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名盤 IN A DAY

2月5日(水)の名盤は…

昨日2月4日は、カレン・カーペンターの命日でした。

そこで、今日はカーペンターズを取り上げました。

カレンが亡くなったのは1983年のことですから、もう26年も経つんですね。

カーペンターズがヒット・チャートを賑わわせていた

1970年代は完全にロックの時代であって、

彼らのようなソフト・タッチの王道的ポップスは逆に異端児でした。

一歩間違えば時代遅れにもなりかねないこのスタイルを、

そうはさせなかったのが、兄であるリチャードの練りに練り上げた

アレンジ能力の天才ぶりと、

なんといってもカレンの唯一無二の歌声の素晴らしさでした。

女性歌手として当時も今も珍しい低音ボーカルで、

しかもほとんどシャウトせず、こぶしも回さず、

ヴィブラートも使わず、つまりロック系の歌手に見られる

黒人音楽からの要素が皆無なナチュラルで無色透明な歌声。

だからこそ聴き手のシチュエーションによって明るく楽しくも、

悲しく切なくも聴こえる魔法があるのでしょう。

それともうひとつ重要な点があります。

まるで歯磨きのCMのように常に真っ白い歯を見せて、

幸せそうな笑顔を咲かせ、陽気なアメリカの健全で理想的な兄妹の

イメージだった彼らが、しかしその裏で兄は薬物中毒、

妹は過食と拒食を繰り返し、死に至ってしまったという現実。

表向きは自由な大国、しかし内情は多くの問題を抱える

アメリカのまさに縮図のようですが、

それ以上に優れたポップ・ミュージックの宿命なのです。

後世に残るポップスの名曲は、ほぼ例外なく、魂の暗闇というか、

病める心によって生み出されていると言ってもいいかもしれません。

そんなある種の“毒”が楽しいポップスの裏に透けて見える

瞬間があるからこそ、名曲は人の心を打つんじゃないでしょうか。

そんなことを改めて思い出させてくれる、

美しくも悲しいポップスがカーペンターズなのです。

1月29日(木)の名盤は…

今日は、

ボビー・ウーマックの「アメリカン・ドリーム」という曲を紹介しました。

先週のオバマ・アメリカ新大統領の就任式はまだ記憶に新しいところですが、

このオバマ氏が立候補したあたりから、主義主張の影響もさることながら、

“演説”の上手さという点でよく引き合いに出されるのが、

故マーティン・ルーサー・キング牧師です。この二人の演説の共通点として、

まず誰にでもわかりやすい単語や言い回し、

それから短いセンテンス、印象的なフレーズ、さらに間の取り方の上手さ、

そして声質の良さなどが挙げられると思います。

しかしオバマ大統領も唯一キング牧師に遠く及ばないところがあります。

それは、“歌唱力”です。

キング牧師の有名な「I have a dream」という1963年の演説を

一度でも聴いたことのある人は共感していただけるんじゃんないでしょうか。

キング牧師のスピーチは歌と言っても過言ではないと思います。

これは黒人社会の伝統ともいえるのですが、

「ブルース・ブラザーズ」という映画の中で、ジェイムス・ブラウン演ずる

牧師が説教をしながら歌になだれ込むシーンがあるんですけれども、

黒人教会ではそういうゴスペルの“コール&レスポンス“をルーツとする、

歌と混然一体となった説教が普通に行われているそうなんです。

この表現力がキング牧師は抜群なんです。

「I have a dream」については授業でも習いますし、

ステイーヴィー・ワンダーがキング牧師を讃えた名曲「Happy Birthday」の

シングルのB面でレコード化されました。

その演説をそのままこのコーナーで紹介してもいいくらいですが、

今日はその演説を歌に上手に導入した

ボビー・ウーマックの曲をお聴きください。

類まれな名歌手、ボビー・ウーマックに勝るとも劣らない、

キング牧師の“ソウル・シンガー”ぶりがお分かりいただけると思います。

1月22日の名盤は…

今日は、去年9年ぶりにアルバムをリリースし、カムバックを果たした

ドナ・サマーを紹介しました。

実はその新作からカットされたシングル2曲が、

一般的に大ヒットした訳ではありませんが、

ビルボードのダンス・チャートで1位を獲得。

その結果、現時点で1970年代、80年代、90年代、2000年代の

すべての時代のダンス・チャートNo.1を記録した

唯一のアーティストという名誉を勝ち取っています。

しかし、なんといっても彼女が一番輝いていたのは1970年代でしょう。

ボストン生まれのアメリカ人なのですが、有名になる前にドイツへ渡り、

ミュージカル女優やシンガーとして8年も活動しています。

当然ドイツ語もペラペラのバイリンガルです。

そのドイツで70年代半ばに名プロデューサー、

ジョルジオ・モロダーと出会い、彼の生み出した当時最先端の

エレクトロ・ディスコ・ビートをバックにして“ディスコ・クイーン”として

逆輸入の形でアメリカに進出。ドイツ、アメリカのみならず、

イギリスや日本でも大人気となり、一世を風靡しました。

ポイントは3つ。まずはなんといってもモロダーの作るサウンドが

時代にぴったりとはまったこと。

彼女の歌は本格的にディープなソウルを歌うには弱かったかもしれませんが、

モロダーの音との絡みは完璧ですし、他のディスコ歌手と比べると

圧倒的にソウルフルで、歌唱力も最上級でした。

そして最後にルックスが良かったことは見逃せません。

彼女はホイットニー・ヒューストンが登場する前までは、

最も美しいソウル歌手と呼ばれていました。

さらに下積みが長かったためか、サービス精神が高く、

セクシーな衣装を大胆に着こなしていたのも魅力的でした。

今日は彼女の代表曲と呼ばれることは少ないかもしれませんが、

1980年のこの曲「ザ・ワンダラー」とともに紹介しました。

1月15日の名盤は…

ある世代には懐かしく、またある世代には新鮮に響く

名盤の数々を紹介する「名盤iNaDAY」。

今日はキザイア・ジョーンズを紹介しました。

まず初めにロッド・スチュワートのある発言をご紹介したいと思うんですが、

「階級制度の残るイギリスで労働者階級の人間が成り上がるには、

サッカー選手かミュージシャンになるしかないんだ」と、

こんなことを言っているんですね。

そのハングリー精神が音楽に迫力を与え、リスナーの魂を打つ、というのは

確かに一つの真実なんでしょうけど、「もう後がない」という意味では、

言葉は悪いですが、“成り上がり”ならぬ、その逆の”成り下がり“の人生も

まったく同じかもしれません。

今日紹介したキザイア・ジョーンズはそんなミュージシャンです。

彼はナイジェリア人なんですが、なんと大きな部族の酋長の息子なんです。

ナイジェリアは近代国家で、彼の父親は事業に成功した

指折りの資産家でもあります。

日本で言うと、財閥の跡取りという感じです。

英才教育すべく、8歳からイギリスへ単身で留学に送り込まれた

キザイア少年でしたが、そこで音楽に目覚め、ドロップアウトしてしまいます。

アフリカでは家が厳しくて音楽を聴いたことも楽器を

触ったこともなかったとのことながら、

ピアノもギターもすぐに弾けたと言いますから、天才だったのでしょう。

クラブ回りやストリート・ライヴを続けながら、

国へ連れ戻そうとする一族の追っ手から逃げ続ける生活のすえ、

1992年にデビューを果たしました。

部族の固い絆を裏切る形になった訳ですから、

死にものぐるいだったのは間違いありません。

その後、彼が家族と和解できたのかどうかは分かりません。

一族からすれば地位も名誉も金もある生活を捨てた彼を

愚かだと思っているかもしれません。

けれども彼は今も音楽活動を続けています。

世界的な大ヒットこそありませんが、音楽性は高く評価されています。

富と名声は手放したかもしれませんが、

ギター1本で世界を旅する自由を勝ち取りましたし、

家族は失ったかもしれませんが、旅先には家族同然の

温かいファンが待っている、

そんな生活を手に入れることができたのではないでしょうか。

いや、ミュージシャンとして活動を続け、今後、父親の財産を超える富と

名声を手に入れる可能性だってまだまだ残されています。

12月25日(木)の名盤は…

今年も多くの新人が登場して音楽シーンを彩ってくれましたね。

ダフィーという女性アーティストの楽曲「マーシー」も大ヒットしました。

そのダフィーは音楽的な今後の成長も期待させる、

チャーミングな女性なんですが、彼女の歌声や姿を見聞きする前に、

文字の情報だけで各国のヒット・チャートをチェックした人の中には、

「なんで、あのダフィーがこんなにチャートの上位にいるの?」と驚いた方も

いたかもしれません。

というのも、まったく同じスペルのダフィーという

イギリス人男性アーティストが、1980年代から活動しているからです。

今日はこの男性のダフィーを紹介しました。

本名はスティーヴン・ダフィ、ライラック・タイムというバンドで、

またソロ名義のダフィとして、ヒット・チャートでは

あまり知られることはないのですが、

良質でポップなロックンロールで根強い人気を持つミュージシャンなんです。

日本にも彼のファンだという人は少なくありません。

ここで不思議なのは、例えば日本のバンド、Xが海外進出する時、

アメリカに同じ名前のバンドがいるということからX JAPANと改名したように、

またはイギリスのシャーラタンズというバンドが、

アメリカではシャーラタンズUKという名義でなければCDを出せないように、

例えば彼女はウェールズの出身ですから「ウェールズ・ダフィ」とか

改名しなくても良かったのかという疑問が残ります。

これについては実際のところはわかりませんけれども、

結局、先に活動していたイギリス人男性のダフィの方が

クレームを付けなかったということなんでしょうね。

彼の「シュガーハイ」という曲の歌詞なんかを見ても、

「俺はあんまり売れてないし、なんなら俺のほうが

本名のスティーヴン・ダフィに戻そうか?」とでも言ったかもしれない、

そう思わせる程ナイスガイっぽい好感度の高いミュージシャンです。

ちなみに、今日紹介した曲は、ごく簡単に要約すると、

「少年時代の青臭くバカげたことを信じ続ければ空だって飛べる。

愛と音楽を手にすれば生き残っていける」というような感じの、

ロックンロールを讃えた名曲です。

12月18日(木)の名盤は…

今日はスレイドの「メリー・クリスマス・エヴリバディ」を紹介しました。

街中のあちこちからクリスマス・ソングが聴こえてきますが、

毎年新しい曲が生まれるクリスマス・ソング、

消え行く曲も当然あるんです。

そんな生存競争に勝ち残った曲が

スタンダードと呼ばれているんだと思いますが、

それでは、そういった毎年よく耳にするクリスマスの定番ソングの数々が、

実際にヒット・チャートを上昇するのかといえば、

意外とそうではありません。

どれだけ街中で流れようが、

クリスマス・コンピレーション・アルバムが売れようが、

システム的にはシングルとして売り上げを伸ばさなければ、

チャートを昇ることはできないからです。

その意味で、1983年に初めてリリースされて以来、

26年間で9回シングル・カットされ、6年目でオリコン1位、

17年で200万枚を突破した山下達郎の「クリスマス・イヴ」は、

本当にすごいですよね。

ところが、なんとイギリスにはこれをさらに上回る曲があるんです。

グラム・ロック系のハード・ポップ・バンド、スレイドの

「メリー・クリスマス・エヴリバディ」という曲がそうなんです。

バンド自体は70年代に多くのヒットを放ったものの、

超B級といった感じですが、この曲はまさにイギリスの

「国民的クリスマス・ソング」なんです。

1973年に発売されて1位を記録。山下達郎と違って、

最初から大ヒットしたのがポイントです。

その後も毎年12月になると全英チャートを上昇。

正確なデータは不明ですが、恐らくは1年も漏れることなく

36年連続でチャート・インしているものと思われます。

当然、今年も先週付けで49位。50位以内ってすごくないですか!?

35年前の曲ですよ。

付け加えると、35年間、常にシングル盤の形で曲を買うことができる

イギリスのレコード業界もすごいと言えるかもしれませんね。

12月11日(木)の名盤は…

今日は「ラスト・クリスマス」を紹介しました。

・・・とは言っても、オリジナルのワム!は夏に一度取り上げましたので、

今日はビートマスというバンドのカバー・バージョンを選んでみました。

このビートマス、デンマークの4人組で、別名というか、

本来のバンド名はラバー・バンドというビートルズのコピー・バンドなのです。

まぁ、こうしてCDも出ているくらいなので、プロと言えばプロなのでしょうが、

コピーだけで食べていけるのかどうか疑問ですよねー。

ところが毎年この時期になると引っ張りだこで大忙しらしいんです。

なぜかというと、この時期だけ期間限定で、ザ・ビートマスと名乗り、

有名なクリスマス・ソングをビートルズ風にアレンジして

演奏する芸が大人気だから、なんですね。

で、こうやってCDが、遠く離れた日本でまで発売されちゃっているわけです。

これがまぁ、楽しい。さっき、「ビートルズ風のアレンジ」と言いましたけど、

基本的にはビートルズの曲に合わせて、

クリスマス・ソングを強引に歌ったというだけなんです。

ある意味、ただの替え歌と言えます。アイデア一発勝負です。

でも実際聴いてみると、「なんでこれがああなるの?!」とびっくりさせられます。

そしてファンならずとも思わず笑顔になってしまいます。

そしてもう一度じっくり聴くと、演奏から歌いまわし、

コーラスの付け方など、ビートルズのクセを

完璧にコピーしていることがわかります。

ビートルズに対する強い愛情に溢れているんですね。

だからこそ、パロディたり得るんだと思います。

この「ラスト・クリスマス」は元ネタが「プリーズ・Mr.ポストマン」。

これは元々モータウンのカバーということで、モータウン、ビートルズ、

ワム!と、一体誰のカバーを聴いているのか、分からなくなります。

とにかく楽しい。

ぜひアルバムを聴いてもらいたいバンドです。

12月4日(木)の名盤は…

今日はケイト・ブッシュを紹介しました。

彼女は、ジャンル分けすることが難しく、

世代的にはニューウェイブ世代なので、

確かにニューウェイブ風味も感じられるけれど、

そう言い切ってしまうにはちょっと違う…。

では、「女性ボーカル」、「シンガーソングライター」という括りにすると、

それからイメージする音ともまったく異質です。

彼女が作る楽曲の音楽性としては「クラシック」や「トラッド」の

香りも強いんですが、もっと新しい何かがある、

ということで強いて言えば「現代音楽」というのが一番近い気もします。

でも間違いなく「ロック」だし、だからといって「イギリスのロック」に

分類すると違和感がある、といった具合にどのジャンルに入れても

収まりが悪いというか、はみ出てしまう。

彼女の後に続く人もいないので、他に似たような人がいないという

まさに唯一無二の孤高の存在。

それがケイト・ブッシュです。

彼女自身が「ケイト・ブッシュ」というジャンルを確立している、

強烈な個性の持ち主なんですね。

11月27日(木)の名盤は…

1986年の大ヒット、ロビー・ネヴィルの「セ・ラ・ヴィ」を紹介しました。

この曲は80年代を代表する傑作と言ってもいいぐらい、

クオリティの高い作品だと思うのですが、

実はロビー・ネヴィルという人自体は謎が多い人だったんですね。

まず出身地。デビュー・アルバムの解説ではまったく触れてなかったのですが、

2ndアルバムの解説には、「ロサンゼルス生まれ」と書いてありました。

ところが当時の文献によってはイギリス出身と

なっているものもあるんですね。

そしてデビュー作の契約はアメリカのレーベルだけど、

録音はイギリスで行っていて、

プロデュースも当時イギリスで売れっ子だったアレックス・サドキンという

プロデューサーが手掛けているという、

ちょっと複雑な感じになっています。

実はこれはデビューの時の戦略として、わざと国籍不明にしたらしいんです。

本当は完全なアメリカ人でした。

そんなロビー・ネヴィルですが、契約からデビューまで2年間の空白があって、

その間に黒人ソウル歌手達にたくさんの楽曲を提供しています。

デビュー当時の戦略によって、彼をイギリス人だと信じていた音楽ファンは、

「イギリス人で白人の彼が、アメリカの黒人のソウル歌手に

楽曲提供するなんて、すごい!」と思った方も

少なくなかったようなんですが、実際は彼はアメリカ人だったんです。

さらに空白の2年間、これも「自分をプロデュースできるのは、

アレックス・サドキンだけだ」と、

売れっ子プロデューサーだったアレックスのスケジュールが空くまで、

他のオファーを断って待ち続けた、という逸話もあるのですが、一方で、

もともとサドキンに見出されたものの、

まだ早いということで修業させられていたという説もありまして、

どうもこちらの方が本当ではないかという見方もあります。

結局、このデビュー曲「セ・ラ・ヴィ」のヒットを超えることが出来ず、

いわゆる一発屋として名前を残す形になってしまいました。

でも彼の名誉の為に付け加えておきますと、2ndシングルも3rdシングルも

そこそこヒットしているので、厳密に言えば「一発屋」ではないんですよ。

現在は完全に裏方としてではありますが、

作曲、プロデューサー業で音楽業界で地道にがんばっているようです。

11月20日(木)の名盤は…

今週は1981年に大ヒットした「ハート悲しく」を紹介しました。

この曲、当時大流行していたAOR、いわゆる大人のための

オシャレなロックの流れを汲む、

甘く切なく情緒的なラヴ・ソングの名曲ですが、

これが初ヒットとなるこの歌手の名前を聞いて、

ほとんどの人は「ああ、また似たようなAOR歌手が出てきたな」

ぐらいに思っていました。

ところが、長年のロック・ファンはその名を耳にして、

「マーティ・バリンって、あのマーティ・バリン?」ととても驚いたのです。

そう、この人はサンフランシスコが生んだ偉大なロック・バンド、

ジェファソン・エアプレインのリーダーとして1960年代から大活躍する

マーティ・バリンだったのです。

久しぶりに名前を聞いて、懐かしくて驚いたわけではありません。

政治的で反社会的な主張をもった、

過激で硬派なロック・バンドだったジェファソンから、

180度方向転換したかのような、ある意味軟弱なアダルト・ポップを歌う姿に、

悲しみに近い落胆を感じたのでした。

まぁ、この時代は本当に「猫も杓子もAOR」という感じで、

ハード・ロックから転向した人も何人もいたぐらいですから、

責められる筋合いはないのですが。

しかもジェファソンは「反戦」、「愛と平和」を唱えていたわけで、

60年代は声高に主張していたことを、

80年代は心の琴線に直接触れる形で愛を説いている、と考えれば、

表現手法が変わっただけで、

メッセージ自体は一貫していると言えるかも知れません。

しかし、それにしても、この曲が入っているアルバム全体では、

ハードな曲や、もっと乾いた感じのオシャレな曲もあるのに…

しかし、全米でも8位という大ヒットを記録しています。

まさにAORの時代だったのでしょうね。

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