呼ばれる

強力なリズムのファンク・サウンドでしょう。

ジャズ発祥の地、ニュー・オリンズの伝統ともいえるこの

”セカンド・ライン・ビート”は、この地ならではの文化から生まれています。

ニュー・オリンズではお葬式の時、

墓地まで音楽隊を伴ってパレードを行います。

まずは遺族と関係者だけで重々しい曲を演奏しながら棺を運びます。

これがファースト・ライン。

その後ろから近所の人や全く関係のない人や

たまたま通りがかった人までもが参加して、

対称的に賑やかで派手な曲を演奏しながら、踊り、鳴り物をならしながら

パレードを盛り上げるのです。これがセカンド・ライン。

ファースト・ラインが個人を悼むためのもので、

セカンド・ラインは魂が解放されて天国へ行くことを祝う

意味があると言われています。

このセカンド・ラインの明るく楽しく、そしてシンコペイションの効いた

協力なリズムを、R&B/ファンクと融合させたのが、

セカンドライン・ファンクです。

ニュー・オリンズの人たちにとっては生まれた時から親しんでいる、

生活に密着した生命力に溢れる協力なグルーヴ。

それを洗練させて商業音楽として成立させた第一人者が

ネヴィル・ブラザーズです。

7月24日(木)の名盤は…

今週は別に夏の歌ではないにも関わらず、

強烈に夏を連想させる曲をご紹介しましょう。

ジグソーの「スカイ・ハイ」です。

なぜこの曲は夏をイメージさせるのか、

タイトルの「スカイ・ハイ」=「どこまでも高く青い空」だからかというと、

恐らくそうでもないんですね。その辺を今日は解明してみたいと思います。

まずジグソーは1966年にサックス2人を含む

6人組で結成されたイギリスのグループです。

デビュー以来、今ひとつパッとしなかった彼らに、

1975年、チャンスが訪れます。なぜか香港/オーストラリア合作の

カンフー映画のテーマ曲の依頼が来たのです。

これに提供したのが、この「スカイ・ハイ」で、見事全米3位、

全英9位の大ヒットを記録、一躍世界的人気を獲得しました。

日本でも当然ヒットしましたが、2年後にとんでもない大事件が起こります。

“千の顔を持つ男”として大人気の覆面レスラー、

ミル・マスカラスの入場テーマに使用され、

オリコン2位の爆発的ブームとなったのです。

さらに80年代にはテレビの「鳥人間コンテスト」のテーマ曲として有名になり、

21世紀になると、巨人軍・二岡のテーマとしても有名になりました。

ミル・マスカラスは子どもたちの夏休みに合わせて毎年来日していましたし、

「鳥人間」の放送も夏休み。野球のナイターも夏、ということで、

この曲は日本の夏の風物詩と言っても過言ではない存在になっています。

30年以上にわたって、何かにつけ耳にする、

日本の洋楽を代表する大ヒット曲ですね。

さて、実はこの曲、御存知の方も多いでしょうが、

冒頭の歌で「Blown blown blown・・・」と

エコーがかかっているのと、かかっていない2つのバージョンがあります。

シングル版は全てエコーがかかっていますが、

サントラ版はかかっていないんですよ!

7月17日(木)の名盤は…

先週は黒人差別が根強く残っているアメリカ南部、

特にアラバマ州と州知事のウォーレスを批判したニール・ヤングの

「サザン・マン」を紹介しました。

当然ながら、南部の人々は怒り、反撃しました。

そして“歌には歌で”と、アンサーソングを返したバンドが登場します。

レーナード・スキナードです。この7人組、実はアラバマ出身ではなく、

フロリダのバンドなのですが、アラバマのマッスルショールズ・スタジオを

本拠地としており、アラバマを悪く言われたことにガマンが

ならなかったのでしょう。

彼らが1974年にリリースし、大ヒットした「スウィート・ホーム・アラバマ」は、

こんな内容です。

~ああ、Mr.ヤングがアラバマについて歌うのは聴いたよ。
うん、あのおじさんはアラバマを叩いていたな。                                              ニール・ヤングには覚えておいてほしいね。
サザンマンにとっては、あんたなんか知ったこっちゃないって。~

理性的に諭そうとしたニール・ヤングに対して、こちらは名指しで感情的。

しかもこの後に、

~みんな州知事を愛している。最善を尽くしたんだ。                                      楽しい我が家アラバマ。どこまでも青い空~

なんていう歌詞が続くわけですから、能天気と言われても

仕方がないかもしれません。

でも彼らは人種差別を否定も肯定もしている訳ではありません。

彼らの本拠地マッスルショールズ・スタジオは、

古くからソウル音楽の名作をたくさん生み出した名門で、

そこでは白人も黒人も同じように活動していました。

そんな良い環境のスタジオ内しか見ていない

フロリダ人の彼らにしてみれば、ニール・ヤングの批判は

ピンとこなかったのかもしれませんね。

ところで“人種差別は永遠だ”と宣言したアラバマ州のウォーレス知事、

先週お話したように、1970年にニール・ヤングが「サザン・マン」という歌で

異議を申し立てた後の、

1972年に大統領予備選に出馬。この時に銃撃され半身不随になり、

差別主義政策を公式に謝罪しました。

謝罪した後は黒人支持も上昇し、結局ウォーレスさんはこの後4期、

知事を務めたということも付け加えておきたいと思います。

7月10日(木)の名盤は…

先週は“メッセージを伝えるメディアとしてのロック”というお話をしましたが、

今週と来週はもう一歩踏み込んで“歌のやりとりによる論争”の

最も有名な事件のひとつを紹介しました。

今週の主役は「ニール・ヤング」です。

今や実力、人気ともロック界の頂点の一人と言える大御所で、

そういう地位にありながら休むことなく新作発表とツアーを続ける

“現役感覚”では他の追随を許さない偉大な人です。

彼は特に政治的な歌ばかり歌っているわけではないのですが、

昔から自分の納得できない事件や出来事があると、

すぐに歌で噛み付くロックな人です。

ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争すべてに異議を申し立てています。

そんな彼が特に怒ったのが人種差別。

黒人公民権運動を武力で弾圧したアラバマ州知事ウォーレス、

そして彼を選んだアラバマ州に対して、いや、黒人差別が根強く残っている

すべてのアメリカ南部に住む人々に対して歌ったのが、

1970年に発表した「サザン・マン」でした。

この歌の歌詞はこんな感じです。

~南部の人々よ、落ち着いたほうがいい。聖書の教えを忘れるな。

南部よ、変わるんだ。綿花に黒人。白亜の豪邸に小さなボロ小屋。

南部の人よ。いつになったら彼らに償う?

今日も聴いたよ。彼らの悲鳴と鞭の音。いったいいつまで続くんだい?~

とにかくこのウォーレス知事という人は、“人種差別は永遠だ”と宣言して

南部の白人に絶大に支持されていた人で、ニール・ヤングとしては、

この知事も支持者も異常にしか思えなかったのでしょう。

理性的に言葉を選び、極力抑えた諭すような歌い方ですが、

ガマンできなかったのか、激情が爆発したかのような

ギター・ソロが怒りの大きさを表現した名曲、そして名演奏です。

お届けしたのは、ニール・ヤングで「サザン・マン」でした。

7月10日(木)の名盤は…

今日はゲイリー・ムーアを紹介しました。

ロックはただの音楽ではなく、それ自体がメッセージを伝えるための

メディアなのだ、と言われます。

確かにロックの長い歴史の中では様々なメッセージが歌われ、

時には個人攻撃したものまで存在します。

今日は紹介したゲイリー・ムーアの「レッド・クローンズ」は、そんな1曲です。

世界で最も偉大なハード・ロック・バンドと言えば、

レッド・ツェッペリンとディープ・パープルじゃないでしょうか。

けれども、その後のロックの歴史で、ディープ・パープル的なバンドは

数多く登場しましたが、ツェッペリンに直接的に似ているバンドというのは、

皆無に近いような気がします。これは技術的にマネできないというよりも、

それ以上に、「ツェッペリンは別格。神聖にして犯すべからず存在」という空気が

暗黙の了解とされていた背景があったのです。

ところが1980年代後期にそれが破られます。

口火を切ったのは有名なベテラン・バンド。楽曲がモロにツェッペリン風なのに加え、

プロモーション・ビデオではモノマネまで飛び出しました。

続いて現れた新人はコピー・バンドかと思えるほどで、

ボーカルの声質までそっくりでした。

これらに噛み付いたのが、ツェッペリンの元メンバー達、

ではなく、まったく関係のないゲイリー・ムーアです。

その名も「レッド・クローンズ」という曲で、ホワイトスネイクの「スティル・オブ・ザ・ナイト」と、

キングダム・カム「ゲット・イット・オン」のバンド名と曲名を巧妙に歌詞に織り込んで、

“もうたくさんだ、ツェッペリンのクローンどもめ!!”と断罪したのです。

楽曲もツェッペリン風なのですが、“やるならこれくらいやってみろ”と

手本を示すというのではなく、むしろクローン達のパロディのように聴こえます。

彼らの技量ならば、もっと完璧にやれるはずなのに、

わざとツメを甘くしている気がするんです。

ムーアにとっても、他人事ではないくらいに、

ツェッペリンは特別で神聖な存在だったんでしょうね。

この事件はファンをも巻き込み、「レッド・クローンズ論争」と呼ばれましたが、

結果的にクローン達はフェード・アウトして終わりました。

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